出島築造と日蘭交流
‐国の史跡‐
長崎市
1636年(寛永13)長崎の町の岬の先端に
徳川幕府の命により
長崎の25人の有力な町人が出資して
出島が築造さ
町の中で暮らしていたポルトガル人を収容し、
貿易の掌握とキリスト教の広まりを防ぐ仕組みが完成しましたが
だが、その翌年
島原・天草一揆が起こり
1639年(寛永16)
ポルトガル船の来航は禁じられました
その後、
平戸で貿易をしていたオランダの商館が
出島に移され
以後、幕末まで日蘭交流は続き
日本とヨーロッパ間の唯一の貿易地となりました
また蘭学をはじめ
日本の近代化に必要な情報の発信地としても、
出島は重要な役割を果たしました
観光用の出入口
この高い塀の中に出島は置かれていた
表門
この門が唯一の出入口
住友
別子銅山から掘り出されたもの