山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

取材者のジレンマ

2005年08月31日 | メディア論
ちょっと昔の缶コーヒーのCMにこんなのがあった。雑談の中で日本の首相や自分の上司のふがいなさに不満を漏らし、「ガツンと言ってやれよ、ガツンと」と威勢よく憂さを晴らすサラリーマンが、ふと気付くとクリントン大統領や格闘家ボブ・サップの前に立っていて、ゴクッとコーヒーを飲む…。

自民党がメルマガやブログの主宰者を招いて懇談を開いた。この話題について語っているブログを回ってみて感じたのは、「素人であるブロガーが自民党にうまく取り込まれるのではないか」といった不安、猜疑心だった。

と同時に、既存メディアに対して「権力に取り込まれている」と厳しい批判を浴びせてきたネットユーザーたちが、いざ本物の権力と対峙した時の「戸惑い」のようなものも感じられた。

「威勢のいいこと言ってたくせに、マスコミと同レベルの質問しかできなかったら恥ずかしいぞ」といった類の気構えである。これに、選抜されたブロガーだけが招待されたことに対する「妬み」も加わって、「さぞ良い気分だろう」「呼ばれて行くようでは・・・」といった斜に構えた批評も散見された。

そうしたプレッシャーは、一躍脚光を浴びた「GripBlog」も例外でなく、「笑われないようにしなきゃ」という気負いがレポート文面のあちこちから漂ってくる。たとえば、武部幹事長が退席する際に出席者が拍手したことに「そこまで称えるものだろか」と疑問を投げ掛けた部分。ミーハーな出席者とは一線を画したい気持ちがよく出ている。

私はこれを読んで、招待してくれたことに謝意を表して拍手を贈るぐらいのことは許容範囲内ではないかと感じた。そんなことは所詮、儀礼に過ぎず「権力に取り込まれた」云々とは別次元だろう(実際、日本記者クラブでの各党党首討論会でも、最後に拍手が起きていた)。そういう細かいことを気にするところに、かえってブロガーの「気負い」を感じてしまうのだ。

GripBlogの泉あいさんは、自民党ブロガー懇に出席した感想を「ブログ選挙ポータル 衆議院選挙2005」に投稿しているが、その中にこんな件(くだり)が出てくる。

政治と言えども、それを動かすのは人。

人柄だけで国を動かすことはできないという声が聞こえてきそうですが、その人の打ち出す政策を真剣に聞こうと思うかどうかは、やはりその人のルックスや人柄によるものが大きいと思います。

本来それを伝え、国民が政治を身近なものだと感じ、考えるきっかけ作りをするのはメディアの仕事ではなかったでしょうか。ところが、そのメディアが政治家や政治を高いところへ担ぎ上げて、一般の人からかけ離れたものとしている。それは、メディアの目線が一般の人の場所まで下りて来ていないからではないかと思えてならないのです。

現に、今回の懇談会で威圧感を放っていたのは、政治家ではなくメディアの人たちでした。退室した後も、ガラスの壁に張り付いて中の会話に聞き耳を立てる必死な姿は、見習うべきものだと思いますが、どうも一段高い所から見下ろされているような気がして仕方がなかったです。
『元OLブロガー自民党本部で取材する ~後編~』より)

取材者の一人として取材に行ったはずなのに、大手メディアから取材対象として扱われる。理屈ではなく、何となくプライドを傷付けられたような複雑な気持ち。よく分かる。この感情も「フリージャーナリスト」を自称し、一般ブロガーと一線を画そうとする気負いゆえのものだろう。

文中に出てくる「盗み聞き」だが、取材不可の会議の内容を、壁に耳を当てて何とか聴き取ろうとする取材行為を、業界では「カベ耳」と呼ぶらしい。毎日新聞科学部の女性記者が書いている「理系白書ブログ」に次のような説明がある。(8月17日付「宮城沖は来る」)

朝から地震調査委員会を警戒。
冒頭のあいさつだけ中に入れるが、あとは非公開。でも夕刊に記事を入れたい。
こういうとき、記者は「壁耳」で情報を仕入れる。
読んで字のごとく、壁に耳をつけて、中のやりとりを聞き取るのだ。

