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八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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伊勢内宮正殿は常に2つ並んでいた!

2019-03-21 13:50:00 | 伊勢祭神
 

武澤秀一著『伊勢神宮と天皇の謎』文春新書より
 内宮正殿は明治以前、御神体を遷した後の社殿もずっとその後19年間保存される、つまり両社殿がほぼ常に並んでいたようで、江戸時代の絵図では御神体の無い正殿の敷地の中まで入ることができた様子がわかります。現代の伊勢神宮とはかなり様相が異なっていました。

 つまり上の写真のように常に2宮が並んでいたのです。

  

伊勢の両神殿が対等に並んでいたことを神宮も肯定

2019-02-21 17:39:00 | 伊勢祭神



 瀧原宮のパンフレットです。ネットでPDFファイルで公開されているものです。
 この文面からも、かつては伊勢神宮において、正宮に2つの神殿、すなわち天照大神の御魂を祀る神殿 (東に位置する)と天照大神荒御魂を祀る神殿(西に位置する)が瀧原宮・瀧原竝宮のように並んでいた、ことを伊勢神宮が肯定していることがわかります。
 20年ごとの式年遷宮は、神殿を一つにしたがゆえに出来てしまった空きの神殿地の存在をごまかすため、というのが本当の理由と考えられます。

御祭神
瀧原宮  天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)
瀧原竝宮 天照坐皇大御神御魂 
   
 瀧原宮、瀧原竝宮とも天照坐皇大御神御魂をお祀りしています。 天照大神は国の内に隈無く光が照り徹ると称えられる。日本人の大御祖神です。その御魂をこのように二宮に並べてお祭りするのは、皇大神宮に天照大神を、同別宮に天照大神の荒御魂を奉祀する姿の古い形と言われています。 江戸後期編纂の『大神宮儀式解』に、竝宮について「瀧原宮は本宮(皇大神宮)の御霊を拝奉るなり。その瀧原宮の御神の荒御魂をまつる歟」とあるように、天照大神の荒御魂とも考えられているのです。
 
 こちらの御宮では、決まりごとがあります。まず瀧原宮をお参りしてから瀧原竝宮をお参りすること、です。
 外宮先祭と同様、内宮祭神よりも外宮祭神の方が優先される考え方と通じるものがあります
向かって右が、有職雛と同じく、男神の天照大神であり、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)として祀られています。
そして向かって左が瀧原竝宮 天照坐皇大御神御魂とありますが、江戸期の考察にもあるように、こちらに荒祭宮祭神が祀られている、つまり、女神の瀬織津姫が祀られている、ということになるのです。
 ちなみに、瀬織津姫様は、ご自身のことを「荒御魂」と呼ばれるのは快く思っていらっしゃいません。これは当然のことです。 

 常にこの上空からの写真のとおり、2つの神殿が相並んでいるのが、神宮祭祀の元の形です。
イモ・ヲセ(=夫婦・めおと)の道を学ぶところ、それが伊勢神宮です。
 1500年以上にわたって、その名にふさわしくない、いびつな祀られ方であることに、皆さん、気づいてください。

   

超古代史「秀真伝<ホツマツタエ>」と男神・天照大神の謎 MUTube(ムー チューブ) 2018年7月号

2018-06-16 12:41:00 | 伊勢祭神


 月刊ムーの記事を対談形式で紹介するムーチューブです。 一か所、本の特集の中での天照大神がニギハヤヒであるという誤認は、そのまま踏襲されて解説をしています。この点は大変残念なのですが、ホツマを注意深く読めば、すぐに理解できるものです。 
以下の記事に記したことが、天照大神を祀る一番のお社でなされた改竄の規模が想像を絶するほど大きすぎてかえって気づかれないレベルにまでなってしまっていることを見逃さないようにすることが大切です。
  http://white.ap.teacup.com/hakuto/2927.html 
 ニギハヤヒ=天照大神と措定すると、ホツマの文脈で大きな矛盾が生じること、、そして伊勢神宮の祭神、神殿の諸関係と大きく矛盾することに三上氏もムー記事執筆の白銀氏もすぐに気付いていただき、訂正をしていただきたく思います。


 以前書いた記事です。
  秦氏とニギハヤヒ・伊雑宮・籠神社 私論(試論) http://white.ap.teacup.com/hakuto/1265.html


京都の熊野若王子神社

2017-08-27 09:28:00 | 伊勢祭神
 平安京には、天照大神を祀る神社は極端に少ない、という不思議な事実があります。
筆者は、これには平安時代の初期から中期まで皇室を事実上支配していた藤原氏が関与していた、と推定しています。
 藤原氏は、おそらく自分たちの支配を強固なものにするため、高天原と皇室が深くつながることを妨害したのでしょう。
 すでに藤原氏の台頭の前に、応神天皇の御代に、瀬織津姫は宮中賢所(かしこどころ)より、切り離され、摂津の国、廣田神社に祀られるようになりました。これはおそらく武内宿禰の手によるものと思われます。

http://www.hirotahonsya.or.jp/yuisyopage/yuisyo_gosintoku.html
廣田神社ホームページより
>荒魂について −廣田神社略記より抜粋−
大正14年に時の皇后陛下が、全国の官国弊社に御奉納遊ばされたる「神ながらの道」の一節に「伊勢神宮の内宮様の御本宮には天照大御神様、即ち和魂の神様をお祀り申し上げてこざいます」又一節に「荒魂(あらみたま)とは和魂(にぎみたま)を『実現する魂』でございます」「宮中の賢所は、応神天皇の御時から天照大御神様として和魂のみを御祀り申し上げ、之に応じ給う荒魂は摂津の官幣大社廣田神社に御祀り申し上げてございます」と記されたるを見ても、如何に尊貴の大神なるかを窺ひ知るに足る。<


