山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

朝日新聞に会見を要求しよう

2005年09月07日 | メディア論
実にもっともな意見だと思う。朝日新聞の記事捏造事件をきっかけに新聞社の体質を厳しく批判したGripBlogのエントリーのことである。記事捏造が発覚したのに「どうして朝日新聞は記者会見しないのだろう」という素朴な疑問。そこからさらに発展して「マスコミ各社にも記者クラブが必要では?」という問題提起。いずれも同感である。

正直に言うと、GripBlogの筆者が書く批判的意見には共感できないことが多い。申し訳ないけれども、中にはあまりに表層的で「印象論に過ぎないのでは」と疑問を感じるものもあった。(たとえば自民党ブロガー懇を取材した大手メディア記者への批判。「目つきが威圧的」と言われても彼らだって困るだろう)

ところが今回は違う。筋が通っているし、その問題意識には強く共感する。私も朝日新聞は記者会見を開くべきだと思う。信用が問われているのだから、自らすすんで情報開示すべきであって、「前例」に逃げ込むのは卑怯だ。

もちろん不祥事を起こした企業のすべてが会見に応じるわけではないだろう。記者クラブが圧力団体だといっても、法的強制力を持っているわけでもない。会見に応じるか、応じないかは「取材される側」の判断次第だ。

会見に応じなければマスコミに出来ることは翌日の紙面で「会見すらしなかった」と批判的に書くことぐらいだろう。実際、今回の朝日側の対応の悪さは他紙の紙面で批判されていた。

マスコミといえども、会見を拒否する相手に出来ることは、記事で批判することしかない。それ以上の権限は何もないのだ。会見しない朝日の態度は批判されて当然だが、「なぜ朝日新聞を会見に引っ張り出さないのか」と同業他社を非難するのは、少し酷な気がする。

とはいえ、朝日の記事捏造とその後の対応に対しては、同業者なら心から怒るのが本当だろう。新聞業界全体に「疑いの視線」が注がれているのだ。「捏造したい気持ちは分かる」と理解を示したり、「他社のことだから」と無関係を決め込む同業者がいるとしたら、その心境は理解しがたい。

朝日の「会見拒否」以上に、GripBlogの筆者が怒っているのは、「自分も捏造をしたことがある」と語った毎日新聞の磯野彰彦氏の次の記述に対してである。

お前はまったく情報をねつ造したことはないか、と聞かれたら、ある。例えば、「ある関係者は『「○○○○○○○○○』と述べた」という記事を書いた時に、何人かから聞いた話をごっちゃにして、自分の思い入れを加えて、記事の中で対比させるため、極端な表現にした。ねつ造である。発言者は実在しない。

これを読んで、GripBlogの筆者は「ちょっと引いた・・・」という。磯野氏には悪いが正直、私も「引いた」。

誤解のないように付け加えるが、磯野氏はこの記述に続けて、若手記者から「そんなことをしたら作文じゃないですか」と指摘され、議論になった経験談を書いた上で、今では「その若手記者の言うことのほうが正しかったと思う」と振り返っている。つまり非を認めているわけだ。

過去の過ちを告白した記述をつかまえて「そんな前科があったのか」と責め立てるのは心苦しいが、それでも初めて聞く人には「ちょっとした衝撃」ではある。

たとえば、こういうことならあり得るかもしれない。郵政民営化の争点について、次のような記事を書いたとする。

<賛成派が「財政改革にもつながるし、経済活性化を促進する。何より郵便局職員が公務員である必要がない」と主張するのに対し、反対派は「財政投融資制度は既に改革されているし、郵便局職員給与に税金は使われていない」と反論する>

ここに登場する賛成派、反対派の意見は、実はそれぞれ複数の議員に取材した結果を一つにまとめたものかも知れないが、読者にとってもそれぐらいは許容範囲ではないだろうか。

しかし、これを磯野氏の告白にあるように「ある反対派議員は・・・と語った」と書いたのなら、明らかに捏造だと思う。その人は実在しないのだから。この場合「ある」と書くか書かないかの違いは大きい。(もちろん、取材もせずに想像で書いた朝日記者の件とはレベルの違う話だが)

磯野氏によると「それでは作文じゃないか」と反発した若手記者は、今ではデスクになっているという。その当たり前の感覚が、現在の毎日新聞の「常識」になっていることを願ってやまない。

GripBlogの筆者は、磯野氏の記述から、このような新聞社の捏造行為は日常的に行われているのではないかと思い当たり、それを許してきたのは「マスコミを監視する記者クラブがなかったからではないか」との結論に至ったようだ。

