毎日が山のこと

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上野原の不老山(2022年12月7日)

2022-12-08 16:55:20 | 山日記

中央線の上野原にある不老山(839m)とその奥にある高指山(911m)を歩いてきた。

実は、前回投稿した秋山の桜井から矢平山と倉岳山の計画を実行しようとしたのだが、12月からバスが運休していることが判明。

急遽、同じ時間帯にある不老下行のバスに乗ったという次第だ。

バスは、上野原の町のある河岸段丘から鶴川の谷へと下り、旧甲州街道とわかれて仲間川の谷をさかのぼっていく。

この路線のバス停の名前は、ほとんどが〇〇下や〇〇入口だ。

それぞれの集落が谷の上の台地にあるからだ。

不老下のバス停も同じ。急坂を登った台地の上に桑久保西の集落がある。

今日は、ここから不老山、高指山、瀬渕山とまわって桑久保東にくだることにした。

実は、不老下から上野原へのバスは、午後の4時台までない。

だから、下山後は、中央線の四方津駅まで歩くか、権現山の稜線を利用して用竹にくだるしかない。

今日は、急なことなので、時間に追われないよう、桑久保東におりて駅まで歩くことにした。

谷底にある不老下のバス停から、急な道路を登ると広々とした畑が広がる台地に出る。

家々は北側にある山を背負うように山沿いに並んでいた。

朝のうちは冷え込んでいたが、風もなくて今日は暖かくなりそうな予感。

 

不老山の標識にしたがって、右斜めに折り返すように登っていく。

 

道は墓地へと続いていた。山里の墓地はおおむね日当たりのよい小高い南斜面に多い。

ここもそんなところで、木の隙間からは富士山も見えていた。

不老山への道は墓地の奥から続いていた。

 

山道にはいるといきなり落ち葉の洪水だ。

がさごそと音をたてながら歩くので、クマも近づいてこないだろう。

 

落葉樹林に続いてヒノキ林になった斜面をジグザグに登って行った。

ある程度登ると傾斜が少しゆるくなり、尾根に沿ってまっすぐに続いていく。

先が少し明るいと思ったら、階段の先に祠が見えている。

 

山の神の祠が木製の堂で覆ってあった。

なんの神様か書いていなかったが、地図をみると金毘羅さんのようだ。

木が切りはらわれていて明るい。

 

予想通り、富士山がすっかり白くなった姿を見せていた。

今日は空気が澄んでいるので、くっきりと見える。

 

ふたたび山道に戻り、歩きやすい山道を登っていく。

そんなに急なところもないようだ。

 

杉林になって少し傾斜が増してきたと思っていたら、前方が明るいピークになっている。

山頂の手前にある小ピークだろうと思って登っていくと・・・

 

そこが不老山の山頂だった。

 

明るく切り開かれた南東面からは上野原の町や遠く石老山や陣馬山が見えている。

広々とした桂川の谷の向こうには焼山から蛭が岳へと続く丹沢山地がおもったより高く立ちはだかっていた。

 

南西側は杉林なので富士山を見るには切り開きの斜面を少しくだる必要がある。

2つあるベンチのひとつに腰を下ろし、景色を眺めながら大福と栗風味のクリームパンを食べた。

本格的休憩にはまだ早いので、次のピーク、高指山へ向かった。

 

少しアップダウンもあり、足元のよくないところもあったが、それほどかからずに到着した。

こちらの山はほとんどが針葉樹林で、少し薄暗かったが、山頂付近だけは落葉樹になっていて太陽の光が入って明るかった。

 

やはりベンチが二つあったので、そのひとつでお湯を沸かし、カップラーメンをいただいた。

休憩後、再度地図を確認し、用竹にむかうか考えたが、やはりバスの時間を気にするのはいやなので予定通り瀬渕山に向かうことにした。

 

南東にのびる尾根は広々として足元は枯れ葉にあつくおおわれていた。

道がわかりにくい。

でも道の部分だけが少しくぼんでいるのでそれを目当てに尾根を外さないようにくだっていった。

 

標識らしいものは見当たらない。

ところどころに境界見出し票の赤い布があった。

でも、途中からさらにはっきりした道が姿をあらわした。

 

ヒノキ林に入って、尾根からはずれ右側の斜面に移ってジグザグに下っていく。

 

途中から道はさらに幅を広げ林道らしくなってきた。

そしてほかの林道と交わるところが和見峠だった。

この林道を左にすすめば権現山の山懐深くにある和見の集落にでる。

 

私は林道を右へとすすんだ。道の左側の岩の上にも瀬渕山につづく道があったようだが、わたしは気がつかないで林道をくだってしまった。

 

林道が舗装の道にぶつかったので、考えていたルートをはずしたことに気がついた。

しかし、この舗装の道も瀬渕山にむかっているようなので、その道をのぼっていった。

 

舗装といってもかなり簡易なもののようだ。

 

瀬渕山へむかってかなり急に登っている。

途中舗装が土で覆われているところでは、あきらかにタイヤがスリップした跡があった。

 

そして飛び出した山頂にはパラグライダーの発進場があった。

道の舗装はこのためだったのだ。

 

上野原の町が見えている。すぐ下には台地のうえに耕地が広がっている。

地図で確認すると芦垣というところらしい。田んぼもあるようだ。

どこから水を引いているのだろう。

 

山頂には神社があった。

日差しがあたたかい。それまで着ていたフリースを脱いだ。

お湯をわかしてコーヒーを入れた。

 

その前からは、木の枝にさえぎられながらも富士山が大きく見えていた。

今日は一日姿を見せてくれている。空気も乾いているようだ。

 

下りは神社の正面の斜面をジグザグにくだっていった。

 

上のほうは歩きやすい道だったが、くだるにつれて少しくずれも見られ、しかも落ち葉におおわれていて危なっかしい。

 

狭いトラバース道は、谷側は崩れ、山側から雨によって流されてきた土などでおおわれて歩きにくくなっていた。

 

でも瀬渕山とふもとの桑久保とは標高差で150m余りしかない。

心配するほどのこともなく無事山麓に到着した。

 

 

最近は山里の住宅も近代的な建物が増えている。

やはり古い建物よりは気密性も高くて、冬も暖かいはずだ。

 

里といっても河岸段丘の上なので、富士山がよく見えていた。

 

桑久保の台地から一度仲間川の谷にある桑久保下におり、どの道をたどって四方津に出るか地図で検討した。

地図を見る限り、一度不老下まで歩いて談合坂の台地にあがるしかないようだ。

でも歩きだしてみたら、途中に、地図には書いていないが台地の上にあがる車道があった。

そこをあがったところは、旧甲州街道の野田尻の宿跡だった。

今も古い家々が往時の雰囲気を醸し出していた。

 

野田尻から中央高速の下をくぐって、途中近道をして花坂を抜けて大野貯水池へとでた。

花坂も山間の静かなところ。畑地の斜面の中に数件の農家が点在していた。

 

花坂の板碑という看板があった。板碑が作られたのは鎌倉幕府の時代だ。

このあたりもそのころに農地として開かれたのだろうか。

 

途中大野貯水池の前を通ったのでちょっとのぞいてみた。

静かな水面にカモがたくさん浮かんでいた。

 

貯水池のところからあとは舗装の道を歩くだけ。

ようやく四方津の駅が見えてきた。

 


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