山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

「日本ジャーナリスト機構」設立構想

2005年07月26日 | メディア論
更新が再開された高田昌幸氏のブログ「ニュースの現場で考えること」が、記者クラブ問題に関して興味深い提言を行っている。「記者クラブは加入制限を撤廃、もしくは大幅に緩和して、原則誰でも出入りできるようにすべきだ」という主張は以前から一貫しているが、記者クラブに代わる組織について具体的に言及している点が目新しい。いわば「日本ジャーナリスト機構」設立の提案である。

たぶん、一番良いのは、正社員や派遣社員、契約社員、フリーランスといった雇用形態とは無関係に、また、新聞、雑誌、テレビ、ネット、放送、通信といった発表形態とは無関係に、およそ、取材者と名の付く人をすべからく抱える団体をつくって、その団体の発行するIDを持つ人は、全国どこの記者クラブでも情報にアクセスできる、、、そんな仕組みではないかと思う。

高田氏は、当ブログに寄せたコメントでも、フリーランスを含めた形の新しい記者クラブが必要だ、という認識を示していた。その時点ではイメージが不明確だったが、今回の記述は実に明快だ。

私は、高田氏の考えに賛成である。既存の記者クラブ組織にフリーランスを加入させるのではなく、あらゆる取材者が加盟できる新たな全国組織を創設し、その組織からジャーナリストとして認定された者なら、誰でも記者室を利用し、記者会見に参加できるようにする。これは確かに理想の姿だ。

問題は、企業内ジャーナリストたちの処遇である。高田氏は、朝日新聞なら朝日新聞という会社組織を離れて、記者が個人の資格で参加する組織を想定しているように思える。それはそれで筋として正しいが、新しいジャーナリスト機構を新聞協会など既存組織と対抗する形にしてしまうのは、戦術として賢明ではない気がする。

むしろ、新聞協会や雑誌協会といった既存の業界団体も、そっくり飲み込んでしまうぐらいの、したたかさが必要だろう。既存メディアは新聞協会ごと日本ジャーナリスト機構に加盟させ、ジャーナリスト機構は新聞協会加盟社の社員記者に取材者IDを発行する。

もちろん、個人でもジャーナリスト機構に加盟申請すれば、簡単な審査を経てIDが発行される。機構には、報道機関の「法人会員」とフリーやブロガーなどの「個人会員」が並存する形だ。

このような組織の設立は、何も国に要望する類の話ではない。ジャーナリスト有志が声を掛け合って、発足を目指せばいい。高田氏には、この提案を単なる提案で終わらせるのでなく、実現に向けてアクションを起こすことを期待したいと思う。

フリーランスや出版社の記者がジャーナリスト機構の設立に反対する理由はないだろうから、極端な話、新聞協会さえ説得できれば、この構想は一気に現実化する可能性が高い。

ジャーナリストの自主的組織が出来れば、全国の官公庁や企業団体も、機構発行IDを持つ取材者に記者室を開放するだろう。今まで、記者クラブに代わる組織を構想することもなく、官公庁や記者クラブに対してのみ「改革」を求めていたことに、そもそも無理があったのではないか。

高田氏の提案が、記者クラブ問題の解決に向けた大きな一歩となることを願ってやまない。(了)


【追記】当初、タイトルにも使っていた「日本ジャーナリスト協会」は、既にある団体と同じ名称だったので、誤解を避けるため「日本ジャーナリスト機構」に差し替えました。(7月27日)

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4 コメント

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あれや、これや (山川草一郎)
2005-07-27 20:33:59
もちろん、日本ジャーナリスト機構をつくっても、「閉鎖性」という問題は永遠に残るだろう。世の中には怪文書を書くのが仕事の人や、総会屋ライターのような人もいる。彼らもみんな「ジャーナリスト」であることには違いないからだ。



もし日本ジャーナリスト機構が、取材者IDの発行を引き受けることになれば、申請したのに却下された自称ジャーナリストたちは当然怒るだろう。今の記者クラブに対してと同じように、「日本ジャーナリスト協会は権力の犬だ」と批判すると思う。批判に耐えるように審査の公平性、透明性をどう確保するか。審査の基準、審査委員はどうするか。