報道するという力を持ち、「第三の(ママ)権力」とまで言われるマスコミ。それだけ大きな力を持っている機関を監視する記者クラブが、存在しないのはなぜでしょうか。

インターネット上では、激しいマスコミ批判は行われていますが、その中には事実とは乖離したものもあり、ネット全体の信憑性も問われています。でも、既存メディアを監視するのは、ネットメディアの役目ではないかと考え始めています。

だって、既存のメディアは自分たちを監視する記者クラブを自分たちの手で作ることができないわけですよね。だったら、ネットの人たちでメディアを監視する記者クラブを作ればいいのにって考えてしまう。

マスコミを監視するネットメディアの記者クラブ。これは非常に重要な問題提起だと思う。もちろん記者クラブの存在理由は「監視」でなく「取材」だという異論もあろう。ただ、日常的に取材を受ける環境がその組織に緊張感をもたらし、不正を抑止する作用があるとすれば、結果として取材行為は「監視」機能を果たしていると言えるのではないか。

既存メディア各社はもっと取材を受けるべきである。従来、大手メディアを監視する役割は、雑誌やフリージャーナリストが担ってきたが、彼らはバラバラで団結しない。朝日新聞の捏造事件で言えば、社内の関係者に取材して証言を積み上げていくのが彼らのやり方で、社の幹部を会見の場に引きずり出す役割には向いていない。

しかし、社の責任ある立場の人から、事件に対する釈明を聞きたいと思うのは人情だろう。ならばネットでマスコミを批判している人たちが団結して、記者会見を開くよう圧力をかけてみてもいいのではないだろうか。

GripBlogが想定するような実態のある記者クラブでなくてもいい。ネット上にバーチャルな「記者クラブ」をつくり出し、さまざまな分野のブロガーを結集させてはどうか。その中で相当数のブロガーが特定の取材対象に対して問題意識を共有できたなら、幹事が代表して取材交渉をすればいい。

取材交渉の結果、記者会見の場を設定できたならば、ネット上で日時と場所を告知し、参加を呼び掛ける。IDを発行して会員のみにメールで通知してもいいだろう。いや、ひょっとしたら、既にGripBlogはそうした「ブロガー記者会」の幹事役を事実上、果たしているのではないだろうか。

今回の朝日事件でGripBlogの筆者が感じた「怒り」は、至極当然なものだと思う。もしその怒りが本気なら、同じ問題意識を抱くブロガーに呼び掛けて、朝日新聞社に対し、会見を開くよう交渉してみてはどうだろうか。その一歩をきっかけに、「メディアを監視するメディア」が生まれるとしたら、それは素晴しいことだと思う。朝日の失態も無駄ではなかったと思えるかも知れない。[了]



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15 コメント

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isono@maing.co.jp (上昇気流なごや)
2005-09-07 02:14:43
 毎日新聞・磯野です。少し説明をさせてください。

 私は自分が書いたことを取り消したり、撤回するつもりはないのですが、新聞の世界で「ねつ造が横行している」と書いたわけではないのです。意見の対立を際立たせるために、いくつかの発言を合体させて一人が発言したかのようにし、さらに、表現を強調したことがあった、ということを書きました。

 これを読んだGripBlogの泉さんが、新聞社では日常的に行われていると受け取り、引いたと受け取られたようなので、そう考えられては困るので、すぐに若干の補足をさせてもらいました。

 それら全体を読んでいただけるとありがたいです。そうしないと誤解が拡大していく心配があります。

 「ねつ造はあるし、私もやったことがある」という趣旨のことを私は書きました。しかし、それが「毎日新聞の磯野が、自身のねつ造体験を告白し、毎日新聞社内でも横行していることを認めた」かのように受け取られるなら、それは否定させてください。そういうことではありません。

 以上の内容は、山川さんが書いておられる朝日新聞に会見を要求しようという結論についてとやかく言っているのではありません。念のため。
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ネット記者クラブの可能性について (Aa@tracker's burrow)
2005-09-07 10:55:12
はじめまして。Aaと申します。

GripBlogさんの記事に関して私も考えたことがあるのですが、あちらでは激論が進行中ですし、考えたのは「ネットの記者クラブ」ということでこちらのお話に近いかと思いますので、コメントさせていただきます。

発想は別ルートですが、ネットの記者クラブ設立に関しては、私も可能性を模索しました。

結論から言いますと、作るなら、構成員はネット者に限るにしろ、定期的にリアルでの会合が必要だろうなと思います。別に全員が出席しなくてもいいんですが。まったくのバーチャルでは存続しえないだろうなと。理由はもっぱらのところ「信頼関係」及び「責任の所在」です。

