ガイアシンフォニー地球交響曲8が完成し、明治神宮でも上映会が催されました。
上映会には、著名な方々が大勢お集まりのようで、高円宮様、安倍昭恵さんもいらっしゃったそうです。大きな広がりへとつながってもらいたいものです。http://www.cinematoday.jp/page/N0070888
今回の内容の一つに、東北の舞根神社が登場します。瀬織津姫を祭神とする舞根神社については、菊池展明さんが詳細に調査されています。
熊野大神の原像 http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/kumanosin.html
気仙沼商会 の 瀬織津姫伝説よりhttp://www.k-shokai.co.jp/company/image/contribute055.pdf
>むかしむかし(養老2年・718年)多賀城に大野東人(おおのあずまんど)という鎮
守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)がおりました。将軍の仕事は、中央政権に従わなかった蝦夷(えぞ)の人達を征伐(せいばつ)することでした。しかし蝦夷の人達はとても強く簡単に征服することはできませんでした。そこで神様に頼るしかないと考え、元正天皇(げんしょうてんのう)に紀州熊野(きしゅうくまの)の神様をこの地に迎えたいのですがと願い出ました。天皇はその願いを受け入れてくださり、紀州の国の県主(あがたぬし)「鈴木左衛門尉穂積重義(すずきさえもんいほつみしげよし)」という人に熊野の神様の分霊(ぶんれい)を東北の地に祀(まつ)らせるように命じました。
鈴木左衛門尉穂積重義は、家臣(かしん)数百人を従(したが)え、船団(せんだん)を組んで紀州(きしゅう)から北に向かいました。そのときお連れした熊野の神様の分霊をお祀(まつ)りするため、その場所を大祓(おおはら)い清めたのが瀬織津姫(せおりつひめ)であると伝えられているようです。
船団は5ヶ月かかって、ある港に到着しました。その港が唐桑村細浦(ほそうら)、現在の唐桑町鮪立(しびたち)であり、その時、仮のお宮を建て熊野本宮神を安置(あんち)したのが唐桑町舞根(もうね)だそうです。現在も着岸第一歩の鮪立には業除(ごうのけ)神社が、舞根には瀬織津姫神社、その側に熊野神社が祀(まつ)られています。
鎮守府大野東人将軍は、郷主(ごうしゅ)たちを招集(しょうしゅう)して神輿(みこし)を出迎え、天皇からの手紙を受けとった後、何処(どこ)に神様を奉(まつ)ったらいいのか神様の意見を伺(うかが)ったところ「磐井郡鬼首山(いわいぐんおにかべやま)(室根山)の峰がいい」というお告げがあったので、鈴木家の家臣の人達と白馬(あらうま)17頭に乗った郷主たちに守られながら出発し、途中の新城、折壁などで粥(かゆ)を献上(けんじょう)され、室根山に向かったという説があります。室根では熊野の神様をお迎えしたという古例(これい)に従い、室根大祭を4年に1度閏年(うるうどし)の翌年行っており、今年がその年になっています。
このほかにも瀬織津姫にはいろいろな言い伝えがあるそうですが、共通して言われている「瀬」は川、「織」は曲がっている、「津」は海、を意味し、厄災(わざわい)を川から海に流し海深くに鎮(しず)めてくれる大祓(おおはら)いの神様であった、というところに着目(ちゃくもく)し、現代の不安や不景気を全て祓って流してもらいたいと願い、また来年3月の唐桑町との合併を歓迎する意味で、唐桑に縁(ゆかり)のある「瀬織津姫パレード」で今年は参加致しました。
祝 唐桑・気仙沼合併 祝 第55回気仙沼みなとまつり
新気仙沼市の繁栄を心からお祈り申し上げます。
株式会社気仙沼商会<
ガイアシンフォニー8のサイトに紹介されています。
http://gaiasymphony.com/no8/forest
ガイアシンフォニーでは以前、天河弁財天が取り上げられたそうです。http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/coramu1/gaiasymphony5th.html
筆者は、ガイアシンフォニーの制作関係の方を六甲比命神社の磐座へご案内したことがあり、この流れで行けば、いずれ、六甲の瀬織津姫にもスポットがあてられるようになる、と期待しております。
