goo blog サービス終了のお知らせ 

八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

京丹後市峰山町久次岳不動明王1

2013-05-15 23:52:00 | 伊勢祭神
 天照大神と豊受大神のお鎮まりになる京丹後市峰山町久次の久次岳の中腹に、不動明王が祀られている瀧があります。 役行者の御尊像もこのたび発見しました。


 その場所には句碑があります。 碑が立てられたのは、昭和三十六年四月とあり、ちょうど筆者の誕生した年月なので、驚きです。
 昨年秋にそのことに気が付き、その時はカメラを持参していなかったので、このたびしっかり写してきました。






 地元の郷土誌平成5年、羽衣伝説の里・歴史会発行、『おじいさんの語る羽衣の里』 には、おじいさんが語る調子で、
 >久次岳の山中、大岩の下に滝があって、ここにお不動さんがおまつりされとる。江戸時代、この付近を通りかかった牛が、急に立ちすくんで進まなんだんで、占いをしてもらうと、不動さんの霊があることがわかったんでな、この不動像を安置しておまつりしたんだ。この場所はずいぶんと山奥なんだが、昔はどこでもこんな山の奥まで、田畑が開けていたんだよ。このお不動さん、人々の願いごとをよくかなえてくれるというんで、信仰する人が多くてな、4月28日の例祭には、今でも地元の人々のお参りでにぎわっとるよ。< とあります。

長蛇の列の荒祭宮!

2013-05-05 23:49:00 | 伊勢祭神
 5月5日、こどもの日、伊勢神宮へ参宮してきました。交通渋滞を避けようと、前日夜から出発しました。

 いよいよ今年は、20年ごとの遷宮であり、参宮者も、かなり増えてきているようです。9時台の参拝でしたが、参道はかなり大勢の参宮者で埋め尽くされていました。
 内宮正殿までは何とか進むことができました。
 けれども荒祭宮では、長い行列ができており、拝殿の真ん前で額づくためには30分は待たなければならない、という神宮の警備員のアナウンスを聞いてあっさりと断念し、行列の脇から遥拝をさせていただきました。
 その代りといってはなんですが、ほとんど参宮者の訪れない、饗土(あえど)橋姫神社と、大水神社、宇治神社をゆっくりと参拝しました。
 饗土橋姫神社については以前の記事でも紹介したとおりで、瀬織津姫を祀る伊勢神宮内宮入口の神社です。

http://white.ap.teacup.com/hakuto/731.html

http://white.ap.teacup.com/hakuto/855.html

こちらのサイトでは祭神などについても詳しく紹介されています。
http://flxsouko.web.fc2.com/tohoFSSjinja_mie01naiku02.html

















 こちらは大水神社の写真です。

 

 宇治神社境内の足神神社です。






天照大神の食に関する御教え

2013-04-02 07:03:00 | 伊勢祭神
 高畠精二さんのホツマ現代語訳です。 http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya15-2.html

 天照大神の健康食(スガカテ・清食)の勧め

 
「それでは清く正しく美しいカンカタチ(神形)を保ち、健康で長生きするスガカテ(健康食・清食)の話しをしましょう。
 何よりも忌(い)むべきは獣肉や鳥を食べることです。もし人がケシシ(毛の生えた獣)の肉を嗜(たしな)むと己の血や肉も汚れて、たとえ一時は精が付いた様でも実は動物の悪い精が付き過ぎ筋肉が固く凝(こ)り縮み毛も抜け落ちて病となり苦しんで早死にします。例えれば、濁水が乾くと後に汚泥(おでい)がこわばり付く様に、獣肉も食べると動物の汚れた血が全身にへばりつき己の血も汚れて健康を害しついには病に倒れます。
 常日頃、新鮮な野菜をたくさん食べなさい。特に清浄な野菜は、太陽の光をいっぱい含んだ緑の恵みで、地上にさんさんと降り注ぐ光は蒔(ま)かれた太陽の種(分身)です。青野菜を食べれば、病に弱って黒く濁った血も再び赤く透き通った太陽の輝きを取り戻し、ここ二見の浦の御潮(みしお)の様に力強い生命を宿します。
 私は常々、この国を幾世に渡り担(にな)ってきた臣も民をも分け隔て無く、天の賜物として我が子の様に慈しみ、皆がいつまでも豊かで健康に長生きするよう祈ってきました。
 今こそ、人が健康で天寿を全うする為に食物の良し悪しを見分ける知識をはっきりと持たなくてはなりません。我々は常に天地創造の初めに帰り、天・地・人の根元を良く知ってこそ真に人の命の尊さを悟り、天から与えられた命を全うすることが出来るのです。」