・・・話は飛びますが、自民党のブロガーの懇談会も、私はこの延長で可能性を模索しています。つまり、自民党とネット記者団の定期会見にすればどうかと思っているのです。



今回、GripBlogさんは取材を宣言されましたが、どうなるかは興味深いですね。最終目標は朝日に会見を開かせること、になるかと思いますが・・・。壁は厚そうです。

ともあれ、そちらについては私もGripBlogさんの方で議論に参加したいと思います。



山川様のブログは「自民との懇談会」をきっかけに拝読しています。

この機会に一度ご挨拶をとも思い、しゃしゃり出ました。

ご挨拶する順序が逆になりましたが、どうか今後ともよろしくお願い致します。
返信する
ありがとうございます (山川草一郎)
2005-09-07 11:27:50
上昇気流なごやさん、コメントをありがとうございます。



>新聞の世界で「ねつ造が横行している」と書いた

>わけではないのです。



その点は私も理解しているつもりです。そうした手法が「横行」してはいないことは、現に若手記者から疑問が出され議論になったことからも分かります。そして磯野さんご自身も今ではその若手記者の意見が正しかったと思っていることも。



GripBlogさんは「あの真っ当で紳士な磯野さんでさえやっているのだから…」と新聞業界全般の問題に普遍化しているようですが、私はそのような行為が毎日新聞や新聞業界内で「横行」しているとは思ってませんし、そうは書いていないつもりです。



私のエントリーについて、GripBlogにコメントされているようですが、これについても一言。



>記者クラブは廃止すべきだという考えの人たちも

>います。山川さんは確かそうだったはず。



私の記者クラブに対する考え方は若干、変化してきていますので、継続的にエントリーを読んでいただく必要があるのですが、基本的にはその通りです。



>そういう人たちが「記者クラブを作ろう」とおっ

>しゃるのはどういうことなのだろうかと。



私は他の批判者と違って、フリージャーナリストが記者クラブに入れないことを問題にしているわけではありません。むしろそういう意見には批判的です。「既存の記者クラブに入れないなら、新たにフリーの記者会をつくればいいではないか」と何度か書いています。



今回、私は「GripBlogさんが朝日新聞の会見拒否を問題だと思うのなら、ネット記者会を結成して会見を要求してはどうか」と書きました。今までの見解と矛盾しているでしょうか?



もちろん記者クラブは解散するのがベストですが、そうでなくても行政や企業といった「取材される側」が記者クラブ外からの取材にきちんと応じれば、ほとんどの問題は解消すると思っています。



現に自民党はGripBlogさんの取材に応じました。「記者クラブが…」というのが婉曲な「取材お断り」表現でしかないことは、はっきりしつつあります。



官庁や企業・団体が、記者クラブ外メディアの取材を受け入れるようになれば(本来、受け入れるべきなのですが)、フリーやブロガーが既存の記者クラブに入れなくても何ら困ることはない。問われるべきは「取材される側」の姿勢ではないでしょうか。



だから私が問題にしているのは、記者クラブの「閉鎖性」でなく「非効率性」の方なのです。



記者クラブ制度は、官庁の情報公開が十分でなかった時代には一定の意義があったと評価していますが、官庁や企業が積極的に情報発信する現代では、大量のプレスリリースの処理に人員をとられてしまい、本来、読者が必要としているような取材がおろそかにされているのではないか、という問題意識です。



日本の新聞は「情報をとってくる」ことに比重を置き過ぎだと思います。重要な情報を取ってくるには、取材相手に接近しなくてはなりません。たいてい重要な情報を持っているのは権力者です。新聞記者が権力に接近すればするほど、読者の視点から離れて行きます。



諸外国には見られない記者クラブという制度が日本にここまで根付いたのは、諸外国では第一報を速報し、各社に分配する「通信社」が機能しているのに対し、日本では新聞テレビ各社がその通信社と競争している状況にあるからではないか。私はそう考えました。



権力に接近して情報をとってくる「第一報」作業は通信社に任せて、新聞各社はその一報を受けて、独自の視点で取材を深めて行くのが本来あるべき姿ではないかと。速報合戦よりも、ニュースに対して読者とともに怒り、喜び、悲しむ姿勢が新聞社には求められていると思うのです。



今までに書いたことの繰り返しになりましたが、記者クラブ制度に対する私の考え方は、だいたいこんなところです。今回のエントリーで書いた「ブログ記者会」について、磯野さんは「名称が旧来の記者クラブと紛らわしいから変えたほうがいい」とおっしゃる。全く異存はありません。単なる提案であって、この名称にこだわる気はないですから。