泉さんの本拠地であるGripBlogには、自民党本部での同じような光景が「内側から」描写されている。

武部幹事長の挨拶が終ると、すぐに報道陣は部屋から退室しましたが、懇談会の最中に、ガラスの壁にへばり付いた女性記者の姿を見つけてしまい、一瞬「貞子」かと。

こうした取材は、もちろんマナー違反だろうが、政治取材では政治家が自分の主張を「聞かせたい」と思って黙認する場合が多いという。密室会議の中身を後で出席者に聞いても「わきあいあいとした雰囲気でしたよ」などとはぐらかされては記事にならない。だから新聞記者の「盗み聞き」は「隠された真相を読者に知らせる」という公益に照らし、ある種の「必要悪」として免罪されるのかも知れない。

泉さんは、そうした行為について「一段高い所から見下ろされているような」不愉快な気分だったと述懐している。率直に言って、やや意識しすぎではないだろうか。私には、カベ耳をしている記者にブロガーを見下そうという意図など感じられないし、むしろ「ブロガー懇」の意義の大きさを認めているからこそ、真剣に取材しているのだと思う。

もっと言えば、その真剣に取材している記者が、既存メディアの記者かどうかも疑わしいのだ。この懇談を取材した「ITmediaニュース」というサイトに、次のような記事が掲載されている。

新聞や雑誌、テレビなどの“職業記者”の入室が許されたのは、冒頭の武部幹事長のあいさつだけ。記者はその後退出したため、懇親会はさながら、ブロガー専用記者会見といった様子だ。

携帯やデジカメで写真撮影するブロガーも。撮影後携帯電話をいじっていた人もいた。リアルタイムで更新していたのかもしれない

壁越しに聞こえてきた質疑では、グロービスの堀義人社長が「各候補の政策をネットで一覧できるようにしたかったが、公職選挙法に触れる恐れがあってできなかった。公選法を改正して欲しい」と要望。武部幹事長は「(法律を改正できるよう)次の選挙に向けて積極的に努力したい」と話した。

「自民党が“ブロガー記者会見”」より)

この記事を書いた岡田有花さんという記者を私は知らないが、「壁越しに聞こえてきた質疑」という記述から、GripBlogが問題にしている記者は彼女のことではないかと推測される。

ところで、何かと批判されることの多い既存メディアの記者だが、彼らは今、2つの相反する批判の板ばさみになっていると思う。一つは「目線が政治家など取材対象と一体化し、市民の立場から離れている」というもの。もう一つは「新聞記者ってなんで無知なの?」という批判だ。前者はネットユーザーを中心とする一般市民から、後者は「取材される側」や「専門家読者」から寄せられる。

ほとんどの記者がもとは「素人」である。最初は「市民の目線」を肝に銘じて取材に臨むのだろう。しかし、世間は「当たって砕けろ」式の取材を寛容に受け止めてくれる取材相手ばかりではない。せっかく時間を割いて取材に応じたのに「そんなことも知らないのか」ということが多ければ、「取材される側」が立腹するのは当然だ。

そうした経験を積めば、記者は自然と取材対象について勉強するようになる(例外もいるだろうが)。勉強すれば知識量は増え、取材先から重要な情報を引き出すことにも成功するかも知れない。専門家読者から冷笑される屈辱の機会も減るだろう。

しかし一方で、知識が増えれば増えるほど「この問題は素人が考えるほど簡単じゃないな」という現実が見えてくるのはどの業界も同じことだ。知識量の増加と反比例するように「素人の視点」は失われていき、やがてプロ記者の言動は、官僚や政治家のそれと同じ発想に染まっていくことになる。

取材者にとって、それは「永遠のジレンマ」である。

その点、GripBlogの強みは、質問を自分で考えるのでなく、ブログ読者に「丸投げ」していることだ。この方法なら取材者の姿勢が問われることは少ないし、「勉強不足」を責められる心配もない。むしろ逆に周辺からは「ネットの双方向性を最大限に活用している」と賛辞を送られるだろう。

ただ、人間だれしも物事を知れば、それなりの「印象」や「心証」を持つものだ。いくら中立を装っても、言葉の端々にその人なりの「私見」は滲み出る。まして政治問題を扱うのなら、語る人の立場によって真正面から意見が対立することは覚悟しなくてはならない。

中立を装い続けることが、果たして読者に対する「誠実な態度」と言えるかどうか。その辺りを真剣に考え、結論を出した先に、GripBlogの新たな展開が待っているような気がする。それによって捨てるものもあるかも知れないが、プロに一歩近付くとは実際、そういうことなのではないか。[了]



