

昨年2012年8月の「鳥取県政だより」に天照大神と白兎の漫画イラストが表紙として採用されていました。
~かつて白兎を祀る因幡堂があったと伝わる氷ノ山(若桜町)の登山道の一つ「氷ノ越の峠」。天照大神はここを通って因幡を後にしたと伝えられ、樹氷の美しさに感動した天照大神が「日枝の山」と呼んだのが、「氷ノ山」の名の起源とされています。~
とあります。
http://www.pref.tottori.lg.jp/eb/kenseidayori/201208/index.html?highlightwords=%E8%8B%A5%E6%A1%9C%E7%94%BA%2C%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E#page=1
現在は鳥取市河原町布袋に鎮座する荒御崎神社の祭神名は以下のサイトにあるようにスサノオノミコトとなっています。
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-698.html
しかし、先の記事で述べたように、神社の名前が非常に特殊で、その名前、およびそれに類する神社は全国的に見ても5社程度しかなく、他はすべて、荒御前神という神を祀っているため、この八上の布袋に鎮座する荒御崎神社にも荒御前神が祀られているものと考えられます。 本殿向かって左隣に鎮座するこの摂社が本来、荒御崎神=荒御前神=瀬織津姫を祀っているものと思われます。
瀬織津姫が、鈴鹿御前として、橋姫として、そして荒御前神として祀られているのですが、そのどれにも共通するものが、善神として評価されていることと、無理やり悪神として描かれていることの両面があることです。
鈴鹿御前 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E9%B9%BF%E5%BE%A1%E5%89%8D
橋姫 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A7%AB
荒御前神
http://ariadneito.web.fc2.com/top/gojyuuonjyun/a/a/aramisakinokami.htm
瀬織津姫を貶めようとする勢力が、あとからとってつけたような、恐怖のイメージを植え付けようとした結果、このような相反する神の評価が形成されたもの、と思われます。

八上 河原町布袋(ほてい)荒御崎神社境内摂社
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-698.html
しかし、先の記事で述べたように、神社の名前が非常に特殊で、その名前、およびそれに類する神社は全国的に見ても5社程度しかなく、他はすべて、荒御前神という神を祀っているため、この八上の布袋に鎮座する荒御崎神社にも荒御前神が祀られているものと考えられます。 本殿向かって左隣に鎮座するこの摂社が本来、荒御崎神=荒御前神=瀬織津姫を祀っているものと思われます。
瀬織津姫が、鈴鹿御前として、橋姫として、そして荒御前神として祀られているのですが、そのどれにも共通するものが、善神として評価されていることと、無理やり悪神として描かれていることの両面があることです。
鈴鹿御前 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E9%B9%BF%E5%BE%A1%E5%89%8D
橋姫 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A7%AB
荒御前神
http://ariadneito.web.fc2.com/top/gojyuuonjyun/a/a/aramisakinokami.htm
瀬織津姫を貶めようとする勢力が、あとからとってつけたような、恐怖のイメージを植え付けようとした結果、このような相反する神の評価が形成されたもの、と思われます。

八上 河原町布袋(ほてい)荒御崎神社境内摂社
物心ついたころからずっと気になっていた不動堂です。『郡家町誌』に少し解説があったように思います。
堂内に祀られるのは本尊不動明王を中心として、筆者が現時点でわかる範囲で記しておくと、十一面観音、聖観音、大日如来、そして不動明王、 阿弥陀如来、 弘法大師です。
ここは八頭町郡家、中央中学校のすぐ近くで、私都方面へのスクールバスの停留所(私が中学の頃はそうで、今もそのままかもしれませんが)の真ん前です。真西に池田の白兎神社(ここには弁財天も祀られて、不動明王の小さな軸絵もあります。)、真北にやはり不動明王を祀り、かつての福本の白兎神社の社殿を安置する青龍寺が位置します。後世にこの場所に不動堂が移転したにせよ、何かしら意味があるのではないかと思います。またこの場所から夏至の日の入り方向に柿田薬店があるのも、今となってはおやっ、とついつい引っかかりを感じるものです。
ますますこの不動堂の重要性が浮かび上がってきます。