一方、「ジャーナリスト」を公認するオーソリティができることのメリットも多い。



最近、米国の連邦最高裁が、NYT記者の「取材源の秘匿」を権利として認めず、法廷侮辱罪で収監した背景には、ブロガーの台頭で「ジャーナリスト」の範疇が無限大に拡大してしまったことも影響している、との見方がある。



ジャーナリストに「取材源の秘匿」の権利を認めてしまえば、現代社会では、ほとんどすべての市民が「私はジャーナリストだ」と法廷証言を拒否できることになるからだ。米国でも遠くない将来、「ジャーナリスト認定」制度が必要とされる時代がくるかもしれない。



ところで、日本ジャーナリスト機構が発足し、登録したフリージャーナリストやブロガーが記者室に自由に出入りできるようになったとして、状況は今とそれほど変わらないという気がする。



最初は物珍しさもあって、記者室に発表文を取りにくるだろうが、そのうち面倒くさくなって、普段は出てこなくなるだろう。しょせん報道資料などその程度のものだし、鎌倉市や長野県の例がそれを証明している。



既存メディアがニュース性を判断し、取捨選択している現状を危ういと思い、発表されるすべての資料に目を通そうと思うフリージャーナリストもいるだろうが、あまりの馬鹿馬鹿しさに、途中であきらめるに違いない。そういうくだらない仕事は報道機関に任せて、街でネタを探したほうがよっぽど有意義だからだ。



だから記者室が開放されても、しばらくたてば「結局、何も変わってないではないか」という批判を受けることになるだろう。しかし、何度も言うが、肝心なのは、誰でも記者室を使用でき、記者会見に出席できるという環境を整えることなのだ。



そうした環境を整えるには、「ジャーナリストとは何者か」の定義を定め、権力から距離を置いた中立機関が認定する制度が必要になろう。



官公庁が、法に基づかない任意団体である記者クラブのみを選別して情報提供している現状は確かにおかしいが、現時点で、記者クラブ以外に取材者の身分を保証する制度がないのも、また事実だろう。



裁判所と記者クラブの関係が問題になることも多いが、多くは裁判所が対応を工夫すれば解決する問題だと思う。そもそも日本の裁判は公開で行われることが憲法で保証されている。にもかかわらず、ほとんどの裁判が20人ぐらいしか入れない狭い法廷で行われているのは一体、どういうことか。



せめて注目度の高い裁判にはカメラを入れて、裁判所内の別室で傍聴できるようにすべきだ。その際、録音も許可すべきだ。裁判官は民事、刑事にかかわらず、判決内容をすべて朗読すべきだ。主文言い渡しだけの裁判は、国民に開かれていると言えるだろうか?



傍聴席や判決内容を書いたペーパーで、記者同士が批判しあうのは実に馬鹿馬鹿しい。あれやこれや一切合切の問題について批判を受けている既存の記者クラブは、 もはや気の毒でさえある。

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問題点が見えてきた (山川草一郎)
2005-07-29 01:35:07
記者クラブ問題について、GripBlogさんが意欲的に取材を続けている。オランダからの特派員にインタビューした最新記事は興味深い。



http://www.surusuru.com/news/archives/Entry/2005/07/28_2135.php



「日本の進歩的な企業、例えばソニー、日産、ドコモなどの場合は、ジャーナリストとしてそこの広報部に登録すると、記者会見がいつあるとか、新しい商品の説明会がいつあるとかという情報がメールで送られてくる」

「古い考えの会社の場合、全部記者クラブを通してだから、記者クラブのメンバーしか情報をもらえない」

「外国のメディアが宮内庁の事務方を取材したいと言っても、宮内庁は拒否する」

「警察庁長官の記者会見があるらしいのですが、警察庁はそれを会見ではなく『懇談会』と言っています」

「やってることは記者会見と同じだが、記者会見ではないと言っているので、僕らは出席できない」



オランダ人特派員が語るこれらの事実は、取材者の意図に反して、記者クラブ問題の本質を明らかにしていると思う。要するに、記者クラブ以外からの取材を受けるも、受けないも、取材される側(官公庁や企業)の考え方次第だ、ということである。



