毎日が山のこと

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ダケブキ大群落、28年前の日光白根山(1995年8月27日)

2023-08-30 16:07:16 | 山日記

男体山に登って日光白根山の記録も残しておこうと思っていつ行ったのか調べてみた。

1995年8月だった。もう28年も前、48歳の時だ。

もちろんデジカメの時代ではないのでプリント写真なのでスキャンしてデジタル画像に変換した。

一度記憶を頼りにこれを書いて投稿したが、その後ワープロで記録を書いていたことを思い出したのでそれを読み直して書き直した。

 

この時は、前夜夕食をすませるとすぐに出発し、途中のコンビニで朝食と昼食用におにぎりやサンドイッチを買い込んだ。

関越道の沼田から尾瀬への道に入り、途中から金精峠へ向かった。街灯もなくなり、漆黒の闇の中を走る。

菅沼登山口の駐車場で車中泊。夜空には天の川が浮かび、白鳥座の十字がすぐに見つかった。

 

歩いたコースは菅沼から座禅山のふもとをかすめて弥陀ヶ池、白根山、前白根、金精山とめぐり、金精峠から菅沼に戻った。

結構がんばって歩いている。まあ、まだ若かったし、早朝出発で時間的にも余裕があった。

 

夏休み中とあって夜中まで走る車の音とライトで時々起こされたが、ふと気が付くと朝の5時をまわっていた。

お湯を沸かして紅茶を入れ、サンドイッチで朝食。5時20分出発した。

 

駐車場のはずれの林道にも車がたくさんとまっていてテントもあった。

 

夏も終わりの8月27日だったけど、花がたくさん。

ハンゴンソウだろうか。

 

カニコウモリらしい。当時は花の名前もあまり知らなかった。

 

マルバダケブキが一面にみられるようになった。これは名前を知っていた。

 

急斜面のジグザグの登りを終えると弥陀ヶ池のほとりに出た。

池の向こうにはこれからめざす奥白根山がどっしりと見える。

 

 

池のそばの斜面にはマルバダケブキの大群落。

 

池のほとりから山の斜面までマルバダケブキが覆いつくすように咲いていて、まわりは電気柵で囲まれていた。

最近のヤマレコなど山行記録の写真を見ても、同じ時期でもこんなに咲いている写真は見かけない。

防護処置もむなしく、鹿などの食害で数が減ってしまったのかもしれない。

 

弥陀ヶ池から白根山と座禅山の鞍部にあがり、そこから白根山頂をめざす。

 

途中で一緒になった中年のご夫婦と前後しながら登っていくと、花の斜面から弥陀ヶ池を見下せるようになった。

奥は温泉ヶ岳(ユセンガタケ)。

若いころ金精峠を越えて温泉ヶ岳、根名草山をとおって加仁湯まで歩いたことがあったっけ。

東を見ると雲を被った太郎山も見えてきた。

 

見上げると頭上に大きな岩塊がせまり、なかなかの迫力だ。そして足元は火山らしく岩がごろごろ。

 

 

そろそろ頂上台地の一角にたどりついたようだ。

 

かなり登ってきたところにもハンゴンソウらしいき花がたくさん。

それにしても花が豊富な山だったんだなあ。

 

山頂は広い火口原といくつかのピークでできている。

 

2578mの山頂に到着。弥陀が池から登ると2つ目のピークが山頂だった。

 

まだ朝の8時だが、コンビニで買った海苔巻きとお稲荷の寿司を食べた。

かなり汗もかいていたので、お湯を沸かすのはやめて水を飲んだ。

ところがポリタンの周囲が濡れている。よく見たら、プラスチックのふたが劣化してひびが入っていた。

休憩していると、それまで雲に隠されていた男体山が姿を見せ始めた。女峰山も見えてきた。

 

この祠は山頂の祠。最近投稿されている山頂写真の祠と少し違うように思う。

新しくなったのだろうか。念のため9年前に登った時の写真と比べてみたらやはり新しくしたようだ。

 

山頂から奥白根の火口原とその縁にある祠の方へと下る。

そのあたりは富士山の須走のようなザラザラの道だった。

 

五色沼が見えている。右の岩の向こうが前白根山。

五色沼を囲む稜線を歩いて左端の五色山をこえて金精山へむかった。

五色沼避難小屋付近ではふたたびマルバダケブキが増えてきた。

避難小屋から五色沼の外輪山へと登り返し前白根山へ。そんなに長い登りではないのだが疲れてきて度々立ち止まった。

前白根から奥白根を振り返ると右手前に五色沼をしたがえてなかなか迫力のある姿をしていた。

この写真も撮ったのだが、このあたりでカメラが不調となり、このあとも写っていたかった。

前白根からうっかり湯元へ下りそうになったが、すぐに気が付いて五色山へとむかう。

金精山から金精峠への下りが最後の難所。尾根をはずれて丸沼側のほとんど崖という急斜面をくだり、その後トラバースして峠に飛び出した。

峠の祠は、20年前に温泉ヶ岳から加仁湯への旅でみたものと違ってコンクリート製になっていた。

最後、金精峠から菅沼まではそれほど急なところはなかったが、地質がもろいのか道が雨でえぐられ、石がごろごろしていた。

30年近くなると記憶もあやふやだったが、見つかった記録で確認してそれほど間違ってはいなかった。

12時40分、菅沼に戻り、車で湯元に出て風呂に入ってから帰った。


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