八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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八上白兎ファンクラブ次の奉納計画

2012-02-29 23:53:00 | News
 八上白兎ファンクラブでは、八頭町福本の白兎神社への狛ウサギ奉納に続く、次の奉納計画の青写真が出来上がりつつあります。
 もう間もなく発表いたします。
 また、次の奉納計画にも皆様のご協力をなにとぞよろしくお願いいたします。

天河弁財天と役行者

2012-02-28 10:25:00 | 六甲山とその周辺
 天武天皇の御代に創建されたとされる奈良県天川村の天川弁財天社は、役行者が開いたといわれます。
 
 ウィキペディアには
>室町期の僧英俊による多聞院日記に、「天川開山ハ役行者」と記述がある。天河大辨財天社の草創は飛鳥時代、役行者の大峯開山の際に蔵王権現に先立って勧請され最高峰である弥山(みせん)の鎮守として祀られたのに始まる。弘法大師が高野山の開山に先立って大峯山で修行し、最大の行場が天河神社であった。弘法大師にまつわる遺品が奉納されている。<
 とあります。
 中世より長らく琵琶山白飯寺という寺院としての歴史を持っていましたが、明治の神仏分離政策によってふたたび神社となりました。
 その明治の神仏分離の際に、弁財天の垂迹神として一般的に知られている「市杵嶋姫命」の名前が当てられたようです。  
 しかしここ天河弁財天も、菊池展明氏の調査によって明らかにされたように、天照大神と不離一体である瀬織津姫が弁財天とされていたと考えるのが妥当、と思われます。

http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/15478729.html
 >吉野の土地の伝承では、役小角が蔵王権現を念出するにあたって、最初に出てきたのは弁財天、次に地蔵菩薩で、しかし、これらでは降魔・衆生済度はとてもかなわぬとして、最後に念出して蔵王権現が出現したとされます。いずれにしても、金峰山・大峯の地主神が蔵王権現には習合していました。同地の地主神は天武時代から天女神とみられていましたが、この天女神は「日輪天女」とも呼ばれ、天河弁財天と習合する神でした。天河神社(天河大弁財天社)所蔵の文書には、天河弁財天は「天照大神別体不二之御神」とも記され、これは、天照大神荒魂神、つまりは瀬織津姫神のことです(『円空と瀬織津姫』下巻)。
 瀬織津姫神が弁財天と習合する事例は、静岡・瀬織戸神社、富山・元雄神神社、京都・井上社(通称:御手洗社、下鴨神社境内社)などに確認されますが、この神は、役小角ゆかりの蔵王権現とも習合していた可能性があります。<

 廣田神社社領 甲山とその付近において役行者が修業をし、この地で弁財天を感得して、役行者が弁財天を大切な神として信仰するようになったことを紹介しました。さらに甲山・六甲山周辺で、平清盛福原遷都以前より、弁財天として祀られている神が実は瀬織津姫であるだろうことを突き止めたこともすでにお知らせしました。
 すると、役行者が弁財天信仰として開いた他の寺院、箕面市の瀧安寺、そして、奈良県天川村の天川弁財天も、弁財天と称するその具体的な、仏教でいうところの垂迹神のお名前は「瀬織津姫」ととらえるのが妥当、といえます。
 役行者が廣田神社の社領で瀬織津姫として感得した弁財天を、別の場所だからといって、そこでは市杵嶋姫だ、ととらえる、と考えられません。
 菊池氏の調査・研究によって既に明かされたといえる天河弁財天の本尊の本来のお名前が瀬織津姫であるという説を、甲山での役行者修行の事実から、さらに補強するものとなりました。

役行者の転生が空海?

