【NAGASAKIから世界平和を】
2015年10月14日、長崎で世界平和のイベントを開催いたしました。
ステージには神道とイスラム教が互いに相互理解を深め、差別なく受け入れることで平和を作る。
平和とは得るものでもあるものでもない。
自らが作るものです。
爆心地となった長崎。
戦争として民間人を巻き込んだ最後の爆心地である長崎から世界に平和を訴える事は大きな意味がある。
人はなぜ争うのか?
国はなぜ戦争をするのか?
平和とはなんなのか?
私たちは平和を築くために何を行っているのか?
平和は何も起きない事だと思っている人も多いだろう?
では、何も起きない世の中は何もやらなくても出来るのか?
そんな事はない。
私達は過去の苦しみや憎しみを乗り越え、共に力を合わせる事で平和を築い出来た。
戦争とは憎しみや怨み、そして、人の欲が起こさせる。
そう、戦争とは人が起こしているのだ。
私達は過去の過ちから多くの事を学んだ。
また、ボタンひとつで人類を滅ぼす武器も手に入れた。
だからこそ、これまで以上に道徳心が問われる。
平和賛成運動とは、その心を養う事である。
意にそぐわない事が起きた時、許せない出来事が起きた時、納得のいかない事を言われた時、
万に一つでも自分に不足している事はないかと見つめ直し、反省する。
その心を養う事が大切である。
その心があれば平和は保たれる。
平和とは最大の敵である己に打ち勝つ事である。
先日幣立神宮で行われた大祭では五大陸の人種が同じ社に集まり、世界の祈りをあげた。
一見、見過ごせばそれまでの光景だが、同じ土俵でこの様な事が許されるのは日本だけである。
世界には差別や区別が存在する。
私達が当たり前の様に見過ごしている光景も、世界の非常識なのである。
これこそが平和で得る証である。
差別や区別をする事なく、等しく共として受け入れる。
私達は最後の爆心地として、この心を世界に広げる権利がある。
今回は志高い方々が一堂に集い、その輪を広げ、未来の子供達に誇りある祖国を残すために私達に何が出来るのか?
共に考え、共に動き出す。
そのキックオフとも言えるイベントの開催でした。
多くの方々が参加頂き、心より感謝申し上げます。
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