菅改造内閣が発足し、テレビのインタビューに街行く人々が、政府に何を期待するのか答えていた。
カメラの前で「消費税は上げないで頂きたいですねえ」「保育所を増やして頂きたいですよ」というようなことを通行人が喋り、画面の下には「消費税は上げないでほしい」「保育所を増やしてほしい」と語尾を訂正した字幕が出ていた。
また、以前から、閣僚が「○○さんには○○大臣に就任して頂きたい」などと喋っても字幕では「就任してもらいたい」となっていた。
NHKをはじめとするテレビ局に対しては批判も多いけど、さりげなく日本語を是正している面もあるのだなと、なんとなく感心してしまった。
ついでに「身内に対して敬語を使う」ということの不自然さも指摘してみたい。例えば自分の会社に岡田という渉外担当部長がいて専務に昇格したとして、お客様に対して「岡田部長は専務になられました」とは言わない。政党と会社はもちろん違うが、会社であれば電話をかけてきたお客様や取引先に対しては「岡田は異動があって専務になりました」と答えるのが一般的だ。社長が「小沢さんには辞めて頂きました」とさん付けで謙譲語で喋るのも変だ。党内(会社内)でどちらが偉いのかは国民には関係ないので、「小沢は不手際があったので降格させました」と言うべきだ。ただしこういう慣習は自民党政権時代から存在していたようで、総理大臣として私の記憶の中で最も古い中曽根康弘も、身内である当時の官房長官に対して謙譲語を使ったことはある。
「頂く/戴く」は頭にのせる、頭上高くに位置させるという意味の言葉で、謙譲の意を表し、「~頂く」というのはもちろん「~してもらう」の謙譲語である。そして「致す」と同源であり、それは「ささげつくす」という意味だ。そして謙譲とはへりくだることである。
私は漫画家の先生から色紙や著書にサインを頂戴(ちょうだい)する機会に恵まれることがあるが、それが可能な場合は「WRLZ君へ」と名前を入れてもらっている。その際、言葉では「『WRLZ君へ』と入れて頂けますか」と謙譲語でお尋ねしお願いしている。転売を目的としない限り尊敬していない漫画家のサインをもらうことはあり得ないので、サインを頂戴したい漫画家は常に自分より「目上」だ。従って何かをしてもらった時に漫画家に対して謙譲語を使うことは、私にとっては日本語として自然だ。
もちろん私は立派な政治家に対しては敬意を払っているが、「内閣その物」を尊敬することはない。内閣は人間ではないからだ。従って「消費税は上げないで頂きたい」と政府を相手にへりくだった言葉を使うことはしない。
消費税を上げてほしくなければ「消費税は上げないでほしい」、上げても構わないのなら「消費税を上げても良いが代わりに福祉を充実させてほしい」というような言葉遣いで、仮にマイクを向けられたら喋りたいと思う。
「消費税を上げさせて頂きます」とへりくだる立場にあるのは政府であり、国民は「消費税の税率を上げるのを許してあげる」という立場である。
政策について世間話をする時は、敬語は使っても謙譲語を使う必要はない。
有権者に対して土下座をする政治家はいるが、政治家に対して土下座する有権者はいないというのと、少し似ている気がする。
「日本語にやかましいオレ」という内容の記事は他にもあるのでよろしければお読みください。
「言う」と「云う」と「謂う」
縦書き文章の中の英数字
「犯人は私じゃないです」。
オレってやかましくてイヤな奴だなあ(笑)
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気になられてしまいましたので恐れ多くもご指摘させて頂きさしあげられ下さいました(笑)
勉強になります。