7年前の2011年7月31日、大江はその数日前に、ネットで発見した六甲山の磐座が、もしや瀬織津姫の御陵ではあるまいか、と思いを膨らませ、初めて現地へ訪れました。
六甲山カンツリーハウスの天穂日命の磐座を参拝の後、カンツリーハウスの人におおよその道を教えていただき、心経岩から参拝。そこから少し上がったところに、予想していた以上の大きな磐座を初めて見たその瞬間、これこそ瀬織津姫の磐座に間違いない、と個人的には確信しました。
以後、この磐座のことが頭から離れることなく、あらゆる角度から瀬織津姫さまの磐座であることの論証を進め、ある方への神様からのメッセージ「六甲比命は瀬織津姫」で確証を得たのち、翌2012年3月4日に、知人十数名の方々に集まっていただいて、いわゆる祠(ほこら)開きをさせていただきました。
同月、伊勢の二見が浦でのホツマサミットの席上で、正式にこのことを公表し、以後六甲の瀬織津姫さまの磐座の存在が世間に知れわたるようになったのです。
六甲山カンツリーハウスの天穂日命の磐座を参拝の後、カンツリーハウスの人におおよその道を教えていただき、心経岩から参拝。そこから少し上がったところに、予想していた以上の大きな磐座を初めて見たその瞬間、これこそ瀬織津姫の磐座に間違いない、と個人的には確信しました。
以後、この磐座のことが頭から離れることなく、あらゆる角度から瀬織津姫さまの磐座であることの論証を進め、ある方への神様からのメッセージ「六甲比命は瀬織津姫」で確証を得たのち、翌2012年3月4日に、知人十数名の方々に集まっていただいて、いわゆる祠(ほこら)開きをさせていただきました。
同月、伊勢の二見が浦でのホツマサミットの席上で、正式にこのことを公表し、以後六甲の瀬織津姫さまの磐座の存在が世間に知れわたるようになったのです。