八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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狛ウサギの雛型出現!

2011-11-30 10:52:00 | ウサギ像
 八上白兎ファンクラブが、八上白兎奉賛会として奉納する八頭町福本の白兎神社に奉納する神ウサギ(狛ウサギ)像の粘土製のひな型の写真が制作担当の花原石材店より送られてきました。
 多少の修正はありますが、こちらです。
 他のアングルの写真は八上白兎ファンクラブのサイトで公表しています。
ご参照ください。
http://news.ap.teacup.com/hakuto/






 現在、制作費・設置費と、ご寄付・ご寄付の予定をいただいている額との差額が、約20万円です。
 なにとぞ皆様の温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
 http://news.ap.teacup.com/hakuto/
 八上白兎ファンクラブは、主にかつての八上に伝わる白兎伝承に重点を置いています。 もちろん、因幡の白兎伝承は大きく分けて2つあり、2つともたいへん重要な神話であると認識しています。 古事記の神話は日本人のほとんどが知っている有名な物語です。神話の舞台とされる鳥取市白兎海岸の白兎神社も、近年、道の駅ができたこととも合わさって、大勢の参拝客でにぎわっています。 
 一方で、八上に伝わる神話伝承は、つい最近まで広く知られることはなく、地域の郷土史マニアだけが知っている、という状況でした。またそれに関連する社寺や遺跡の整備も、まだまだ不十分で、観光客の皆さんに来ていただいても、充分に白兎伝承を実感していただけるものとはなっていない現状です。  
 そこで、八上の白兎伝承と深くかかわる社寺や遺跡を整備していく必要があるのですが、これに関しては、宗教施設に当たるものが多く、神社、境内地そのものの整備は公的な機関が全面的にバックアップできないという事情があります。地元の氏子の方だけに、それをお願いするというのは、大きな負担となります。 
 この白兎伝承を知って、是非とも応援したいと思われる全国の方々のお力によって、関連する場所の整備を実施していけるように、会を設立したのです。当分、メインの活動は、八上の関連社寺、地域、遺跡への狛ウサギ像の奉納、設置です。 
 因幡の2つの白兎神話をともに大切にしていきます。  趣旨に賛同してくださる方を募ります。みなさま、よろしくお願いいたします。
 
八上白兎ファンクラブの会費納入兼、寄付金受付口座を開設しております。 

 会員募集中です。会員登録ご希望の方は会費1000円を下記口座へお振込みください。そして、当会へ連絡先と、お名前をお知らせ下さい。 当面は、 八頭町福本白兎神社奉納神ウサギ像の寄付金を募ります。 
 お振込みをされた方は、よろしければ当会までメールにて連絡先とお名前をお知らせください。
 メールアドレスはコメント欄の 白兎の小使い の名前をクリックするとでてきます。簡単な自己紹介もお気軽にどうぞ。 
 寄付をされた方は、このサイトで、ご芳名を紹介させていただきます。匿名ご希望の方はその旨をお伝えください。  
 
 ゆうちょ銀行 15220 5123991  ヤカミハクトファンクラブ 


花山院菩提寺 三田市

2011-11-28 17:07:00 | 六甲山とその周辺
 有馬富士の北に位置する花山院菩提寺へ参詣してきました。

 ここは花山天皇が出家後、仏道の道を極めながら、瀬織津姫の祭祀を守ってきたところです。花山天皇は藤原兼家に騙されて、在位わずか2年で皇位をはく奪されました。花山天皇については若かりし頃のよからぬ話や、無理矢理出家させられた直後の憤懣やるかたない思いが爆発したことがよく取りざたされますが、そこは、藤原氏の脚色もあったと思われます。 仏眼上人と出会って以降、花山法皇は皇位はく奪への憤慨の気持ちもなくなり、大きく変わったそうです。
 仏眼聖人といえば、筆者はこの夏、六甲山上で六甲比女神社を参拝した折、そのすぐ真東の高い位置に熊野神社の小祠跡があり、そこに仏眼上人と華山(花山)法皇の名が熊野権現をはさんで石碑に記されていたのを記憶しています。 筆者はこの弁天様を祀る、としかわかっていない謎の六甲比女神社は瀬織津姫を祀る神社であると推測しています。熊野も瀬織津姫と関連する神社であり、花山法皇と仏眼上人の出会い、と併せて、ますますその関連性が浮かび上がってきました。しかもこの六甲比女神社・熊野権現連名の石碑の真北に花山院菩提寺が位置しているのです。これは単なる偶然ではないと確信します。




  花山法皇殿です。

 花山法皇殿の横に池があり、弁財天を祀る小さな祠があります。



 花山法皇殿の前方に位置する花山法皇の奥都城(おくつき)=墓所です。この幹が横に伸びている桜の木のあたりを撮影すると、紫色の光がカメラモニターに入ってきました。


三宝荒神を祀るお堂です。三宝荒神といえば先日紹介した宝塚市の清荒神と同じ祭神、鷲林寺と神呪寺に現れたソラン荒神(=瀬織津姫、または瀬織津姫の眷属)と思いましたが、縁起書によるとこちらは大日如来、不動明王、文殊菩薩の御三体が合体した荒神だそうです。これも珍しいことです。大日如来は天照大神を、不動明王は瀬織津姫をあらわしています。どちらにしても瀬織津姫と深い関係があることには変わりありません。

