山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

イラク戦争と「近衛声明」

2003年08月25日 | 日本の外交
2001年9月11日朝、ニューヨークとワシントンという米国の中枢都市は、その建国史上初めて外敵からの攻撃を受けた。多数の民間犠牲者を出したこのテロ攻撃によって、ブッシュ政権内のネオコン派と呼ばれる勢力は、従来から練っていたある計画を実行に移すことを決めた。

「中東の民主化」を目指すその計画は、まず、攻撃の首謀者とされたイスラム原理主義指導者オサマ・ビン・ラディンへの報復攻撃として開始され、彼らの活動拠点であったアフガニスタンを占領した。その後、ネオコン派の標的は、ブッシュ大統領が北朝鮮、イランと並んで「悪の枢軸」と名指しするイラクへと移された。

彼らはイラクとの戦争の大義を、やはり「テロとの闘い」に求めた。テロを撲滅するには、テロリストを背後から支援しているフセイン政権を打倒し、米国が主導してイラクに民主主義国家を樹立し、ひいては中東全体を民主化しなくてはならない――。それが彼らの理屈だった。

戦争は数カ月で終わり、実際に米軍はイラクを占領しいるが、同国では今も米軍に対するゲリラ攻撃、国連に対するテロが続いている。テロとの闘いが新たなテロを生み、さらなる闘いへと米国を引きずり込んで行くようだ。かつて、これと似た経験をした国がある。日本だ。

戦前の日本は、日露戦争の勝利によって、中国東北部に巨大な「特殊権益」を抱えていた。中国領内であるにもかかわらず、南満州鉄道とその沿線地域において、排他的権益を認められていたのである。

ところが、これに反発する張作リンら軍閥勢力は、たびたび満鉄にかかわる日本居留民を襲撃し、現地に駐留する治安部隊「関東軍」の首脳を悩ませた。やがて関東軍は「事態の根本解決のためには、東北地方を中国から独立させ、日本が主導して近代国家を建設する以外にない」と判断し、傀儡国家「満州国」を樹立する。

しかし、満州建国後も日本人を狙ったテロはやむことはなかった。軍閥に代わり、中国統一を目指して北上する「国民党軍」が、日本にとっての新たな脅威となった。

今度は正規軍が相手である。日本側も慎重に事を進めなくてはならない。そこで関東軍は、北京郊外の盧溝橋で偶然起きた国民党軍兵士による発砲事件を利用し、国内世論を巧みに誘導した。(発砲事件は関東軍のねつ造だったとされるが、真相はイラクの大量破壊兵器と同様、闇の中である)

日中両軍は全面戦争に突入し、1937年、日本軍は中国の首都南京を占領した。その翌年、近衛文麿首相は3回にわたる有名な声明を発した。「近衛声明」である。

<――仍つて帝国政府は爾後 国民政府を対手(あいて)とせず 帝国と真に提携するに足る 新興支那政権の成立発展を期待し 是と両国国交を調整して 更正新支那の建設に協力せんとする――>

3回の声明で近衛は、(1)国民党の蒋介石政権を相手にせず(2)アジアに「東亜新秩序」を建設する(3)中国に親日政権を樹立する―ことを宣言した。

テロとの闘いが、いつしか主権国家同士の全面戦争となり、「新しい秩序」という大義で正当化される・・・。まさしく現在のイラクをめぐる情勢と同じ構図が、ここにある。

当時の日本に対し、中国からの撤退を強く求めたのはウィルソン主義に燃える米大統領、フランクリン・ルーズベルト(民主党)だった。日本は米国の警告に応じようとせず、米国は石油輸出禁止という強硬手段で応えた。追い詰められた日本がとった行動と、その結果については説明するまでもないだろう。

今、米国が中東において実行しようとしている「壮大な実験」に対し、警告を与える超大国は、残念ながら存在しない。(了)



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