山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

2つの不幸な対面

2005年07月25日 | 社会時評
『ぷちナショナリズム症候群―若者たちのニッポン主義』(2002年,中公新書ラクレ)などの著作で知られる精神科医の香山リカ氏が、地方紙向けの論考記事で靖国問題について次のように書いている。

昨今は、日本の人々の気質に「感情優位主義」あるいは「涙優位主義」とも言うべき要素が加わっているようにも思う。北朝鮮の拉致問題と同様、この靖国問題を議論するのが難しいのは、そこに「子や親を思う家族」の存在が見えるからだ。

戦死した兄が祭られている靖国神社を時の首相が参拝してくれるのはありがたい、と涙ながらに語る遺族のことばを、誰も否定することはできない。本来なら、その家族に同情し共感する感情と、A級戦犯が合祀(ごうし)された宗教法人施設を首相が参拝することの是非を問う問題とは、別次元で語られるべきだ。

ところが、首相の参拝に反対することはすなわち、戦争で命を失った人の遺族の感情を踏みにじることと見なされてしまう傾向がある。

これまた同列に扱うのは不謹慎と言われるかもしれないが、現実離れした設定の純愛ドラマが「泣ける」と人気を呼んでいることと、靖国参拝を肯定する人たちが「あの遺族の涙を見よ」と言うことの根底には、共通するものがあるのではないか。

靖国問題に対する立場は正反対だが、私はここに述べられた内容に妙に納得し、共感を覚えた。ひとつ見解の異なる点を挙げるとすれば、日本人の「感情優位主義」を「昨今」の傾向としていることだろうか。

こと戦争に関しては、「理」より「情」が優先される傾向が、日本には昔からあったと思う。戦前は日露戦争で多くの血が流れたことが、満州からの撤退を拒む人々の論拠とされた。

戦後も、一時期までは、戦災を体験した人々や、戦場を体験した人々の「反戦」の声が、反動保守の声を封じ込めていたが、近年は逆に、日本遺族会や拉致被害者家族会、救う会といった人々の声に、より多くの人の共感が集まっている。

これらは、どれも立場の異なる「感情優位主義」と言えるのではないだろうか。

たとえば、「靖国は国家が個人に死を要求する最終装置であり、国家が戦争をするための施設だ。そんな施設はいらない」という意見に対して、香山氏の論考を応用すれば次のように言うこともできるだろう。

戦死を強要する神社を時の首相が参拝するのは許せない、と語る遺族のことばを、誰も否定することはできない。本来なら、その家族に同情し共感する感情と、国家が不幸にして亡くなった兵士を慰霊することの是非を問う問題とは、別次元で語られるべきだ。

ところが、首相の靖国参拝に賛成することはすなわち、戦争で命を失った人の遺族の感情を踏みにじることと見なされてしまう傾向がある。

私は、戦没将兵を弔うことは国家の責務であり、同時に、二度と靖国神社を戦争に利用させないよう努力することも国家の責務であると考える。冷静に考えれば、この2つは必ずしも矛盾しないと思うのだが、しかし、前段部分を表明した段階で、戦争体験に基づく反戦論からは厳しい「お叱り」を受けてしまう。

「大東亜戦争肯定論」であっても、「反戦」であっても、「戦争の記憶」に関する当時者の言葉は往々にして反対者との冷静な議論を封じ込めてしまう。その行為が悪意でなく、善意によるものと分かるだけに、「黙って生き残った者の声に耳を傾けよ」という怒りの言葉は、投げ掛けられた者の上に重くのしかかる。

ある有名大学で教鞭を執っていた教授から、こんな話を聞いたことがある。近代日本政治史を専門とするその教授にある時、民間企業を勤め終えた後、戦前の日本政治史をライフワークとして研究しているという老紳士から、「若い学生諸君の前で是非とも講義をしたい」という申し出があった。

教授は学部での講座を持っていなかったので、老紳士を大学院の研究室に招待することにした。後日、大学院に在籍する研究者を前に老紳士は、太平洋戦争に至った政治過程を克明に語って聞かせた。講義は、教科書的な著作を引用したありふれた内容で、若き研究者の耳を引き付けるような目新しい発想や着眼点はなかった。

大学院生たちは、老紳士の熱意に敬意を払いながらも、アドバイスのつもりで論理的な矛盾点を指摘し、参考になると思われる一次史料や専門論文を二、三紹介した。老紳士はこの助言を大層不快に思い、退席してしまったそうだ。

戦争を体験した世代である老紳士は、孫ほどの年代の青年から助言を受けたことに、いたく自尊心を傷付けられたのではないだろうか。「戦前」を生きた者として若者たちに語り聞かせたかった老紳士と、「戦前」を研究対象とし、学術的アドバイスをしたつもりの大学院生。両者の衝突は、悪意の介在しない「不幸な対面」であったと言うよりほかにない。

「過去の戦争」を政治学的アプローチから論じようとすれば、その視点は当時の政治当局者たちと同じ高さになりがちだ。そうしたアプローチでは、政治家たちの決定によって実際の戦場で何が行われ、どれだけの犠牲が払われたか、は主たる論点にはなり得ない。

一方、「戦争」は政治学だけの専門領域ではない。社会学や人文学にとっても、重要な研究対象である。兵士の遺書や、戦災に関する名もなき庶民の記録をもとに、「戦争とは何か」という哲学的テーマに迫ろうとする者にとって、大所高所から「外交の延長としての戦争」を論じる政治学者たちの姿勢は、時に議論を弄ぶ不謹慎な態度として映るに違いない。

自然科学や(一部社会学を除く)社会科学では、「結論」こそが最重要の目標とされる。究極の結論を得るために、科学者は仮説を立て、論証を集め、論理的構成に基づいて仮説を裏付けようとする。検証過程がどんなに困難であっても、結論が得られなければ公表に値しない。

一方、人文学や社会学の分野では「結論」は、さほど重要とされない。哲学に正解はなく、哲学者は真理を探求し続ける過程、姿勢、想像力こそが評価される。哲学者にとって、「戦争とは何か」はあまりに大きなテーマであって、簡単に答えの出せる問題には思えないはずだ。

人文学者の目には、結論を急ぐ政治学者の姿勢は、「軽率」に映るに違いない。たとえば「国家による兵士の鎮魂はどうあるべきか」といったテーマは、政治論としては明確だが、哲学者にとっては、鎮魂されるべき個々の戦争体験にまで立ち入らなくては到底、答えの出せるものではないだろう。

だから、ある哲学者は、簡単に答えを出してしまう政治学者に不信感を抱き、別の者は「膨大な個々の戦争体験を一体、どう考えるのか」という疑問を抱くことになる。

これに対し、政治学者にとって、戦争とは「個別の戦争体験」ではなく、「外交の失敗」を意味する。個別の戦争体験といった具体論に分け入ってしまえば、結論は曖昧にならざるを得ないから、「戦場」は抽象化され、そこに至る政治決定にこそ焦点が当てられる。

その視線は言ってみれば「俯瞰」であるから、国家によって翻弄される庶民の姿は、無視される傾向にある。具体論に迷い込めば、物事の本質を見失い、結果的に結論を抽象化してしまう、というのが政治学者側の言い分だ。

小熊英二氏の大作『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』(2002年,新曜社)が、一部で高い評価を受けながらも、政治学会では黙殺に等しい扱いを受けたことは、このことと無関係ではないだろう。

「論理性」と「結論」を重視する政治学と、「個々の情景」と「思考の過程」を尊重する人文学。両者の議論は永遠に噛み合わないに違いない。もう一つの「不幸な対面」が、ここにある。(了)


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