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8 コメント

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お邪魔します^_^ (某S)
2005-08-31 21:31:21
初めまして。思慮深いエントリーでした。彼女が中立であるなんであれ、問題提議をすることに意味があるのでは無いかと思ったりします。
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どうも (山川草一郎)
2005-08-31 23:35:16
某Sさん、コメントをありがとうございます。同感です。特に今回の一連の衆院選取材では問題提起というか、議論や判断の材料を提供することに徹する狙いがあったと思っています。編集されていない素材を提供することはブロードバンドならではの特長で、読者にとっても有意義だと思います。



ただ、取材後の感想には、各政党、各政治家への好感度の差が出てしまっています。ご本人は読者を誘導する気などサラサラないでしょうが、テーマがテーマだけにその疑いを招きかねない。そのリスクを避けるためにも、「私の立場はこうです」「政治とはこうあるべきだと思っています」と書いた方が、かえって公平性が担保されるのではないかと思うのです。



テレビキャスターと同じで、客観報道を装って、ニュースの合間に個人的感想に過ぎないようなコメントを入れると、信頼性を問われてしまうのではないかと。



確固たる政治理念を書け、と言っている訳ではないのです。「小泉さんには熱意を感じるけど、言葉だけのような気がしています」とか、基本的なスタンスでもいいのです。「このブログ主はそういう考え方の人なのか」と分かった方が信頼性は増すというのが、私の考え方なのです。



それを知って「考え方が違うな」と分かって去る読者もいるかも知れません。でも、たとえ既存の支持基盤を失っても、新たな支持層はきっと見つかります。頭に「保守系」と銘打った当ブログなんか、その時点で去ってしまう人が多いと思いますが。

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なんか、 (katshi)
2005-09-01 02:22:40
GripBlogの作者を「一段高い所から見下ろ」すような書きぶりだと感じて違和感を覚えるのは私だけですかね。。

以前にくだんのブログのコメント欄で、当の泉さんを脇に置いて「荒れた」時の印象が先入観としてあるのかもしれませんが(いや、多分そうなので、このコメントはその分を割り引いてご理解ください)、このエントリーも、ご自身の心象に合わせて事実を切り貼りするような強引さを感じますよ。
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どうも (山川草一郎)
2005-09-01 10:39:56
katshiさん、コメントをありがとうございます。脇においたつもりも、荒らしたつもりもありませんが、第三者の読者がそう感じているようなので、先方に書き込むのはやめました。今回のエントリについて「失礼だから誤れ」といわれるなら謝りましょう。ただの感想ならひとつのご意見として承りましょう。
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Unknown (webstar)
2005-09-03 02:35:23
マスコミの記者のことで、壁耳してた人のことではないらしいです>威圧感

でも読み直してみても「一段高い所から見下ろしてる」というのは壁耳してた記者のことを言ってるような…

どっちでもいいですけど。

僕もマスコミ=悪、それ以外のフリー=正義

みたいな構図は嫌いじゃないですし

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気持ちの持ちよう (山川草一郎)
2005-09-03 14:14:50
大勢の記者やテレビカメラに囲まれて、撮影されたら、威圧感を感じるのは当然の心理です。一般市民でも「怖い」と思うでしょうし、「自分はジャーナリストだ」という気負いがあれば当然、張り合う気持ちも湧き上がるでしょう。



そんなことは、GripBlogさんが問題にしているような「既存メディアの姿勢」とは本質的に無関係だと思います。この日の懇談には元産経新聞記者の方が出席していたそうですが、おそらくこの人なんかはテレビカメラに撮影されても威圧感すら感じなかったことでしょう。



要は「気持ちの持ちよう」なのです。「大手メディアがなんだ」と相手にしない心意気があれば、さほど気にならないようなことも、大手メディアに対抗心を持っていれば「見下されている」という心理に陥ってしまう。



こだわる気持ちが、相手を実態よりも巨大に、より威圧的に見せているのでしょう。「見下されている」のでなく「見上げてしまっている」というのが実態に近いのかも知れません。



大手メディアの記者だったら腹立たしいことでも、それが実はネットメディアの記者だったと後で分かったら、途端に受け止め方も変わる。それは当然といえば当然でしょう。



PS

上記エントリーとコメントで、GripBlogさんの中立姿勢を問題にしているように受け止められたかもしれませんが、インタビューの一問一答をそのままアップしたり、取材映像を編集せずに流したり、というGripさんの試みは重要なことだと思っています。



それは、紙面や時間枠の制約を受ける既存メディアには出来なかったことで、既存メディアを補完する機能を果たしていると思います。判断材料の提供に徹するのなら中立でいいと思っています。