新さんから質問がありました。
ずっと古くは、ウサギが薬草を調合している姿が月の兎として描かれていたのに対し、いつのころからか、餅をつく兎になってしまった、その理由は? というものでした。
私なりに思ったことを新さんにお答えしました。
元はまさに薬草を調合する兎の姿、だったと思います。
それが餅になったのは、どうしてか。餅は神にささげる重要なお供え物です。
ヨモギ餅や栃餅がありますが、いずれも、薬効成分を持ったヨモギの葉であり、栃の実です。
月は望月、という言葉があるように、餅と関わりがあり形状も円形という共通性があります。
餅という神への捧げものの中に、薬効成分を含む植物を取り込んでいくことで、その変化の連続性が説明できるのかもしれません。
また八上薬は有名だったようです。以下のサイトにあります。
http://www.kitosan-net.com/cgi-bin/kitosan-net/sitemaker.cgi?mode=page&page=page1&category=3
>昔話とキチン・キトサン
ここでは、山陰地方に伝わる昔話『因幡の白ウサギ』に関わるキチン・キトサンの裏話をご紹介します。
『ワニ(サメ)をだまし、毛をむしられ、砂浜に転がされていた白ウサギが、通りがかった大国主命(大黒様)のアドバイスで元気になる。』という話です。
この話からもわかるとおり、大国主命は慈悲深くたいへん立派な神様でした。そのため周りからもたいそう慕われていたそうです。
やきもち焼きの79人の兄たちは、何かにつけて大国主命をねたんでいました。
あるとき、兄たちは大国主命に赤イノシシの捕獲を命じ、イノシシに見せかけた真っ赤に焼けた岩を山の頂から大国主命めがけて転がし、捕まえようとした大国主命は、全身おお火傷で死んでしまいました。 これを知った 高天原の神様たちは、ハマグリ姫とアカガイ姫に大国主命を助けるように命じました。
二人の姫は、赤貝の殻を焼き、粉にしました。それにハマグリの口から水を吹かせ、赤貝の粉に混ぜねりました。
それを大国主命の体に塗ると、たちまち生き返りました。
じつは大国主命は背負った袋に、当時の先端医薬品を入れ全国各地を行脚していたそうです。その薬のひとつが、赤貝の粉とハマグリの汁の丸薬で『八上薬』といわれ、山陰地方では実際に火傷などの特効薬とされていたということです。
そして、その八上薬を分析したところキチン・キトサンと同質のものだったそうです。
神代の昔の薬と、現代の先端技術で抽出されたキチン・キトサンとが結びつくことになったのです。
他にも、山に住む住民の人たちが、うるしかぶれ、腹痛、高熱、中耳炎などの治療にカニ殻の粉末を患部にぬったり煎じて飲んだりしていたという話も残っています。<
ここで登場するのは、キサガイ姫、ウムガイ姫ですが、この神は神社祭神として祀られているところは全国を見渡しても、きわめて稀です。
八頭町橋本の大江神社にはかつて、本殿の背後に摂社として、このキサガイ姫、ウムガイ姫を祀るお社がありました。現在は本殿に合祀されています。
http://www.genbu.net/saijin/kai.htm
このことからも、八上薬は八上の広い範囲で作られて、大江谷ではこの薬効を持つ、火傷の薬が作られていたのかもしれません。いずれにしても、ウサギと薬は切っても切れない関係にあるといえます。
ずっと古くは、ウサギが薬草を調合している姿が月の兎として描かれていたのに対し、いつのころからか、餅をつく兎になってしまった、その理由は? というものでした。
私なりに思ったことを新さんにお答えしました。
元はまさに薬草を調合する兎の姿、だったと思います。
それが餅になったのは、どうしてか。餅は神にささげる重要なお供え物です。
ヨモギ餅や栃餅がありますが、いずれも、薬効成分を持ったヨモギの葉であり、栃の実です。
月は望月、という言葉があるように、餅と関わりがあり形状も円形という共通性があります。
餅という神への捧げものの中に、薬効成分を含む植物を取り込んでいくことで、その変化の連続性が説明できるのかもしれません。
また八上薬は有名だったようです。以下のサイトにあります。
http://www.kitosan-net.com/cgi-bin/kitosan-net/sitemaker.cgi?mode=page&page=page1&category=3
>昔話とキチン・キトサン
ここでは、山陰地方に伝わる昔話『因幡の白ウサギ』に関わるキチン・キトサンの裏話をご紹介します。
『ワニ(サメ)をだまし、毛をむしられ、砂浜に転がされていた白ウサギが、通りがかった大国主命(大黒様)のアドバイスで元気になる。』という話です。
この話からもわかるとおり、大国主命は慈悲深くたいへん立派な神様でした。そのため周りからもたいそう慕われていたそうです。
やきもち焼きの79人の兄たちは、何かにつけて大国主命をねたんでいました。
あるとき、兄たちは大国主命に赤イノシシの捕獲を命じ、イノシシに見せかけた真っ赤に焼けた岩を山の頂から大国主命めがけて転がし、捕まえようとした大国主命は、全身おお火傷で死んでしまいました。 これを知った 高天原の神様たちは、ハマグリ姫とアカガイ姫に大国主命を助けるように命じました。
二人の姫は、赤貝の殻を焼き、粉にしました。それにハマグリの口から水を吹かせ、赤貝の粉に混ぜねりました。
それを大国主命の体に塗ると、たちまち生き返りました。
じつは大国主命は背負った袋に、当時の先端医薬品を入れ全国各地を行脚していたそうです。その薬のひとつが、赤貝の粉とハマグリの汁の丸薬で『八上薬』といわれ、山陰地方では実際に火傷などの特効薬とされていたということです。
そして、その八上薬を分析したところキチン・キトサンと同質のものだったそうです。
神代の昔の薬と、現代の先端技術で抽出されたキチン・キトサンとが結びつくことになったのです。
他にも、山に住む住民の人たちが、うるしかぶれ、腹痛、高熱、中耳炎などの治療にカニ殻の粉末を患部にぬったり煎じて飲んだりしていたという話も残っています。<
ここで登場するのは、キサガイ姫、ウムガイ姫ですが、この神は神社祭神として祀られているところは全国を見渡しても、きわめて稀です。
八頭町橋本の大江神社にはかつて、本殿の背後に摂社として、このキサガイ姫、ウムガイ姫を祀るお社がありました。現在は本殿に合祀されています。
http://www.genbu.net/saijin/kai.htm
このことからも、八上薬は八上の広い範囲で作られて、大江谷ではこの薬効を持つ、火傷の薬が作られていたのかもしれません。いずれにしても、ウサギと薬は切っても切れない関係にあるといえます。