八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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白兎神と瀬織津姫を祀る佐岐神社

2019-08-25 15:58:00 | 白兎





 十数年来、参拝の機会を逃していた白兎神と瀬織津姫を祀る神社へ参拝しました。 
 場所は
〒678-1261兵庫県赤穂郡上郡町旭日乙6の佐岐(さき)神社です。案内の看板はいっさいなく、また特に参道に至る山道にいっさい案内が無いので、地元の方に御声掛けをして参拝することが必要です。
 幸い、私はナビでおおよその位置を確認して、集落の方とたまたま出会うことができ、ほぼ迷うことなくたどり着けました。(地元の方と出会わなければ、ほぼ場所の特定は無理でしょう。)
 佐岐神社。 創立年月不詳 明治7年(1874)2月村社に列し同42年(1909)素盞嗚神社2社、同43年(1910)素盞嗚神社3社を何れも合祀せり。http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6321107.html


 石破洋氏の『イナバノシロウサギの総合研究』に白兎神・瀬織津姫・スサノヲノミコトをまつる神社として、図版入りで紹介されていたことがきっかけで、参拝しました。
 
 以下のリンク先は私の2006年の古いブログ記事、全国の兎神をまつる神社一覧です。
http://yakamihakuto.seesaa.net/article/388410037.html
 
 近くに瀧神社という美しい滝=皆坂の滝(かいさかのたき)を御神体とする神社があり、この神社の祭神はもちろん瀬織津姫です。上郡町には瀬織津姫を祀る神社が2社鎮座しているのです。そして全国的にも珍しい白兎大神をまつり、しかもその神社に瀬織津姫も祀られている、というめでたいお社です。



 美しいピンクを基調とした虹とオーブが、滝神社の鳥居で写りました。歓迎してくださっているようです。


高低差10メートルはある美しい滝です。神社の御神体=瀬織津姫の滝です。

もっときれいに撮影された写真がアップされています。

http://can1833.blog.fc2.com/blog-entry-676.html

日本国憲法「第九条」の草案者は誰か?

2019-08-16 11:14:00 | ホツマ トノヲシテ

 日本国憲法「第九条」の草案者は誰か?
昭和天皇の誓い:いかなる状況にあっても自らの国民を戦争に参加させない



https://www.nippon.com/ja/column/g00269/   サイトNippon.com より
A級戦犯・白鳥敏夫からの英文の手紙    文ワシーリー・モジャロコフ

1945年12月10日公判を待つために東京の巣鴨拘置所に拘留中の、前駐伊大使で同時に「A級戦犯」であった白鳥敏夫は、吉田茂外相(当時)あての長文の手紙を書き終えた。手紙は英語で書かれていた。拘置所の検閲を難なくすり抜けられるようにするためか、それとも手紙が占領軍本部の目に留まるようにするためなのか。占領軍に読ませるためだったとの可能性が濃厚であったとみられる。

白鳥は、1930年代初頭に天皇陛下の報道官だった頃の回想から始めている:
That privileged post which I held for nearly three years afforded me the rare opportunity of observing and studying the personality of our Sovereign at a close range. As a result, I could thoroughly convince myself of his innate love of peace, his thirst for truth, and his genuine anxiety for the welfare of his people. Especially keen, I found, were his interest in foreign affairs and his desire for good relations with other nations. It seemed to me that he had an instinctive mistrust of the military and that nothing worse became him than his title of Generalissimo and the military uniform in which he had always to appear in public.

(3年間の報道官の職務のお蔭で、私は、頻繁に間近で天皇陛下をお見かけし、陛下のお人柄を知り得る、非常に稀な機会を得た。その結果、私は、天皇陛下が、生まれ持って平和を愛しておられ、真実を尊重し、真に日本国民の平安に心を砕かれていることを深く確信した。特に、陛下は、国際関係に関心をもっておられ、他国と善隣関係を保ちたいとお考えになっていたようだ。私は陛下は本能的に軍人に不信感を抱いており、大元帥という肩書と公の場で着なければならない軍服を最悪なものと感じていたと私には思われた。)

白鳥は、どこまで正直にこのような天皇の姿を描いたのだろうか?このように天皇を描写することで誰かを納得させたかったのだろうか?吉田茂は、この手紙を書いた白鳥本人よりも、昭和天皇の実像をよく知っていたと考えられる。従って手紙のこの部分は、占領軍に向けられたものだったのではないだろうか。

天皇は「戦犯」として東京裁判に召喚されるのか、玉座からの退位を強制されるのか、もしくは、統治権の総攬者(そうらん)ではなくなり日本国と日本国民統合の「象徴」たる君主として存続するのか。この時期、占領軍は、天皇の今後の運命についてまだ最終決定を下していなかった。