2012-02-27 15:31:00 | ノンジャンル
 役行者の転生がひょっとすると空海ではないのでしょうか? と思わせるくらい、役行者と空海は弁財天をめぐって共通したお働きをされていたようです。しかも瀬織津姫と御縁のあるこの甲山周辺で。
 単なる偶然ではないと思われる、両者の仏教を通じての瀬織津姫を守ろうとするご活躍の跡がだんだんと浮かび上がってきました。

 また一方、秦氏との関連が濃厚な聖徳太子が、宝塚方面から六甲山麓に、複数の仏教寺院を創建しました。聖徳太子は中山寺ではとくに、神功皇后・応神天皇と皇位継承をめぐって敗れた香坂王(かごさかおう)・忍熊王(おしくまおう)兄弟を弔っています。この事実に、神功皇后の時代から連綿と続く、秦氏と聖徳太子との関連がありそうに思えるのです。香坂王との戦いの舞台は播磨、摂津、武庫の水門だったと思われます。このことが、神功皇后の船が、なかなか進まなかったと記紀に記されている本当の理由でしょう。戦いに勝利した神功皇后側は秦氏勢力の協力によって、政治体制を固めていきます。これが、海外からの文物や思想を多いに導入するきっかけとなったようです。
 この時代は、仲哀天皇が九州の前線でおそらく戦死された、とも考えられるくらい、国外の勢力が日本に押し寄せて来た、非常に政権危機にあった時代といえます。仲哀天皇崩御後、実に空前絶後の70年間もの長期にわたる大空位時代=皇族の誰一人として天皇に即位出来なかった時代があったことことからも、皇室がいかに外来勢力によって危険な状態にさらされていたか、ということがうかがえます。
 
 神功皇后が六甲山とその周辺に数々の足跡を残したのは事実でしょう。そしてそれを秦氏が神功皇后顕彰伝承として定着させて、法道仙人の「雲が岩」伝承に象徴されるように、それ以前、各所に残っていた瀬織津姫の伝承を、上書きして消していったのではないでしょうか。瀬織津姫伝承地と神功皇后伝承地が重なりすぎているのです。もちろん、神功皇后自身はそれぞれの地で、瀬織津姫よりも自身の話がメインの伝説となっていくことには不本意であったと思います。
 この別の話を持って、以前の伝承やより重要な事実を消し去るという手法は、丹後羽衣伝説や浦嶋伝説で、豊受大神伝承を隠したこと、に示されています。
 また、その直後から、やはり秦氏がらみの法道仙人が、西側の播磨から寺院創建によって廣田の社領である六甲山とその周辺へ、勢力圏を広げていったようにうけとってしまうのは、単なる筆者の勘繰りでしょうか。 

 鷲林寺開基に法道仙人が関わる、という説もあながち否定できないかもしれません。 これは全く個人的な見解ですが、空海が、既に秦氏に場所を占有されていた鷲林寺を神呪寺開基とほぼ同時期に真言宗寺院に改宗したのかもしれません。
 先日の記事で紹介したとおり、西宮市教育委員会のデータによれば、甲山周辺は全て真言宗で固められていることからもそう言えるかもしれません。

鳥取の知名度が高まれば

2012-02-25 18:44:00 | News
 知事がソフトバンクを訪問 県が舞台のCMに謝意
 
 ネット版日本海新聞記事に掲載されています。ソーラーパネル事業の関係もありました。 鳥取は「糸電話を使っている」一方で、かなり先進的な試みをしている自治体です。他の都道府県の模範になるようなことを先駆けて打ち出している面もあると思います。
 平井知事はいい仕事されてます。
 孫社長との面会に、鳥取(トリンドル)タダさんも同席されたそうで。
 こうなったら、観光大使で頑張ってもらいましょう。そうすればさらに観光産業をはじめとして、鳥取(とっとり)全体が活き活きとしてくるでしょう。鳥取(トリンドル)さんには、八上姫に扮してもらってはいかがでしょう。

http://www.nnn.co.jp/news/120225/20120225013.html

白龍石か?

2012-02-25 14:41:00 | 六甲山とその周辺
 摂津名所図会にある白龍石をさがしてきました。神呪寺本堂からそれほど離れたはいないところのようです。これについても何ら確証はありません。
  神呪寺境内甲山大師道と目神山には江戸時代に作られた四国八十八か所を表した八十八か所があります。その聖観音を本尊とする八十三番目は、甲山大師道にほど近い神呪寺境内に位置しています。その傍らにかなり古い岩があります。
 http://bittercup.web.fc2.com/07muko/sinjuji.html

 位置的にみて、こちらかな、と思いました。
 もちろんこちらの岩が白龍石ではないと判明しましたら即、お知らせいたします。