政治取材についても、記者クラブ制度が批判されているが、冷静に読めば、そんなに問題だとは思えない。



「例えば、オランダとベルギーを取材しているフリーランスの日本人ジャーナリストは、オランダの総理大臣の記者会見には出席できる」

「だけど日本の総理大臣が向こうに行くと彼は取材できない」

「なぜかと言うと官邸の記者クラブがついてるから」「記者会見をすればできるんですけど、直接取材できないし、日本の場合は懇談会があるが日本人なのに彼はそこへ参加できない」



よく読めば「記者会見をすれば(取材)できるけど」と言っているのが分かる。日本の首相が外国に行けば通常、記者会見は設定されるから、問題はない。後段は、公式の会見以外に、首相が宿泊先のホテルで同行記者団相手に懇談する慣例のことを言っているのだろうが、そうしたメディアを選別した非公式のランチやディナーは、記者クラブ制度があろうとなかろうと行われるだろう。欧米でもごく普通の慣習だと聞く。



最も滑稽なのは、森喜朗前首相の記者会見に関する部分。日本の記者が質問項目を読み上げたというくだりだ。



「日本の記者を指名し、その記者は紙を読み上げて森元総理に質問した」「森元総理が返事をする時、紙を読み上げた」



日本の役人は真面目だから、国会質問でも与野党議員を回って事前に質問を聞いては、模範解答を用意し、首相に渡すことがよくある。官主導で、首相がお飾りだった時代には、記者会見冒頭での幹事社による代表質問も、事前に聞き取って回答を用意していたと聞く。まったく馬鹿げた慣習だ。もっとも記者クラブが事前に通告してある質問は最初の2~3項目だけで、あとは自由に質問しているようだが。



小泉純一郎首相になってからは、テレビで観ていても分かるとおり、完全に一発勝負の自由質疑になっている。首相時代に失言が問題になることの多かった森喜朗氏は、忠実に官僚の作文を読む(時々読み間違えたが)ので有名だった。首相を辞めた後でも、官僚が勝手に喋らせないようにお膳立てしているのが分かって、笑ってしまうエピソードだ。



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会見と懇談 (山川草一郎)
2005-07-31 01:46:07
記者クラブ以外のフリーや外国報道機関からの取材について…



・ソニーや日産は可。考えの古い企業は不可。

・外務省は可。宮内庁や警察庁は不可。

・民主党は可。自民党は不可。

・鎌倉市や長野県は可。その他の自治体は不可。



これまでGlipBlogさんの取材や私自身の見聞で明らかになった実態をまとめると、上記のようになるのではないか。



取材を受け付けている団体は、時代に敏感だったり、対外広報に積極的だったり、改革志向だったり。一方、取材を受け付けていない団体は、考えが古かったり、広報に消極的だったり、秘密主義だったり、保守的だったり…。とても分かりやすい構図だ。



法的根拠に基づいていない記者クラブという存在は、そのことを言われると非常に立場が弱い。彼らが根拠にしているのは「前例」や「慣習」だったり「既得権」だったりでしかない。



だから小泉首相が就任早々、「歩きながらの質問には答えない」と言い張れば、最終的にはそれに従うしかない。飯島秘書官から「スポーツ紙を記者クラブに加盟させろ」と言われれば従うしかない。



「権力のメディア選別につながるから、総理大臣は個別取材には応じない」という、官邸と記者クラブの間の長年の不文律も、小泉氏が首相になって、あっけなく破棄された。



記者クラブ以外からの取材に応じるも、応じないも、すべては「取材される側」がそれを必要としているか、そうでないか、だけの問題なのだ。



そう考えると、記者クラブ問題の解決はそう困難ではないかも知れない。少なくとも中央官庁や政党本部の記者クラブは、民主党が政権をとれば開放される可能性がある。韓国で記者クラブ制度が崩壊したのも政権交代が直接のきっかけだった。



首相官邸や各官庁のトップが民主党議員に変われば、記者会見に記者クラブ以外の記者を呼べばいい。今の記者クラブは昔と違って抵抗しないだろうが、仮に抵抗したら別途、会見を設定すればいいだけの話だ。



下野した自民党も、今より積極的に党の政策やイメージを外部にPRする必要があるから、現在の民主党と同じようにフリーや外国報道機関にも門戸を開くに違いない。



記者会見を開放しても、「懇談」と呼ばれる記者クラブを対象とした「裏会見」は残るかも知れないが、それぐらいは多めに見ようではないか。信頼できる記者や影響力の大きい大手メディアに対して、政府当局者がオフレコを前提に背景説明する慣習は、世界中の多くの国々で行われていることだ。