興味深い憲法改正に関する記述
この手紙の中で最も興味深い部分は、その結語である。白鳥は、憲法改正問題に触れながら(全面的な改正についてはまだ言及していない)、「Provisions containing a solemn promise on the part of the Emperor never, under any circumstances, to make his subjects fight a war, the right of the people to refuse military service in any form under any government, and the non-application to martial use of any part of the resources of the country. (いかなる状況にあっても自らの国民を戦争に参加させないという天皇の誓い、どのような政権下でどのような形であっても国民が兵務を拒否できる権利、国のあらゆる資源の軍事目的での使用の完全な拒否が含まれた条文)」を盛り込むことを提案している。

白鳥は、「Must form the corner-stone of the fundamental law of the new Japan if it is seriously meant to make her a land of eternal peace.(日本が、真に平和国家たらんとするならば、(このような提案が)新生日本の基本法の礎石とならなくてはならない)」としている。

さらに「Tenno's mission to reign over this land in peace and tranquility.(天皇の使命は、平和と安らぎの中で我が国を統治すること)」「That would be a totally new departure in constitutional legislation.(それは、憲法制度において、まったく新しいものとなる)」と添えている。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

戦争放棄をうたった1947年の憲法第9条は、全世界的な意味での革新的な条文となった。1945年9~10月の時点で、国民の願いという形ではあるが、日本のマスコミも戦争放棄を呼びかけてはいたが、白鳥の手紙は、時系列的に見て「永久的な戦争放棄」の原則を憲法に用いた最初の試みであった。ここで、この手紙を、広く知られている出来事や史実と同じ文脈の中で、もう一度見ていきたい思う。

誰が白鳥の手紙をGHQに受け渡したか不明

吉田茂 / 幣原喜重郎

吉田は、戦前、白鳥からの依頼を受け、長年にわたり外相を務めていた幣原喜重郎を白鳥に紹介したことがある。1946年1月20日以前に、手紙は、連合国軍最高司令官であるマッカーサーの総司令部に届けられていたが、一体、誰が手紙を受け渡し(吉田本人である可能性も考えられる)、誰が実際に手紙を読んだのかは不明である。

1946年2月1日、マッカーサー元帥に対し、憲法問題調査委員会起草の「憲法改正要綱」が提出された。マッカーサーは、その改正要綱を拒否、2月3日、総司令部民政局に対し、自ら定めた憲法基本原則(「マッカーサー・ノート」(※1))を基盤として、憲法草案を作成するよう命じた。2月4日、民生局長であったコートニー・ホイットニーは、部下を集め、憲法草案作成の作業を開始すること、「国家主権としての戦争の放棄」という項目を含んだマッカーサーによる基本原則を伝えた。2月10日、草案作成の作業は完了。2月12日、マッカーサーが草案を承認。その翌日2月13日、「マッカーサー草案」は日本政府に提示された。

占領軍民政局は、天皇や日本政府に対して、この草案を受け入れる以外の道はないことを示した。そして、ホイットニーは、もし、このGHQ草案を受け入れなければ複数の連合国が裁判にかけることを要求している天皇の身柄を保障することは「困難になる」とした。2月21日、幣原との面談においても、マッカーサーは、このことを丁寧な言い回しをしながらも、はっきりと認めた。

「戦争放棄」をめぐる曲折

昭和天皇とマッカーサー元帥の最初の会談 1945年9月27日、東京の米国大使館にて。

マッカーサー草案の中で、最も議論を呼んだのは、戦争の放棄と天皇の新しい地位に関する部分だった。戦争放棄の宣言をする必要がある根拠として、マッカーサーはこう発言した。

「もし日本が戦争を放棄することを明確に宣言するならば、日本は世界の道徳的リーダーの地位を確立できる。」 

幣原が「元帥は、指導的役割とおっしゃるが、他国は日本には追随しないでしょう」と応じると、マッカーサーは「もし他の国が日本に付いていかなくても、日本が失うものは何もない。日本を支持しない国が正しくないということになるのだ」と答えた。2月22日、マッカーサー草案は天皇によって承認され、3月6日には、「憲法改正草案要綱」として発表された。協議の中で、ホイットニーは、戦争放棄を前文の中で、基本的な原則の一つとして列挙されるだけではなく、独立した一章にすることを強く主張した。

歴史学者のリチャード・フィン(※2)と西鋭夫は、第九条をめぐる歴史の真実は闇に覆われているとしている。マッカーサーによれば、第九条を最初に発案したのは、幣原であり、1946年1月24日に懇談した際に幣原より耳にしたとのことであるが、それは政府による草案の作成の段階であった。

