八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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瀬織津姫の御生誕地と神上がりの地

2012-10-25 11:09:00 | 瀬織津姫
 瀬織津姫の御生誕地と神上がりの地を結んだライン上に、西宮市甲山神呪寺が位置しています。 廣田神社も元の社地はこのライン付近に位置していたのではないかと思われます。
 ヤマトタケが神上がった三重県亀山市能褒野神社もライン上にほぼ位置しています。
ヤマトタケの生誕地は六甲比女神社の真西、神上がりの地が、これまた、意味あるライン上に位置しているわけですから、ヤマトタケの生涯は瀬織津姫に守られてきたのではないかと思えてきます。

日本武尊ご生誕地とご逝去地

2012-10-23 11:26:00 | 古代史
 日本武尊=ホツマではヤマトタケのご生誕地が、加古川市の美乃利で、大きな碓(うす)と小さな碓(うす)が今も置かれています。ヤマトタケの幼名はこの碓から小碓(おうす)と呼ばれていました。そしてそこが瀬織津姫の奥都城の真西に位置していることはすでに紹介しました。 
 ヤマトタケのご逝去の地は三重県亀山市の能褒野神社の地です。このご生誕地とご逝去の地点を結んだほぼ延長上に、瀬織津姫のご生誕地と推定される図岡県駿東郡清水町柿田川の畔の貴船神社が位置しています。意味深長な位置関係です。

役行者と空海は天照大神のご転生か?

2012-10-23 11:25:00 | 伊勢祭神
 遍照金剛とは大日如来を示し、空海が入唐(にっとう)してすぐに、>この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられた。< とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

 また四国のお遍路さんでも白衣に「南無大師遍照金剛」と記されているそうです。
 筆者も空海のことを知れば知るほど、並みの方ではなかったことを強く感じるようになりました。
役行者も大日如来の実際のお働きをされる不動明王の化身といわれています。http://urano.org/kankou/topics/gyouja/index.html
 
 神仏習合の時代に、伊勢神宮の奥の院といわれた朝熊山の金剛証寺は伊勢神宮内宮の真東に位置しており、これまた役行者のご生誕地とほぼ同一緯度に並んでいます。 そしてそこには空海作と伝わる、天照大神の少年時代のお姿である雨宝童子の像が安置されているのです。金剛証寺=金剛とは、どなたか?いかなるお姿であるか?を証明するお寺、という意味ではないでしょうか。
 渡来勢力によって神道を乗っ取られ、渡来勢力によって女神にされてしまった天照大神が、本当は男神であるということを明かし、またその存在を否定された瀬織津姫は弁財天、不動明王、観音として役行者と空海は守られたのでしょう。
 役行者も、空海もそのご生誕からご入滅の時期、場所、ご活躍の内容から、伊勢祭神を守ろうとされたことは明らかで、しかもその超人的な奇跡の数々からは、常人の枠をはるかに超えた、神の力によるものといわねばなりません。
 仏教的に日本の神道を守られた役行者と空海は、もしかすると天照大神のご転生であるのかもしれません。

橋姫と兎神を祀る持明院!

2012-10-23 11:24:00 | 瀬織津姫
 大阪市天王寺区生玉町に持明院というお寺があります。橋姫大明神、卯之日大明神、廿日大明神 子育地蔵尊を祭神とする珍しい寺院です。

 この寺院は六甲山の六甲山神社=石の宝殿から冬至の日の出方向に位置しています。
http://kamnavi.jp/en/settu/jimyouin.htm

>密印山持明院と言う。当山の創建時期や縁起は不詳、明治初年の神仏分離の際、生玉十坊の一つ「曼陀羅院」を吸収合併したと言う。
 境内には「橋姫大明神」、「卯の日大明神」、「二十日大明神」の三神と向かい側に「子育地蔵尊」が祀られている。
 「橋姫大明神」は宇治の橋姫神社からの勧請、悪縁を切ると言う。
 「卯の日大明神」は、兎を祀っており、子沢山の所から縁結びの神とされる。
 「二十日大明神」は狐、すなわち稲荷、商売繁昌開運発展。
 「子育地蔵尊」は子授子育健康息災だそうだ。<
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E6%98%8E%E9%99%A2_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E5%8C%BA)

大阪再発見
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-1/newpage126.htm