「モロタミ(諸民)もしかと聞きなさい。日常の食物で最も優れ物はゾロ(米・ぞろぞろ、ぞろ目、ぞろっと等、揃うの語源)が一番です。さんさんと降り注ぐ太陽の精気と、月の水の精華が結ばれたのがヒヨウル種(水稲)で、太陽と月の恵みの種(米)を同時に食べる者は幸いです。二番目に良いのが鱗(うろこ)の有る魚で、次は鳥ですが鳥はホ(火)が勝ち過ぎて、人は力が付くと思い込んでいるがこれは大間違い、不幸にも鳥をたくさん食べたほとんどの人は遅かれ早かれ病となり死んでゆくのだ。この事を譬(たと)えれば、灯火(ともしび)の火をもっと明るくしようとむやみやたらに灯心を掻き立てて、末は我が身の油を早く使い切って命を縮めるのと同じこと。注意しなさい、ホ(火)の勝つ鳥を食べると身を滅ぼしますぞ。

 最も恐るべきは誤ってミテ(三字・璽)の獣を食べる事です。食べたとたん己の血肉が凝(こ)って縮み、身の油を減らしながら空肥(からぶとり)して頭の毛も脱け落ちやがて早死にするぞ。やむないこんな緊急時には、二ヶ月半の間イミヤ(忌小屋、酒肉を禁じ沐浴する室)に籠(こも)ってスズシロ(大根の別称)を大量に食べよ。いわんやフテ(二字・璽)の獣を食べた者は、たとえ生きたとてその臭さは腐る屍(しかばね)同然、これを生き腐れの毛枯れ(けがれ、汚れの語源)と言うのだ。この者は神の恵みも断たれて救い難く、三年間イミヤに入れスズシロ(大根)を大量に食べさせて体毒を消し、薬にシラヒゲ(白髭、芹・せり)とハジカミ(しょうが又はさんしょう)を与えて徹底して身の不浄な垢をそそげよ。やっとまともな人に戻るのだ。」

 「たとえ間違いで鳥獣を食べ、(どうせおれは人間の屑だから、こんな命なんか惜しくもない)とうそぶいたとて、その者の血は確実に獣の血に汚染されて肉体も既に腐って死んだも同然だ。獣の悪い霊を受けてタマノオ(魂緒、人の魂(タマ)と魄(シイ肉体)を結ぶ命の緒)が乱れると魂魄(たましい)も共に乱れ、苦しんだ後に死した者の霊は天上サゴクシロ(精奇城)の元宮(死者の霊が帰る大元宮)に帰れぬぞ。恐ろしい事に天国に帰れぬ者の魂魄はちまたに迷い、浮かぶ瀬もなくさまよったあげくの果てに安易な獣の霊と求め合い、ついに人間界を離れて獣の世界へ消えて来世は獣に生れるぞ。鳥や獣は四化元素で生じただけで一化元素が足りず、ヒウル(日精)もツキナミ(月霊)も無く動物界に落ちると二度と人に戻れぬぞ。」

 「ゾロ(米)こそが日月(ひつき)のウルナミ(日精、月霊)が化成して出来た完全食品です。人は古来より米を何より大事に育てていただき(食べ)命の糧(かて)にしてきました。 ここではっきり答えよう。
 人は獣と違って空、風、火、水、土、の五化元素が化成して生じた故に、特別に日月の精霊を受けてナカゴ・ココロバ(心意)を有して生れます。これゆえ、一生を素直に生き、己の本分を良く守って努力し、人の模範となり死を迎えた人は、特に天神の神意に良くかない、神はこの者が獣の世界に迷い込まぬ様に天の元宮に帰るまで見守り導いてくれます。

さらに詳しくはこちらをどうぞ。
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya15-2.html


金毘羅大権現の本地!

2013-03-28 07:05:00 | 伊勢祭神
 西宮市の門戸厄神は、嵯峨天皇の厄年の祓いとして、空海が開基した寺院です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E6%88%B8%E5%8E%84%E7%A5%9E%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%AF%BA
愛染明王と不動明王の合体神である厄神明王を祀るお寺です。
このように、複数の神が合体して、衆生を救うために新たな神仏が登場することはあるのです。
 
 ところで、記紀やホツマにも登場しない金毘羅大権現。金毘羅大権現の本地仏はなんと、十一面観音、毘沙門天、不動明王なのです。

 現在では、金刀比羅宮は大物主命を祀るとされています。確かに、讃岐の金刀比羅宮と奈良県の大神神社とは境内の雰囲気がよく似ています。ホツマにもどちらも登場し、大物主命との関連も記されています。
 