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同感です。 (山川草一郎)
2005-09-07 11:51:19


Aa@tracker's burrowさん、はじめまして。コメントをありがとうございます。



>結論から言いますと、作るなら、構成員はネット者

に限るにしろ、定期的にリアルでの会合が必要だろう

>なと思います。

>別に全員が出席しなくてもいいんですが。

>まったくのバーチャルでは存続しえないだろうなと。

>理由はもっぱらのところ「信頼関係」及び

>「責任の所在」です。



そうですね。定例オフ会は必要かも知れません。私のイメージでは、そのようなバーチャル記者会は、既存記者クラブのように取材対象ごとに(たとえば警視庁、首相官邸、東証とか)につくるのでなく、さまざまな問題を扱う巨大なポータルサイトです。



無数の社会問題を扱うブログが、このポータルを通じてリンクでつながり、相当数のブロガーが「取材が必要だ」という認識で一致した場合に、幹事が代表して取材交渉にあたるという…。あまりに巨大になりすぎると、定例オフ会も難しくなるかも知れませんが、その場合は有力ブロガーが常任幹事を買って出てくれるでしょう。



>自民党のブロガーの懇談会も、私はこの延長で可能性

>を模索しています。つまり、自民党とネット記者団の>定期会見にすればどうかと思っているのです。



これは全く同感です。重要なのは「定例化」することだと私も考えています。

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巨大化の中の細分化という方法 (Aa@tracker's burrow)
2005-09-07 13:01:52
こんにちは。

もう少しお話続けさせていだいて、よろしいでしょうか。



>既存記者クラブのように取材対象ごとに(略)につくるのでなく、さまざまな問題を扱う巨大なポータルサイトです。



私も取材対象ごとに作る必要はまったくないと思います。

ただ、本当に総合的に、一つにまとめてしまうことについては危険性も感じます。

それは、それこそ既存の記者クラブみたいに独占権益になってしまうとか、匿名の批判が集中して「炎上」する対象になってしまうということですね。

ネットというのは批判精神活発なところですから。まあそれは功罪ありますけど。



「リンクでつながる」という部分には可能性を感じます。

しかしこれもただ巨大化すればいいというものなのか・・・。エントロピーの増大じゃないですけど、巨大化すればしただけの問題点も、新しく出てくると思いますね。



ここで一つ私が可能性として考えているのは、「取材対象ごと」ではなく「問題ごと」にまとまる、という方法です。

例えば今回の朝日問題とか。これを問題だと感じた人(ブロガー)がぱっとまとまり、集団でしか出来ない取材を行い、一区切り付いた段階でさっと解散する。追加取材を行いたい人は行えばいいが、それはもう個人の領域に移行する。ただし経過や記事はアーカイブとして末永く残す。

それを問題ごとに繰り返していくという方法です。



これは実際に、映画の字幕問題において用いられている手法です。

「字幕問題改善室」というポータルな会議室があります。

http://miyako.cool.ne.jp/cgi-bin/jimaku/bbs.cgi

ここでは、映画ごとにその字幕を問題だと感じた人がスレッド単位で集まり、ある程度(やる気のある)人数が集まったところで手分けして検証作業を開始、同時に署名も集めて配給会社に提出、そして映画がDVDになった時点でどの程度字幕が改善されたかを検証、それを最後にその件は解散。ということが繰り返されています。

一つ、参考になるかと思います。



自民党の件、「定例化」をポイントに考えておられる方が他にもおられて安心しました。

私も今後、この方向性で働きかけていきたいと思います。
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継続が力を生む (山川草一郎)
2005-09-07 15:43:20
Aa@tracker's burrowさん、コメントをどうも。



>ただ、本当に総合的に、一つにまとめてしまうこと

>については危険性も感じます。

>それは、それこそ既存の記者クラブみたいに独占権

>益になってしまうとか、匿名の批判が集中して「炎

>上」する対象になってしまうということですね。



炎上の危険性は分かるのですが、「独占権益」になってしまうという危惧はよく分かりません。ほかにも2つ、3つ、似たようなサイトができてもいいのではないでしょうか。



>ここで一つ私が可能性として考えているのは、

>「取材対象ごと」ではなく「問題ごと」にまとまる、

>という方法です。

>例えば今回の朝日問題とか。これを問題だと感じた

>人(ブロガー)がぱっとまとまり、集団でしか出来

>ない取材を行い、一区切り付いた段階でさっと解散

>する。



なるほど一つの方法論としてはあり得るでしょうね。機動的だし、これならすぐに実現できるかもしれない。一方で「定例オフ会」を通じて相互の信頼を培ったり、責任の所在を明確化したりする面では弱さもあると思います。この弱点をどう担保するかでしょう。