 これに加え、歴代天皇が、伊勢神宮へ行幸できないように、さまざまな手立てがなされたのは、相当古い時代からであったのかもしれません。
 いずれにせよ、皇室と伊勢祭神、伊勢祭神と臣・民が、意識的な関わりを持たぬように藤原氏が働きかけていた、という見方は妥当性を有すると思います。

 しかし、京の都の民は、武内宿禰や藤原氏のこのような策謀を見抜いていたのでしょう。祇園祭において、岩戸山、男神天照大神と、鈴鹿山、后神、瀬織津姫がちゃんと祀られるようにしていたのです。
 皇室にも、ホツマの文書のとおり、天照大神が男神であり、その諱(いみな)がワカヒト様であることが伝わっていました。

  参照 ほつまつたゑ解読ガイド 天照大神の項
http://gejirin.com/src/A/amateru.html

 その証拠が、京都の鹿ケ谷の若王子神社です。
 こちらの神社では>永歴元年(1160)年後白河法皇が、熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称「若一王子」に因んでこのように名づけられた<
http://fishaqua.gozaru.jp/kyoto/sakyo/nyakuouji/text.htm
  とあります。若一とはまさにワカヒト様ではありませんか。この意味で若王子神社は非常に重要な神社なのです。後白河法皇は生涯に30回以上も熊野詣でをした天皇として有名ですが、伊勢祭神についてもよくご存じであったものと思われます。伊勢へも行幸されていて当然ですが、伊勢へは参宮できない何らかの政治的圧力がかかっていたのでしょう。
 

伊勢神宮内宮の瀬織津姫と天照大神

2017-03-03 08:46:00 | 伊勢祭神
<a href="http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjadistant/mie/takihara.htm"></a><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/78/c9e980ba69680e70aaca7cd18940ed0d.jpg" border="0">
 <span style="font-size:150%;line-height:110%">3月3日雛祭りと伊勢神宮 天照大神と瀬織津姫
</span> 

 写真は、平成25年第62回伊勢神宮遷宮を前にするポスターです。 写真に写る古殿地に平成25年秋以降、新たな神殿が造替されています。
 菊池展明氏の考察『エミシの国の女神』 「伊勢神宮式年遷宮への仮説」「伊雑宮の真の神々と「荒魂」の神」p80~p102の項によれば、おそらく事実上、藤原不比等の時代に導入された20年ごとの遷宮によって、本来、内宮において、天照大神と瀬織津姫が対等な御関係で祀られていたことが掻き消されたもようです。

 本日は、雛祭りであり、同時に、瀬織津姫様のご生誕の日でもありますが、もともとのお内裏様とお雛様の並びは、現在の並びとと正反対です。 
 昔ながらの有職雛は向かって右側、つまり左に男性のお内裏様、そして、向かって左、つまり右側にお雛様が位置します。 
  伊勢神宮内宮において、遷宮制度によって、神殿の立つ側と、心の御柱のみが残る古殿地側が、20年ごとに入れ替わります。
 しかし、本来は、どちらの場所にも、同じ規模の神殿が常に並ぶ、という形式であったのではないか、というのが菊池氏の推論です。 このことに関しては、伊勢神宮側も、それを肯定するかのような表記をしている箇所があります。

<a href="http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjadistant/mie/takihara.htm">滝原宮について</a>
>
両宮とも皇大御神を奉祀し、同別宮荒祭宮に皇大御神の荒御魂を奉斎する姿の古い形と考えられます。 <
http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjadistant/mie/takihara.htm
現在は天照大神が内宮正殿に、そしてお名前を歪められ、荒御魂とされて祀られる瀬織津姫が正殿の北西にずいぶんと縮小された規模で荒祭宮として祀られているのです。

 ところで、2つの対等な神殿が並んでいる状態が元の形であるとするならば、向かって右、つまり天照大神を祀る神殿の不変の場所であり、向かって左、現在、遷座している神殿は本来は瀬織津姫を祀る不変の場所という意味を持ちます。
 いつの時代にか、男神天照大神をなきものにして、后神である瀬織津姫を天照大神にし、もとあった相並ぶ二つの社殿を一つにしてしまい、それにより、大きな空き地ができたがゆえに、そのつじつま合わせ、苦肉の策として、20年ごとの遷宮制度ができたのでしょう。

 天照大神と瀬織津姫は夫婦(めおと)神で対等な御関係です。けれども、瀬織津姫様も、『トノヲシテ 瀬織津姫さま言霊リメンバリング』でおっしゃっているように、やはり、男神である、天照大神をより上位の方として崇敬なされています。瀬織津姫様はあくまで天照大神の補佐のお役割であるとおっしゃいます。 
 このような対等な御関係でありながらも、微妙に相違し、后である瀬織津姫様が一歩お控えされている、というご姿勢が、この写真からも伝わってきます。 
 つまり、 本来の天照大神の神殿地と、本来の瀬織津姫の神殿地に約2メートル前後の高低差が設けられていることがわかります。 
 20年ごとの遷宮であるならば、2つの神殿地を対等な高さに造成するのが普通の発想ではないでしょうか。
 そうなっていないところに、后神が一歩控えて男神をお引き立てされる、というご姿勢として表れているといえるでしょう。
 有職雛の並び方は、伊勢神宮に倣っていると考えられます。
 雛祭りのお内裏様とお雛様は天照大神と瀬織津姫、と思われます。瀬織津姫様のご生誕の日である3月3日に祀られるので、女神の祭り、雛祭りとなっているのでしょう。

 このことも、先の東京講演で初めてお披露目しました。ここにさらに詳細説明を加えて公表しました。