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世界文化遺産 軍艦島 上陸撮影偏 in 長崎市端島

2016年12月31日 00時00分00秒 | 歴史的建造物

世界文化遺産 軍艦島

-上陸撮影偏-

長崎市端島

 

長崎半島から西に約4.5km

三菱石炭鉱業(株)の主力炭鉱があった高島から南西に約2.5Km、

長崎港から南西に約19Kmの沖合に位置する「端島」

端島は南北約480m、東西に約160m、周囲約1.200mという

小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲み

高層鉄筋コンクリートのアパートが立ち並ぶ

その外観が軍艦「土佐」に似ていることから

軍艦島」と呼ばれています

炭鉱閉山後、

永い眠りについていた「端島炭鉱」ですが、

2015年

「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして

世界文化遺産に登録されました。

日本の近代化を支えた産業遺産「端島炭鉱」は

石炭産業の歴史を今に伝えています。

パンフレットより

 

日に日に崩壊が進んでいますので

3年後、5年後には全く違う風景になっていると説明を受けました

 

YouTube

軍艦島クルーズ 上陸偏 in 長崎市端島

画像上をクリックしてご覧ください

 

 

 

紫色のところが採炭関連施設(世界文化遺産)

社宅病院、学校などの建物は世界遺産ではありません

赤いところが見学コース

 

 

 

 

70 体育館
71 羽島小中学校

 

 

 

 

総合事務所
共同浴場もこの中にありました
この周辺には
多くの建物がありましたが、
現在ではそのほとんどが崩壊しています

 

 

 

 

 

 

31号棟アパート(左) 30号棟アパート(右)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎港に戻ります

今年一年

拙いブログにお付き合いいただきまして

ありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

        

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世界文化遺産 軍艦島 (船上撮影編)in 長崎市端島

2016年12月30日 00時00分00秒 | 歴史的建造物

世界文化遺産 軍艦島

-船上撮影編-

長崎市端島(はしま)

 

明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、

東京以上の人口密度を有していたが、

1974年(昭和49年)の閉山にともなって

島民が島を離れてからは、無人島。

軍艦島(ぐんかんじま)は通称名です。

2015年

軍艦島を構成遺産に含む

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が

世界文化遺産に登録された。

 

端島では、

1810年頃に石炭が発見され、

佐賀藩が小規模な採炭を行っていましたが

1890年三菱合資会社の経営となり、

本格的海底炭鉱として操業が開始されました。

出炭量が増加するにつれ人口も増加し、

狭い島で多くの人が生活するため

1916年

日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅が建設され

最盛期には5.300人もの人々が住み、

当時の東京都の9倍もの人口密度にまで達しました。

 

YouTube

軍艦島クルーズ(A)(船上撮影編)

画像上をクリックしてご覧ください

 

長崎港ターミナル

 

予約していました

 

この船に乗って軍艦島に行きます

 

団体が入ったので多くの乗客でした

 

 

 

三菱造船所
大型豪華客船が造られていました

 

 

軍艦島全景

 

船から眺めた映像です

 

 

島は鉱山部分と住宅部分に分かれています。

世界文化遺産になったのは鉱山部分のみで

住宅部分は除かれています。

 

 

山の上にある建物は
幹部社員の住宅棟

海が荒れるとこの建物にも海水がかかります。

 

住宅部分は崩落の危険があり立ち入ることはできません。

 

 

 

 

 

 

 

 

長崎港に戻ります

 

豪華客船が入港していました。

クアンタム・オブ・ザ・シーズ号

総トン数 167.800t

全長 348m

旅客定員 4.180人

乗務員 1.500人

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

       


日本二十六聖人の殉教 in 長崎市

2016年12月29日 00時00分00秒 | 歴史上の人物

日本二十六聖人殉教記念碑

日本二十六聖人の殉教
-にほんにじゅうろくせいじん-
長崎県長崎市

 

日本二十六聖人は、

1597年2月5日(慶長元年12月19日)、

豊臣秀吉の命令によって
長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。

日本でキリスト教の信仰を理由に

最高権力者の指令による処刑が行われたのは

これが初めてであった。

この出来事を「二十六聖人の殉教」という。

26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、

彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。

 

