アルバニトハルネ紀年図書館

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敬老の日

2010-09-16 | daily
 
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敬老の日が近い。(本来なら15日だ)。最近、お年寄り(私は「高齢者」ではなくこう呼ぶように教えられたのでこう呼んでいる)を敬わないけしからん論調が、特にネット上に散見しているのが気になる。
傾向としてインターネットは若者の利用者が多く、若者のほうが頻繁に活発に目立つ発言をするので、年輩の方々を蔑視する発言が相対的に多くなってしまう。
「年輩だからといってその人を敬うことはできない」という反発にも道理はあるが、「老人だという理由だけでその人を否定して良い」というわけでは断じてない。そしてそれは同時に「自分は若いので無条件に尊重されなくてはならない」という傲慢な思い上がりに繋がるので自重するべきだ。

「老害(ろうがい)」という造語があるが、そのような汚い言葉の使用は厳に謹むべきだと私は考えている。
社会が発展しながら持続していくために世代交代は確かに必要だが、この造語には、それを産み出した者の真意はさておき、その響きからは歳を重ねた人を一方的に排除しようとする高慢な悪意だけを私は強く感じる。

忘れてはならないのは、「お年寄りを敬う」ということと「己の若さを恥じる」という謙虚さは表裏一体だということだ。

若い時には誰でも恥ずかしい行いの一つや二つは冒(おか)してしまうものだ。私は過去の自分を振り返ると恥ずかしい気持ちになるし、今でも数年経つと数年前の自分が恥ずかしくなる。

21世紀の今日(こんにち)、敬老の日に敬われるべき対象となっている人々は、1950年代から1960年代にかけて何らかの形で「安保闘争」と呼ばれた物に巻き込まれてしまった世代である。50年前には安保反対(新条約締結反対)を叫んだ人々もいれば、逆に左翼運動の暴力から自分達の学校を守るためにバリケードを築いた人々もいた。大多数の人々は無関心であったり消極的に日米同盟を支持しており(それを岸信介は「声なき声」と呼んだ)、あのような「学生運動」を勉学の妨げになるといった理由で迷惑がっていたと聞いている。そして日米安保が我が国を守るために必要だったことは、東西冷戦が社会主義の敗北で終結したことからも、歴史が証明している。



いつの時代も人々は過去の過ちから学んで成熟に向かう物なのだ。だから「過ち(あやまち)」という字は「過ぎる(すぎる)」と書くのだと思う。

先の大戦で先人が死を賭して護った国を、その次の世代が発展させ、今日(こんにち)を生きる我々は豊かさを享受しているのだから、私は自分より上の世代を敬うようにしている。
それは「職場の上司や学校の先輩が嫌な奴だ」という話とは次元の違う物なので、混同してはいけない。


さて、私は「リア充」と呼ばれる種類の人間ではないので連休中にも特に遠出をする予定はないが、明日明後日と続けざまにブログを更新しない可能性もあるのでこの記事は数日間、一番上に表示されているかもしれない。このような記事を書いたことも、後日「恥ずかしい」と思うことになるかもしれないが、それもやがて読み返しては自分の若さを恥じるための備忘録の一頁になるのかもしれない。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (存在しないIDです)
2010-09-16 08:16:07
お年寄りにもさまざまですよね。
みんながみんなものすごく尊敬できるわけでもないけど、尊敬できない人ばかりかというとそうでもない。
でも、僕らの人生のセンパイなわけです。
その人の生き様を経て今のお年寄りがあるわけです。
それは尊重しないとな、と思いました。

まあ、「老害」という言葉のふさわしい人もいないわけではないですがw
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「老害」という言葉は使いません (Wrlz)
2010-09-16 13:20:41
>存在しないIDです 様

非難されるべき人間は確かにいますが、私は「老人だから」という理由では絶対に非難しません。
人はその能力や人間性、経験の有無で評価されるべきです。「老いたから害になる」のではなく「害とは年齢とは無関係に害」なのだと私は思っているので、私は「老害」という言葉は使いません。
自分のほうが背が高いという理由で、平均身長を下回っている私を見下すことも断じてあってはなりません。

ちなみに私は同じ時間帯にすれ違うので立ち話をするようになった、犬(すごくお利口で可愛い)を散歩させている爺さんをとても楽しい人だと思っています。
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