相手が会見要求に応じるかどうかは、取材を申し込む側の「権威」やそれに伴う「影響力」が大きな要素を占めると思います。その意味では、その場限りのチームではやや迫力不足な気もします。



ある程度、固定化した組織で実績を積み上げ、世間から認知されていけば、読者数という「圧力」効果が生じます。そうなるにつれて取材機会を得ることも容易になっていくだろうと。自民党ブロガー懇と同じように「継続こそ重要」ではないかと思うのです。
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朝日が会見した (山川草一郎)
2005-09-07 20:17:05
箱島新聞協会会長が辞任へ 朝日虚偽取材メモで引責



 朝日新聞社相談役で日本新聞協会会長の箱島信一氏(67)は7日、朝日新聞が虚偽の取材メモに基づき誤った総選挙の記事で「ジャーナリズムの信頼と名誉を傷つけた」として、新聞協会会長を引責辞任すると表明した。また朝日新聞社取締役も同時に退任する意向を示した。(共同通信) - 9月7日19時42分更新



共同電によれば、秋山耿太郎朝日新聞社社長は発覚当初に記者会見しなかったことについて「メディアの説明責任に対する認識の甘さがあった」と謝罪したそうだ。社長辞任は否定したという。



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Unknown (Aa)
2005-09-07 21:15:54
こんばんは。

少しだけ補足させて下さい。

前の投稿のタイトルを「巨大化の中の細分化という方法」としたように、私はまず総合的なポータルサイト(多分リンク集という形になる)があって、その中に事件ごとにテーマを追うグループ(掲示板かな)があればいいと考えています。

総合的な部分で信頼と継続性とオフ会を保障し、個別の議論や批判(もちろんそれは有益な意見ともなる)を受けとめるのはグループ毎という考え方です。



そのポータルレベルで2つ3つ並立することについては・・・ちょっとまだ考えがまとまりません。もちろん作るのは自由ではあるんですけど、「並立した方がいいかどうか」という理論として考えると、どーかなーという気がします。



「独占権益」はその話の延長線上にありますね。私はポータルはおそらく一つになるだろうと考えていたので。



まあこれは青地図です。考えておくことには意味があると思いますが、もちろん実際に動き出してみないと分からない部分は多いです。



有益なお話、どうもありがとうございました。

あ、ちなみに私の名前は「Aa」だけでいいです。これだけだと短すぎるというか、ぱっと見あまりにも適当に見えるので・・・。所属(ブログ名)を後につけていました。ハンドルはもうちょっと考えて付けた方がいいという例です。ハイ。
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了解です (山川草一郎)
2005-09-08 11:52:18
Aaさん、補足コメントをどうも。イメージは私もだいたい同じです。そのようなポータルは一つで十分だと思いますが、「独占権益」が生じる懸念があるのなら、2つ、3つあっても別に問題はないと思います。(独占権益については具体的にイメージできませんが)



理想型は「建設的な2ちゃんねる」といったところでしょうか。怪しげな情報で誘導したり、誹謗中傷して楽しむのでなく、実際に会見を申し込み、取材するサイト。規模が大きければ大きいほど、社会への影響力も増すので、その分、相手が会見に応じる確率も高まると思います。



このようなサイトが出来れば、ネット上のマスコミ批判は、もっと健全な形に変わるのではないでしょうか。それは既存メディア側にも意味のあることだと思っています。



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失礼しました。 (上昇気流なごや)
2005-09-08 14:07:50
 前回の私の書き込みについて。山川さんの発言をずっとトレースしていたわけではないので、若干決めつけてものを書いてしまったようです。その点はお詫びします。泉さんにお目にかかる前に、山川さんの発言もざっと目は通したつもりですが、十分とはいえません。ある時点の発言を、しかも、ごく一部だけ引用して、その人の考え全体であるかのように論評することは、あってはならないことだし、私自身もそうされるのはいやですから。

 それから現在GripBlogで展開されている議論は、泉さんがそこまで意図したかどうかはわかりませんが、マスコミ以外からの記者クラブ批判に対し、これまでほとんど沈黙してきた現役の記者たちが、その指摘はおかしいのではないかと、丁寧に反論し始めたという点で、意味があるように思います。かなり珍しいことなのではないかと。個人的な印象ですが。
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