ところが、金毘羅大権現は、ウィキペディアでは、

 >象頭山松尾寺[1]の縁起によれば、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅(宮比羅、クンビーラ)の神験に遭ったのが開山の由来との伝承から、これが象頭山金毘羅大権現になったとされる。象頭山金毘羅大権現は、十一面観音菩薩を本地仏とした。<

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AF%98%E7%BE%85%E6%A8%A9%E7%8F%BE
 
とあります。
 こちらのサイトにも、
 >象頭山には明治の前まで、象頭山松尾寺金光院と呼ばれる寺院があり、金毘羅大権現が祀られ、十一面観音を本地仏とし、その脇持は毘沙門天と不動明王であった。<
 と記されています。

http://www013.upp.so-net.ne.jp/mayalibrary/niki/niki113.htm


 さらに、金毘羅大権現の奥ノ院とされる箸蔵寺では
> 伝承によれば平安時代前期の天長5年(828年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が、当地に霊気を感じ山上に登った。すると金毘羅大権現が現れ「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」というお告げを空海に授けたという。そこで、空海は自ら金毘羅大権現の像を刻み堂宇を建立したことが当寺院の始まりと伝えられている。<

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8%E8%94%B5%E5%AF%BA
 金刀比羅宮は、明治の廃仏毀釈政策によって、お寺が神社となりました。 その時、金毘羅大権現の本地仏の3体が、危うく焼却廃棄される憂き目にあいかかっているのです。

 こちらの岡山県の西大寺には、その讃岐の金毘羅大権現本地仏であった、毘沙門天と不動明王が手厚く祀られています。
 http://www.saidaiji.jp/website/konpira

>明治維新のころ”神国日本は古来の神をこそ祀るべきで、渡来した神仏を祀る必要は無く、よって仏像・寺院は破壊するべきだ”という廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の運動が起こり、仏教は迫害された。

 讃岐の象頭山松尾寺金光院の鎮守として祀られていた金毘羅様もその被害を受け、松尾寺はその住職が僧職を辞し、神職として日本の海上安全の神である金刀比羅(ことひら)様に奉仕することを決め、寺院から神社へとその姿を変えた。このため多くの仏像が打ち壊しになり、これを見かねた金光院の末寺である万福院の住職宥明師が、明治7年7月12日自らの故郷である津田村君津の角南助五郎宅へ、金毘羅大権現の本地仏である不動明王と毘沙門天の二尊を持ち帰った。

 その後、この話を聞いた岡山藩主池田章政公が、自らの祈願寺である下出石村の円務院に移したが、廃藩置県によって池田候は東京へ移り、当山住職の長田光阿上人が明治15年3月5日当山へ勧請した。現在は、もともと当寺の鎮守である牛玉所(ごうしょ)大権現とともに、牛玉所殿に合祀されている。<

 筆者は昨年、中世以来庶民の人気の高い七福神の中に天照大神と瀬織津姫が、それぞれ毘沙門天と弁財天というお姿で祀られていることを見出しましたが、もしかすると、役行者と空海によって、感得された金毘羅大権現も、実は、天照大神と瀬織津姫の合体神ではないかという思いを持つようになりました。
 それに加えて、大物主命とも関連があるわけですから、伊勢と出雲が一体であることの象徴的な神といえそうです。
 渡来系の記紀「神話」捏造者が狙ったのは、伊勢と出雲の神々があたかも非和解の対立をしているかのような構図を描き出すことでした。
 ところがホツマを読めば、伊勢と出雲が一体であることがよくわかります。金毘羅大権現は、そのホツマの正当性を証明してくれる神といえるのかもしれません。

 思えば、天照大神が女神として感得される方もいらっしゃるようですが、そのお姿も、天照大神と瀬織津姫の不離一体のお姿、ととらえてよいのかもしれません。
 六甲山の雲ヶ岩で、法道仙人の前に御出現された天照大神も、本当に毘沙門天のお姿で御登場されたものと思われます。

 http://www.geocities.jp/wonderful_kobe_888/rokkou_chuuou_a.html

聖徳太子、天武天皇、役行者、空海

2013-03-13 07:01:00 | 伊勢祭神
 聖徳太子の御生誕地はホツマを連想させる橘寺の近辺、です。そこから天武・持統合葬陵方面へラインを引きます。その延長上に、御所市茅原の吉祥草寺=役行者の御生誕地が位置します。そのライン延長上に、香川県善通寺市の空海御生誕地が位置します。 
 神仏習合を通じて、伊勢祭神を守ってこられた偉大な人物の重要な聖地が、かくも見事に並ぶとは!!!!!!


 旗の1が橘寺、旗の2が吉祥草寺その間に、天武・持統合葬陵が位置します。
 旗の3が善通寺です。