警察庁は、長官の「会見」を「懇談」だと言い張っているようだが、「国民向けの会見は国家公安委員長が行う。事務局長である長官が公式に発言することはない」と言うのなら、それはそれでひとつの理屈ではある。



今回は、記者クラブのメディアが「漆間長官は×日の記者会見で…と述べた」と書いたから明らかになったが、記事がもし「漆間長官は×日、記者団の取材に対し…と語った」となっていれば分からなかった。そもそも警察庁にしてみれば、記者たちが「懇談」を事実上の「会見」と認識していようが、知ったことではないだろう。



非公式の懇談は、記者クラブだけの特権ではない。新聞記者が、仲のよい他社の記者を誘って、取材相手と飲みに行ったりするのは、よくあることだと聞く。それを誘われなかった記者が聞き付け、「癒着だ」「閉鎖的だ」と批判しても仕方ない。



小泉官邸では、大衆層へのイメージ戦略を重視する飯島秘書官が、週刊誌やフリーの記者だけを集めて情報提供しているのは有名な話である。飯島氏は「日本のカール・ローブ」のような存在だ。



私は、そうした非公式の取材慣行は「必要悪」だと考えている。オープンな会見しか認めなければ、取材者は政治家や官僚の建前しか聞けない。その結果、国民に届く情報が今より貧困になってしまうのでは、本末転倒だからだ。



日本の記者クラブのようなインナーサークルは実際、どの国にも存在する。しかし、それらの取材活動の多くは非公式に、地下で行われるのが普通であって、日本にように記者室に常駐し、堂々と看板を掲げているのが異常なのだ。



逆に言えば、記者会見を開放し、記者クラブ制度が有名無実化されても、必要があれば非公式の「懇談」で代替すればいいのであって、官公庁や既存記者会は「既得権喪失」を、あまり大げさに考えなくてもいいのではないか。

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小樽に続け (山川草一郎)
2005-08-05 19:05:24
北海道新聞の高田昌幸氏が運営するブログ「ニュースの現場で考えること」(http://newsnews.exblog.jp/2436807/)で、ネット新聞「小樽ジャーナル」が小樽市役所内の記者クラブに正式加盟していることを知った。



 それによると、新聞・放送・通信社など13社でつくる「小樽市政記者クラブ」は2003年12月5日の総会で、小樽ジャーナルの加盟について様々な論点からの論議した結果、満場一致で承認したという。



小樽ジャーナルは「小樽から世界へ情報発信を続けるインターネット新聞社が、『記者クラブ』という重い門戸を、全国初に開いたもの」だと誇らしげに報じている。



2年ほど前の話であり、今ではもっと多くの記者クラブにネット新聞社が加入しているのかも知れない。閉鎖性を批判されることの多かった記者クラブが、外からの加入申請に対して前向きな回答を出すようになったことは、歓迎すべきことだ。他の記者クラブに波及することを期待したい。



ただ、同業者が審査して加入の可否を決定するやり方は、どうしても不透明だ。小樽ジャーナルは加入を認められたから問題はなかったが、報道の実態のなかったり、ゴシック記事ばかりの怪しげな新聞社なら加入が認められない場合も当然あるだろう。



函館新聞問題(※)のような前科があるだけに、記者クラブ自身が新規加入の是非を審査する方式では、審査の公平性に疑いの目を向けられてしまいがちだ。審査の透明性、正当性を確保するには、やはり高田氏が提唱しているように、個々のジャーナリスト認定を専門に行う中立公正な全国組織に任せてしまうのが、最善策だと思う。





=====

(※)函館新聞問題とは、函館新聞社が函館地域で新聞を創刊を計画した時、北海道新聞社がその新規参入を妨害したとして公正取引委員会から排除勧告を受け、それを北海道新聞社が認めずに公正取引委員会と係争を続けていた「事件」である。排除勧告は四点あり、使用する計画のない題字を商標登録出願した、通信社に記事配信を応じないよう暗に圧力をかけた、広告ダンピングで函館新聞の広告集稿を困難にさせた、テレビ局にコマーシャルを放映させないようにした、というものである。

http://www.hakodateshinbun.co.jp/sinpan013.html

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