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神奈川葉山町向津姫を祀る3社!

2014-11-10 07:35:00 | 瀬織津姫
 神奈川県葉山町には、向津姫(瀬織津姫)を祀る神社が3つあり、そのうち2社が天照大神と並祭されています。

神明社 (葉山町木古庭大沢) 木古庭大沢928-4  祭神 天照大神・向津日売命

神明社 (葉山町下山口) 下山口1504      祭神 天照皇大神・向津比売命

杉山神社 (葉山町) 上山口2639        祭神 大物主命・豊佐賀男命・伊邪冉命・早玉命・向津日売命
 
 神奈川県内にはそのほかに、室町時代ごろより、川崎市の天照皇大神に天照大神と向津姫が並祭されています。
 木古庭の神明社は以下のサイトがあります。すぐそばに関連濃厚と思われる瀧不動堂があります。
http://www13.ocn.ne.jp/~honnenji/takifudo.html

http://sagaminokuni.blogspot.jp/2014/09/blog-post_15.html

http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/1483/1/KJ00000160730.pdf

 下山口の神明社については地元のサイトがあり、そこに、由緒が記されています。
http://www.hayamamachi.com/shinmeisya/


以下、転載です。

>神明社の由来です。
元の社家である大谷家に伝わる説によれば、宝永元年甲申(1704)九月十六日に現在地の伊勢山に祭祀され、御神体は衣冠束帯姿の木像で、長者ヶ崎の海中より引き上げられたのだそうです。  その伝わっているお話とは、元の名主 沼田八右衛門が村に悪い病気が流行り病魔に襲われ倒れる人が多いのを憂い、悪疫退散を天神地祇に七日七夜にわたって祈願しました。その満願の当夜、白衣の老翁が枕頭に立ち現れて「爾吾を念ずること久し、洗心の懇祈により悪疫退散心身安泰疑いなし」と宣り給うと、長者ヶ崎の方へと去って行ったのです。八右衛門が翌朝その跡を訪ねて長者ヶ崎に行くと、海上に木片が漂流しているのを見付けて引き上げてみると、それは衣冠束帯姿の御神像でした。八右衛門は名主沼田次右衛門、年寄 沼田惣右衛門、沼田忠右衛門、沼田喜兵衛、沼田安兵衛らと相談して、御神像を現在地の伊勢山に奉安したところ、御神徳により悪疫は忽ち退散し村は無事平穏に復しました。なお、「伊勢山」との地名は、地名の方が先にあったのではなく、むしろ「天照皇大神宮」=「お伊勢さま」をお祀りしたところから伊勢山と命名されたものと思われます。<

 >以後、最初に御神像を奉安した九月十六日を祭日と定めて毎年例祭が行われていましたが、現在は新暦で毎年八月十八日に例祭が挙行されています。元々の社家であった大谷家は既に神職を退き、現在は森戸神社の兼務社となっています。そもそもは悪疫退散祈願に由来を持つ神明社ですが、その他に安産守護の神様としても尊崇されているようです。明治六年(1873)に村社に列せられ、更に大正七年(1918)七月に公示を以て指定村社に列格されました。 社号はかつては「天照皇大神宮」と称されていましたが、明治八年(1875)の宮称廃止令発布により、「神明社」と改称されました。神明社は平成七年に不幸にも火災に見舞われ、御社殿も古文書などと共々焼けてしまい、更に御神輿も焼失してしまいました。そのため、古くからの面影を偲ばせるものは殆ど全てが灰燼に帰してはしまったのですが、氏子さん方の熱意が実って、程なく無事に御社殿も御神輿もが再建復興され、お祭も昔に変わらず再び盛んに執り行われています。<

 この由緒書きには興味深い点があります。 
 衣冠束帯姿の御神像とはまさしく男性のお姿です。 その御神体を天照大神として奉安されています。そして、同時か、もしくはそのあとに、后神である瀬織津姫=向津姫を並祭されているのです。 すごいお話です。

 そして葉山、といえば、葉山御用邸、です。
また我が西宮の向津姫を祀る廣田神社を再興したのが葉山姫ではありませんか。この一致は偶然とは言えないでしょう。
 この神奈川の葉山の地に奇跡的な神社創建、そして天照大神と瀬織津姫の並祭に、葉山姫の御神霊のお力が働いているのではないでしょうか。


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