 そして、お堂の中のおびただしいたまゆらの向こうに、厨子があり、その中に三面六臂のお姿をした御本尊がおさめられているそうです。

 境内からの眺めは紅葉の季節とあいまって、実に見事でした。

 本堂前のお香立てにも瀬織津姫と縁深い桜のマークが入っています。

 突然宮中から抜け出された花山法皇が落ち着かれた場所を知ったかつての11名の妃たちは、既に亡くなっていた弘徽殿女御(コキデンノニョウゴ)の髪を携えて菩提寺にやってきました。女人禁制で山へは上がることの出来なかった女御、更衣たちは近くに尼寺を建てて、全員尼僧になり、ときに、寺への坂道で琴を演奏して花山法皇を慰めたりもしたそうです。
 花山天皇に十二人の后がいたことから、花山天皇はホツマのことを御存じだったのではないでしょうか。

 十一名の后は、仲良く弘徽殿女御を囲んで、同じ墓所に葬られたようです。全員尼僧として仕えたこともあり、源氏物語のような妬みと嫉みとは無縁だったのではないかと思われます。(たぶん)

 話は少しかわりますが、実は先日紹介した瀬織津姫が御出現された静岡県御前崎市の桜ヶ池は花山院の所領だったそうです。以下のサイトから関連するところを引用しました。これもシンクロですね。
http://www.jodo.or.jp/footprint/09/index.html

 皇円阿闍梨は>一番長生きすると言われる龍になってこの世に住み、弥勒菩薩様のあらわれるのを待つしかないと考えられて、池を探した。
探していたが、なかなか願を叶える池に巡り会えず途方に暮れていたところ観音様(筆者註:おそらく瀬織津姫と思われる)が夢にあらわれて、「遠江の国、笠原荘にある桜ケ池を訪ねよ」とのお告げがあり、皇円阿闍梨は、はるばるこの池を訪ねた。
 そして一度都に戻られた皇円阿闍梨は、桜ケ池を持つ花山院家に手紙を添えて、龍になって住まうことの許しをうけられ、嘉応元年(1169)6月13日、深夜に法然上人を招いて今世の別れを惜しみ、池から持ち帰った霊水を手のひらに注ぎつつ、那伽定(龍となること)されたと伝えられている。<
 このことからも花山法皇とその系統の方々が、瀬織津姫を大切にされていたことが分かります。

神代よりの男系の伝統の維持を

2011-11-25 23:28:00 | 女系天皇反対!
 女性宮家よりもまず、男系を維持する旧皇族の復帰を! 

 にわかに女性宮家のことが取りざたされています。
 宮内庁長官ですらそのようなことは一切主張していないにも関わらず、多くのマスメディアは「待ってました」とばかりに、これを機に女性宮家、女性天皇、はては女系天皇容認論まであおりたてようとしています。 皇室の歴史をよく知らない一般市民への街頭インタビューなど、何の意味も持ちません。こんなことで、日本の大手マスメディアは日本の根幹をなす皇室の伝統を壊そうとでも考えているのでしょうか。
 
 女性天皇は歴史上、8名いましたが、飛鳥、奈良時代の女性天皇は日本の政治制度を大きく変えたり、仏教導入を進める勢力が活発化した時期に意識的になされたもの、江戸時代の女性天皇は次期男性天皇候補が幼少であることから、藤原摂関時代のように皇室の取り巻きに支配されないように、つなぎ的な意味で即位したに過ぎません。しかし歴史上、女系天皇が認められたことはありません。
http://www.takenoma.com/labo.htm
 そのような歴史を踏まえずに、いとも簡単に女性宮家を肯定し、女性天皇はまだしも女系天皇まで容認するような軽薄な態度を取るべきではありません。もちろん筆者も2冊目の拙著で述べたとおり、宮家の充実を図るべきという意見ですが、当然あくまで男系の伝統を踏まえてです。
 この問題は、2005年小泉内閣のときに、皇太子ご夫妻に男子のお子様が誕生されていなかったことから、にわかに女性天皇・女系天皇論が浮上したことに端を発します。
 
 ただし、女性天皇、女系天皇反対論を唱える人たちの中にも論拠の弱さがあります。それは、皇室の祖先は「女神の天照大神」と認識されており、男系で押し通すことに矛盾を感じざるを得ないからです。突き詰めれば自己矛盾に陥ってしまうのです。
 あれから6年、それ以前は、ほとんどホツマ研究家の間でしか知られていなかった男神天照大神でしたが、2006年ごろから急激に天照大神の后神、瀬織津姫がいらっしゃったことが次第に明らかになり、表現は不適切かもしれませんが、形勢を変えることのできる根拠を得たともいえるのです。

 皇室の男系継承という伝統は、神武天皇のときからではなく、神代から一貫したものであることをしっかりと世に知らしめなくてはなりません。

 旧皇族の竹田恒泰さんは安易な女系天皇論に対して、真っ向から正論をぶつけて戦っています。
 世界に誇る高度な文明を築いてきた日本国民はその歴史的伝統が何によってもたらされたのかをよく知り、もっと竹田さんの意見に耳を傾けて、これを機に日本の神々の真相を正確に知っていかなくてはなりません。筆者は女性宮家の創設ではなく、男系を維持している旧皇族の皇室への復帰こそが現実的な方向性と考えます。http://episode.kingendaikeizu.net/33.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E6%81%92%E6%B3%B0


 そのための第一級の文献がホツマです。
 今やネットで無料で閲覧・学習できます。
 

 概要をつかむにはまず高畠さんのサイトがお勧めです。
 http://www.hotsuma.gr.jp/

 駒形さんのサイトで、ホツマ、ミカサフミ、フトマニ全編を、一つ一つの大和言葉の意味から学習できます。
 http://gejirin.com/index.html