遍照金剛とは大日如来を示し、空海が入唐(にっとう)してすぐに、>この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられた。< とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7
また四国のお遍路さんでも白衣に「南無大師遍照金剛」と記されているそうです。
筆者も空海のことを知れば知るほど、並みの方ではなかったことを強く感じるようになりました。
役行者も大日如来の実際のお働きをされる不動明王の化身といわれています。
http://urano.org/kankou/topics/gyouja/index.html
神仏習合の時代に、伊勢神宮の奥の院といわれた朝熊山の金剛証寺は伊勢神宮内宮の真東に位置しており、これまた役行者のご生誕地とほぼ同一緯度に並んでいます。 そしてそこには空海作と伝わる、天照大神の少年時代のお姿である雨宝童子の像が安置されているのです。金剛証寺=金剛とは、どなたか?いかなるお姿であるか?を証明するお寺、という意味ではないでしょうか。
渡来勢力によって神道を乗っ取られ、渡来勢力によって女神にされてしまった天照大神が、本当は男神であるということを明かし、またその存在を否定された瀬織津姫は弁財天、不動明王、観音として役行者と空海は守られたのでしょう。
役行者も、空海もそのご生誕からご入滅の時期、場所、ご活躍の内容から、伊勢祭神を守ろうとされたことは明らかで、しかもその超人的な奇跡の数々からは、常人の枠をはるかに超えた、神の力によるものといわねばなりません。
仏教的に日本の神道を守られた役行者と空海は、もしかすると天照大神のご転生であるのかもしれません。