この公園の中に
日本二十六聖人殉教記念碑
日本二十六聖人記念館はありました

 

館内は撮影禁止でした

 

 

 

 

 

 

YouTube

希望と対話(3) - 福者トマス次兵衛神父

画像上をクリックしてご覧ください

 

福者トマス次兵衛神父

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教会内部
撮影してもいいとのことでした

 

長崎の旅(世界遺産候補)は

3泊4日の日程しか取れませんでした。

世界文化遺産候補に入っている島原の原城跡に始まり

長崎市内の

大浦天主堂、出津教会堂、大野教会堂と回ってきました。

残りは平戸と4つの島にそれぞれ教会はあります。

次回、航路を調べて順次回ってみたいと思います。

 

天草にある崎津教会堂はこちらです
http://blog.goo.ne.jp/wingtom2/e/3fe001a97974de15f99f49f65d094300

 

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

       


カトリック 黒崎教会 in 長崎市上黒崎町

2016年12月28日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

カトリック 黒崎教会堂

長崎市上黒崎町

 

黒崎教会堂は、

明治大正期に建築された教会堂最後の煉瓦建築。

1987年にド・ロ神父の指導によって敷地の造成をし、

1899年より教会建設の計画を進めてきました。

1920年12月18日完成

建築面積は平戸紐差教会堂に次ぐ規模を誇ります。

しかし

ここの教会は

世界遺産の候補から外れています。

 

長崎市 外海地方にある教会堂は3つ

大野教会堂と出津公会堂は世界文化遺産候補です

 

 

 

 

 

 

 

-教会内部は撮影禁止-

パンフレットの写真より
あまりにも小さな写真なので荒くなりました

 

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日もまた

皆様のお越しをお待ちしております


世界文化遺産候補 大浦天主堂 in 長崎市

2016年12月27日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

世界文化遺産候補 大浦天主堂

-潜伏キリシタン発見-

長崎市

 

 

 

 

 

上がってきた方向を振り返ると
大浦教会が見えます

(観光客が多くなってきたので
信徒のために、長崎教区が大浦天王堂の隣接地に新たに建立した)

 

教会内部は撮影禁止ですよ

 

では
パンフレットでどうぞ

 

横からみる天主堂

 

 

 

 

ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)

 

 

 

プティジャン司教

 

大浦天主堂 献堂から1カ月

3月17日に宗教史上の軌跡と呼ばれる

「信徒発見」が起こる。

-プティジャン神父の手紙より-

昨日の12時半ごろ、

男女子供を合わせた12~15名の一団が

天主堂の門に居ました。

私が至聖所で少しだけ祈った後、

40歳ないし50歳くらいの婦人が胸に手をあてて申しました。

ここにおります私どもは

全部あなた様と同じ心でございます。

浦上ではほとんど全部の人が、私たちと同じ心を持っております。

それからこの婦人は私に聞きました。

サンタマリアの御像はどこ?

私は聖母様の祭壇に案内すると、喜びのあまり口々に言いました。

「そうだ!本当にサンタマリアさまだ!

ごらんなさい、

御子イエズスさまを御腕に抱いていらっしゃる」

こうして神父は浦上の「信徒を発見」し、

浦上キリシタンは250年にわたって待ち望んでいた「神父を発見」した。

翌日からは大勢が天主堂にやってきました。

しかし当時は禁教下で、

役人はある婦人に「貴様が拝んでいるこの像はなんだ」と問いただした。

とっさに夫人は

「お役人様、田舎婆がそんな難しい説明ができるでしょうか」と答えて

見物するふりを装い、何とか追求をかわした。

噂は広まり

長崎近郊の島々や外海地方(世界文化遺産候補 出津教会堂 in 長崎市出津集落)、

遠くは五島からも天主堂を訪れた

このため奉行所は

天主堂参観を禁じたが、それ以上の処置はとらず、

神父は「役人は気づいているが目をつむっている」と判断していた

大浦天主堂パンフレットより

 

キリスト教徒発見100周年記念碑

 

 

 

旧 羅典(らてん)神学校
現 キリシタン資料館

 

パンフレットより

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日もまた

皆様のお越しをお待ちしております