吉田茂は、第九条が制定に到ったのは、マッカーサーの全面的なイニシアチブによると認めている。マッカーサーの「戦争そのものを法の領域外に置く」という発言から、フィンは「日本国憲法における反戦思想は、おそらくマッカーサーによるものだろう、反戦思想を憲法に盛り込んだ責任は彼が全面的に負うべきものである」との結論に到達した。フィンは、どうやら白鳥の手紙については全く知らなかったようである。

マッカーサーに間接的に影響を及ぼした白鳥
白鳥が手紙の中で憲法改正および「戦争放棄」を盛り込むことについて記している部分の和訳が、1956年、東京裁判で白鳥の弁護人を務めた廣田洋二によって公表された。著者は、入手可能なありとあらゆる資料を精査し、マッカーサーが、第九条の着想を幣原から受けたであろうこと(この時のことについて触れているマッカーサーの回顧録が出版されたのは、手紙が公開されてから8年後のことだった。)、そして、その幣原に影響を及ぼしたのが白鳥である可能性は充分すぎるほどあるという結論に達した。

廣田は、「戦争放棄」の問題は、1月24日にマッカーサーと幣原が会談した際に話し合われたということを(GHQに白鳥の手紙が届けられてからたった四日後のことである)示し、GHQ草案の作業に取り掛かるまでに、幣原がこの手紙を読む時間は充分にあったとしている。しかし、この廣田の論文は、知名度の低い雑誌に掲載されたこともあってか世間で注目を集めることはなかった。

幣原の「戦争放棄」の着想に結びつく
幣原が、白鳥の手紙から「戦争放棄」の着想を受けたが、「A級戦犯」である白鳥のことには一切触れずに、自らのアイデアとして、新憲法の基本原則の一つとすべきとマッカーサーに進言したということも考えられる。この「戦争放棄」の理念は、マッカーサーを揺り動かし、その結果、マッカーサーは憲法草案作成にさらに力を注いでいる。マッカーサーにアイデアが伝わるのとほぼ同時期に、GHQに届いていた白鳥の英文の手紙をホイットニー自らが読むか、補佐官などから手紙の要旨を伝え聞いたという可能性も考えられる。政治問題に関して、ホイットニーがマッカーサーに強い影響力を持っていたことは、よく知られているところである。もちろん、今まで申し上げてきたことすべてをもってしても、白鳥を「第九条の発案者」と呼ぶのには論拠不充分である。しかしながら、白鳥が影響を及ぼしたという可能性が非常に大きいのは厳然たる事実である。

私は、この自らの推説を、博士論文公開審査会の席上(「白鳥敏夫と日本外交(1931-1941年)」東京大学2002年)で披露した。多くの人が、関心をもって聞いてくれたが、しかし、軍国主義のイデオローグとして名を馳せた「戦犯」が、「戦争放棄」を憲法の基本理念とするという説があまりに大胆だと懐疑的だった。

後に、推説に関して、ロシア語で著した「戦いの時代 ― 白鳥敏夫(1887-1949年)、外交官、政治家、思想家」(2006年)で詳細に記述した。今日も、白鳥の伝記と呼べるものは、この本しかない。白鳥が英語で記した手紙のロシア語完訳は、私の論集「The Re-awakening of Japan(日本の新しい覚醒)」(2008年)にその他の白鳥の手紙の訳と共に収められている。

(※1) ^ 天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。

(※2) ^ リチャード・フィン、1917-1998、歴史家、アメリカン大学名誉教授、元国務省外交官。日米関係の歴史に詳しい。




本当の敵は他国ではなく、国内政府内に!

2019-08-15 15:58:00 | ホツマ トノヲシテ
https://ameblo.jp/tkma-fkng/entry-12268814795.html?fbclid=IwAR3h8QgNJP613LHxkzvR4KpiING235Jygbw2IOqIFMuqJjkahPVkxr9_c5k

TKMAのブログ 本質トークより 
 本当の敵はだれなのか。モハメドアリの言葉 より


モハメド・アリは、ベトナム戦争の徴兵を拒否したことで、
チャンピオンのタイトルを剥奪されました。

そのことで猛烈なバッシングを受けます。

けれどアリはその後も徴兵を拒否し、戦争に反対し続け、
ついにはアメリカ社会全体が、アリの主張を受け入れるに至りました。

彼が良心的徴兵拒否を表明したとき、主張した言葉。

「俺はベトコンに、なんの恨みもない」

この言葉を、しっかりと、しっかりと、
噛み締めるべきじゃないでしょうか。

我々、日本人が、ではなく、世界中の人々が、です。



そもそもアリの行動の根元にあるのは、
黒人であるということを理由に受ける、
いわれのない差別に対する抵抗です。

オリンピックに出て、金メダルを獲得すれば、
きっと差別されなくなる、と思い努力した彼は、
金メダルを携えて帰国したときに、
白人と同じレストランで食事をすることを拒否され、
金メダルを川に投げ捨てました。