上映会には、著名な方々が大勢お集まりのようで、高円宮様、安倍昭恵さんもいらっしゃったそうです。大きな広がりへとつながってもらいたいものです。http://www.cinematoday.jp/page/N0070888
今回の内容の一つに、東北の舞根神社が登場します。瀬織津姫を祭神とする舞根神社については、菊池展明さんが詳細に調査されています。
熊野大神の原像 http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/kumanosin.html
気仙沼商会 の 瀬織津姫伝説よりhttp://www.k-shokai.co.jp/company/image/contribute055.pdf
>むかしむかし(養老2年・718年)多賀城に大野東人(おおのあずまんど)という鎮
守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)がおりました。将軍の仕事は、中央政権に従わなかった蝦夷(えぞ)の人達を征伐(せいばつ)することでした。しかし蝦夷の人達はとても強く簡単に征服することはできませんでした。そこで神様に頼るしかないと考え、元正天皇(げんしょうてんのう)に紀州熊野(きしゅうくまの)の神様をこの地に迎えたいのですがと願い出ました。天皇はその願いを受け入れてくださり、紀州の国の県主(あがたぬし)「鈴木左衛門尉穂積重義(すずきさえもんいほつみしげよし)」という人に熊野の神様の分霊(ぶんれい)を東北の地に祀(まつ)らせるように命じました。
鈴木左衛門尉穂積重義は、家臣(かしん)数百人を従(したが)え、船団(せんだん)を組んで紀州(きしゅう)から北に向かいました。そのときお連れした熊野の神様の分霊をお祀(まつ)りするため、その場所を大祓(おおはら)い清めたのが瀬織津姫(せおりつひめ)であると伝えられているようです。
船団は5ヶ月かかって、ある港に到着しました。その港が唐桑村細浦(ほそうら)、現在の唐桑町鮪立(しびたち)であり、その時、仮のお宮を建て熊野本宮神を安置(あんち)したのが唐桑町舞根(もうね)だそうです。現在も着岸第一歩の鮪立には業除(ごうのけ)神社が、舞根には瀬織津姫神社、その側に熊野神社が祀(まつ)られています。
鎮守府大野東人将軍は、郷主(ごうしゅ)たちを招集(しょうしゅう)して神輿(みこし)を出迎え、天皇からの手紙を受けとった後、何処(どこ)に神様を奉(まつ)ったらいいのか神様の意見を伺(うかが)ったところ「磐井郡鬼首山(いわいぐんおにかべやま)(室根山)の峰がいい」というお告げがあったので、鈴木家の家臣の人達と白馬(あらうま)17頭に乗った郷主たちに守られながら出発し、途中の新城、折壁などで粥(かゆ)を献上(けんじょう)され、室根山に向かったという説があります。室根では熊野の神様をお迎えしたという古例(これい)に従い、室根大祭を4年に1度閏年(うるうどし)の翌年行っており、今年がその年になっています。
このほかにも瀬織津姫にはいろいろな言い伝えがあるそうですが、共通して言われている「瀬」は川、「織」は曲がっている、「津」は海、を意味し、厄災(わざわい)を川から海に流し海深くに鎮(しず)めてくれる大祓(おおはら)いの神様であった、というところに着目(ちゃくもく)し、現代の不安や不景気を全て祓って流してもらいたいと願い、また来年3月の唐桑町との合併を歓迎する意味で、唐桑に縁(ゆかり)のある「瀬織津姫パレード」で今年は参加致しました。
祝 唐桑・気仙沼合併 祝 第55回気仙沼みなとまつり
新気仙沼市の繁栄を心からお祈り申し上げます。
株式会社気仙沼商会<
ガイアシンフォニー8のサイトに紹介されています。
http://gaiasymphony.com/no8/forest
ガイアシンフォニーでは以前、天河弁財天が取り上げられたそうです。http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/coramu1/gaiasymphony5th.html
筆者は、ガイアシンフォニーの制作関係の方を六甲比命神社の磐座へご案内したことがあり、この流れで行けば、いずれ、六甲の瀬織津姫にもスポットがあてられるようになる、と期待しております。