八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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瀬織津姫ツアー趣旨文

2014-08-22 01:58:00 | 瀬織津姫
10月にとある団体主催のツアーのガイドを引き受けさせていただきました。
 以下は趣旨文・ツアー参拝先予定です。

 瀬織津姫は天照大神とともに、わが国日本を今もなおお守り続けている神です。『記紀』では隠されてしまい、かろうじて大祓祝詞にその名は残されましたが、聖徳太子はそうなることを予見して、瀬織津姫を仏教本尊の御姿に変容して、人々とのつながり=信仰が途絶えないように守られました。聖徳太子が念持仏とされた如意輪観音、救世観音は瀬織津姫の仏教的な御姿です。毘沙門天を天照大神に仮託して、そのお后である吉祥天(弁財天)を皇后瀬織津姫に擬して祀ったのも聖徳太子だと思われるのです。このように瀬織津姫を追っていくと、聖徳太子、およびその御遺志を継承した役行者、空海、花山法皇などの仏教高僧の御業績の意味も分かってきます。今回の瀬織津姫の御霊に触れる旅では、私たちの住む地元にちりばめられた瀬織津姫のご守護の証しをたどる旅です。普段何気なく口にしているあの地名、あの神社・お寺がどれほど深く瀬織津姫とつながっているのかということを再確認できる感動体感の旅となることでしょう。
 
 1日目
御霊神社(大阪市中央区淡路町4-4-3)・持明院(大阪市天王寺区生玉町)・信貴山奥の院(奈良県生駒郡平群町信貴畑1474)・橘寺・撞賢木厳魂天疎向津姫神社(横内神社 奈良県桜井市大福)・若桜神社(奈良県桜井市谷344)天香久山神社(橿原市南浦町出屋敷字西山)タカオカミ波波迦の木
 奈良桜井市某宿に宿泊
 
 2日目
吉祥草寺(奈良県御所市茅原)・龍泉寺(奈良県吉野郡天川村洞川494)・天河弁財天(奈良県吉野郡天川村坪内)・日前宮(和歌山県和歌山市秋月365)・浜宮(和歌山県和歌山市毛見)・武内宿禰産湯誕生井(和歌山県和歌山市松原83番地)



瀬織津姫と源頼朝

2014-08-21 01:58:00 | 六甲山とその周辺
 源頼朝は瀬織津姫と御縁の深い静岡の三島大社を深く崇敬し、兵庫県西宮市の甲山神呪寺の復興に御尽力されています。 そして神呪寺の境内井からわずか5分のところに、源頼朝公の塚があります。
 その塚にはかつて三種の神器が埋納されていて、現在は、神呪寺の多宝塔に安置されているという話も聞いております。また頼朝の塚は、京の都=御所の方向を向いています。

http://kokoronopastel.blog.so-net.ne.jp/2012-04-05


 

和を以って貴しとする鷲林寺

2014-08-21 01:57:00 | 六甲山とその周辺
  武田・上杉の和合の象徴 西宮市鷲林寺と鷲林寺村
 六甲比命大善神の磐座を核として六甲山を山岳修行の場とする、六甲修験の入り口にある鷲林寺(じゅうりんじ)地区は、武田・上杉両家の子孫がお住まいの地域です。 
 戦国時代、骨肉相食む戦いを繰り広げた武田信玄と上杉謙信。
武田家は有名な軍事書、『甲陽軍鑑』を著しますが、甲陽とはどうやら、六甲と甲山周辺を示しているようです。東条英機もそれにあやかろうと甲陽園あたりにいたこともあったそうです。(お若い人!西条秀樹ではありませんよ。)
 さて、川中島の戦いの後、その家来たちが戦争をやめて帰農し、互いに平和の村をつくったのが、甲山の西側、芦屋市奥池の真東に位置する西宮市鷲林寺地区(柏堂含む)なのです。
 戦争をすることのむなしさに気づいて、今度は平和の神=六甲の神をともにお祀りするお役目を果たされています。武田氏は不動明王(天照大神荒御魂またの名、六甲比命)を、上杉氏は毘沙門天(男神天照大神)を鷲林寺で祀ります。
 現代人もこれに見習うべきではないでしょうか。
 
   鷲林寺沿革 より
 >伝武田信玄公の墓について
 鷲林寺参道脇墓地の西南隅に七重石塔があり、現在西宮市内最古の石造遺品として市の文化財に指定されている。「武田信玄公の墓」と鷲林寺では伝える。信玄公の墓とも、信玄公が僧侶になるため得度(とくど)し、その頭髪を埋めたといわれる石塔であるが、その推定年代は鎌倉時代中期のものと判明しており時代がまつたく合わない。また、戦国時代甲斐の国の“武田氏”と越後の国の“上杉氏”が長年の抗争を続けており、両家の家臣の中で争いが嫌になったものがこの地に帰農して、甲斐姓(武田の家臣)高田姓(上杉の家臣)を名乗ったと伝える。(鷲林寺村伝承)<
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~jurinji/enkaku%20bunken.html