そして、白人文化の象徴、キリスト教徒のカシアス・クレイではなく、
イスラム教徒のモハメド・アリになったのです。

彼にとっての敵は、遠く離れたベトナムにいて、
自分になんの危害も加えないベトナム人ではなく、
黒人を差別し、黒人を苦しめるアメリカ社会だったのです。

彼はこうも述べています。

「今、自分の信念そして自由のために戦っている人々のように、権力のある白人男性によって人間を殺す道具として私は使われたくない。」

アリは、国民たちが戦争の狂気へと突き進む中、
ただ、ちゃんと物事が見えていたのです。

極論で言えば、見えていたに過ぎないのです。



「俺はベトコンに、なんの恨みもない」

この言葉から感じ取らなければいけないのは、
自分をしっかりと持つこと、
そして、自分の気持ちを、
自分ではない他者の気持ちとすり替えようとする人々に、利用されてはいけない、ということです。

他者とは、具体的に言えば「政府」です。

国家間の戦争は、政府と政府が対立して起こります。
でも、あなたは、日本政府と一体ですか?
あなたは確かに日本人ですが、
あなたイコール日本政府なのでしょうか?

ちがいます。

政府というのは、単なる一機関に過ぎません。
それが日本という国そのものではない。

国民と政府が一心同体であったなら、
それは民主主義ではないのです。

アリの言葉を自分に置き換えてください。

例えば、あなたは北朝鮮の人に恨みがありますか?
北朝鮮政府のことではありません。

北朝鮮の単なる国民、一人一人のことです。
確かに拉致はいけませんが、
その憤りがあれば、あなたは北朝鮮の市民を
殺すことができますか?

あなたは中国人に、韓国人に、
個人的に恨みがありますか?

よーく、考えてください。
感情的にならずに。

実は政府の作り出した感情を、
自分自身の感情のように感じてませんか?

なんとなく嫌だ、と思っているのは
実はその国の政府やリーダーであって、
国民一人一人のことなど、知りもしない、
ということに気づきませんか?

それは、向こうも同じなのです。

実は、戦争というのは、
それぞれの政府にそそのかされた国民同士が、
まったく個人的な恨みもないのに、
殺し合いをさせられる、という現象なのです。

正気になると、実におかしなことですよね。

正気じゃ、できないんです。

だから政府というものは、国民を騙して、
恐怖心を焚き付けて、
正気を失わせようとするんですよ。

情報を操作したり、群集心理を利用して、
我々を狂気に変えようとするんです。

かつてもそうだったのです。
メディアがその片棒を担いだ。
そして、メディアの戦後は、その反省からスタートしたのですが、いま、メディアはすでに同じ過ちを繰り返しています。

もう、その段階で、物事は動き始めてしまってる。

だから、ふと、正気に戻って欲しいのです。
カルト宗教から逃れた人が、
何かをきっかけに、気づくことができたように。



個人的な恨みもない人同士に、
あたかも恨みがあるかのように錯覚させ、
殺しあわせる。

それが戦争です。

政府に騙されてはいけません。
向こうの国民にも伝えましょう。
そっちの政府に騙されるな、と。

国民は、どこの国民であろうと、
戦争などしたくないのです。
戦争したいのはいつも政府や軍なのです。

本当の敵は、誰ですか?
どこにいますか?



この仕組みに気づいて、
地球にいる「国民」たちが繋がって、
俺たちは戦争をしない、と言えば、
戦争はなくなります。

社会にネットがあることを、有効に使いませんか?

我々はあなた方を殺さない、と、
互いに伝え合えば、それでいいんです。

これはお花畑ではないです。
本当のことです。
国民同士の人間的な交流なんかが深まると、
政府は戦争しにくくなる。

だから、情報操作をするんですよ。
あいつらはとんでもない連中だ、と吹き込むのです。



前の戦争の時、政府は我々に、
なんと教えましたか?

「鬼畜米英」でしたね。

アメリカ人は鬼畜なのだ、と信じたから、
殺せたのです。

逆もありました。
アメリカではジャップは人間ではない。
動物なのだ、と教えて、殺せるようにしたのです。

互いの国民が、政府に騙されていたのです。

アリは、それに気づいていたに過ぎないのです。



メディアも政府も、ある目的を持って
情報を発信しています。

まず「信じない」という癖をつけましょう。

歴史は必ず、アリの側の主張が正しかったのだ、
という末路になるのです。
どうせ、そうなるのです。

それは、もう決まっているんですよ。
いくら安倍政権がムチャクチャやっても、
永遠につづくことはない。

さぁ、少しでも小さな犠牲で、この悪しき時代を終わらせましょう。