八上白兎神社Ⅱと全国神話伝承他

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54年映画山椒大夫に如意輪観音!

2018-12-25 11:27:00 | ホツマ トノヲシテ
 
 
 筆者も、子供向けに書かれた『安寿と厨子王』は小学校低学年の時、何度も読み返した愛読書でした。 結婚して丹後との縁ができてから、宮津の山椒大夫の伝承地を訪ねたりしたこともありました。亀岡市の穴太(あのう)は出口王仁三郎氏の出身地で有名ですが、考古学・歴史学者の故上田正昭氏が宮司を務めていた開化天皇を祀る小幡神社、そして古くは雄略22年、丹後の比沼麻奈為神社から豊受大神を伊勢の山田に遷座する途中、一夜をお過ごしされた場所であり、それを記念して建立された神明社が今も鎮座しています。またその時、欅の古木の穴にお供えした稲穂の種が入って、後にそこから苗ができた、という瑞祥から穴穂(あなほ)という地名となり、現在の穴太となった、そうです。
 そこに西国三十三所の穴太寺があるのですが、ここには厨子王所縁の護持仏が奉納されており、時期を限定して御開帳されているようです。https://iizukahiroaki.com/?p=955
 
 さて、山椒大夫の話は、森鴎外によって有名になりましたが、江戸時代に出版された「説経」などが元のようです。もちろん、実話をもとにしたものであり、そうであるがゆえに、丹後由良を中心に多くの伝承が関連する全国各地に残っているわけです。
  
 筆者が、ほんの数日前に何気なく見た1954年の映画、『山椒大夫』では、何と金焼地蔵の代わりに如意輪観音が、ストーリー展開のうえで、終始重要な護持仏として描かれているのが、とてもとてもうれしく思われました。
 勧善懲悪モノの典型的なお話ですが、このような悲しい境遇におかれた人々を、神仏がお助けになることは大いにありうることと思われます。
 如意輪観音は聖徳太子以来、神仏習合で、瀬織津姫の仏教的お姿の一つとほぼ断定してよいでしょう。 瀬織津姫をはじめとする高天原神界は、神代の時代から現代にいたるまで、ずっとトノヲシテ、ないしトノヲシテに沿った生き方を貫く衆生にお力添えをされてきていると筆者は確信しております。
 丹後の山椒大夫について、ネットで一番詳しいのは以下のおなじみのサイトです。
http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkn15.html
 
 時間があるときに、ぜひ54年の映画『山椒大夫』もご覧ください。要所要所で如意輪観音が登場します。また、香川京子さん、この方も故加藤剛さんと同じく、トノヲシテに沿った生き方をされているように思えますが安寿の役もナイスキャストです。有名な入水のシーンは実は代役の方だったそうです。
http://katsu85.sakura.ne.jp/sansyo.html
 ロケ地の一つとして京都の広隆寺が唐招提寺とともに、和江の国分寺境内として選ばれたようです。
 ちなみに広隆寺の宝物殿の薬師如来は11月22日だけの御開帳で、今年、初めてその御開帳に合わせて筆者は参拝をしてきました。なんとこの像は、向日明神という神様がおつくりになったそうです。


天皇陛下のお言葉 

2018-12-23 11:27:00 | ホツマ トノヲシテ
《問》天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。

 【天皇陛下】この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

 第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。

 しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。

 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

 今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。