一方で、取材対象を批判したり、評価を加えたりするのなら、あらかじめ自分の考え方を明確にしないとフェアじゃない。中立なら中立、論評なら論評。どちらかを明確に選択すべき時期ではないかと思うのです。



私は個人的に、Gripさんは中立的な素材提供の方が向いていると思っていますが、ジャーナリストを目指すGripさんは、それだけでは飽き足らなくなっているように見受けられます。



もともと批判精神も旺盛な方のようなので、そちらへ一歩踏み出すのは、それはそれで結構なことだと思うのですが。

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GripBlogの政治スタンス (山川草一郎)
2005-09-07 20:53:01
GripBlogさんの政治スタンスが段々明確になってきたと思う。特に社民党・福島党首の街頭演説に関するエントリーは明快だ。以前なら最後に「他の党首も頑張って欲しい」とか中立を強調する補足が付いていただろう。



Gripさんがgooの衆院選特集に寄稿した文には「政治と言えども、それを動かすのは人」「その人の打ち出す政策を真剣に聞こうと思うかどうかは、やはりその人のルックスや人柄によるものが大きい」と書いていた。



既存メディアは見落としがちだが、「ルックスや人柄」は選挙の重要な要素だろう。インテリ識者は「政策で判断すべきだ」というけれど、実際に投票するのは多くが大衆である。マスメディアが「政策、政策」と言えば言うほど大衆から離れて行っているのかも知れない。



Gripさんは続けてこうも書いている。「本来それ(=ルックスや人柄)を伝え、国民が政治を身近なものだと感じ、考えるきっかけ作りをするのはメディアの仕事ではなかったでしょうか。ところが、そのメディアが政治家や政治を高いところへ担ぎ上げて、一般の人からかけ離れたものとしている。それは、メディアの目線が一般の人の場所まで下りて来ていないからではないかと思えてならないのです」



私は、今回の小泉首相の<郵政民営化を争点とした衆院解散→反対派議員の非公認→賛成派候補の擁立>という一連の行動を純粋に現実的な政治手法だと思ってみていたが、マスメディア(特にテレビ、ワイドショー)は「すごいことをやるな」と驚き、騒いでしまった。



騒ぐのはいいが、その報道ぶりが識者から批判を浴びると、今度は一転して「小泉劇場に惑わされるな」と真面目な顔して、マニフェストだ、年金だ、憲法、イラクだと野党の主張に乗っかってしまった。



自分たちで勝手に騒いでおいて、首相が仕掛けた「小泉劇場」と総括するのはいかがなものだろうか。



それはともかく、GripBlogさんは「小泉劇場」的な報道を容認しているようだ。政策よりも党首のキャラクターに焦点を当てた報道が必要なのに、マスメディアは大所高所の視点に陥っているのではないか、と批判している。



これは一般的なマスコミ批判とは180度反対の立場に思える。福島党首の堂々たる振るまいにGripさんは「同じ女性として手放しで尊敬する」と書いている。読者からも好意的な反応が寄せられている。政策よりも人柄。そう思っている読者、視聴者は意外に多いのかも知れない。

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Unknown (コピペdeスマソ)
2006-06-10 12:47:22
彼女の行動力やエントリーは面白く思い、一定の評価もしていましたが、美也子さんが聞かれている意味での「支持していた」というのとは違うと思います。あの場にいっとき現れた力を好ましく思い、それに泉さんも含めた我々が突き動かされていたこと自体をエンパワーしたいと考えていたのです。「読者を巻き込み、そのパワー自体をコンテンツとする」というのは、そういうことです。読者からの質問を棒読みすることでは決してありません。その意味では、テーマ選びを含め、さまざまな局面で主体性が欠けた部分があることさえ、美也子さんとは違って、積極的に捉えていました。

※無論こんなことは後付けの今だからこそ言えることですが。。

そうしたことをプロの目から見れば、「危うい」というのは自明だと思います。しかし、もしそこに担保があるとすれば、まさにそれは、彼女が読者とのやり取りを保証していた、ということだったのではないでしょうか?

しかし松永さんの一件以来(その前から兆候があったと言えば、それはそれで確かなのかも知れませんが)、それが崩壊しました。しかも、彼女自身の行ないによってです。だからそれに声を挙げる必要があったのです。

これは結果責任です。それまでの経過を許していたということの。。そしてそれを指して、強いて言えばそこに個人的な責任があり、痛みもあったと述べた訳なのです。

Posted by katshi at 2006年06月10日 09:51

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