続・旅するデジカメ 我が人生

デジカメ片手に 美しい自然を求めて今日も

奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観(終 in 島根・奥出雲町

2017年07月06日 00時00分00秒 | 史跡

奥出雲たたら製鉄及び

棚田の文化的景観 (終

-原たたら跡-

島根・奥出雲町

 


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原たたら跡は

松江藩鉄師ト蔵家(ぼくらけ)の主力鈩(たたら)でした。

今は何も残っていないが

船通山から流れ出る天然湧水は統治に屋敷を構えた

1495年より500年以上の間流れ出ており

主にここで働く人たちの生活用水として

使われており、私も飲んで帰りました

 

天然湧水

 

残念ながら
ト蔵家原たたらの建物は残っておりません

 

鉄池

 

 

 

江戸時代、松江藩の鉄師を務めた卜蔵(ぼくら)家の
原たたらの元小屋(事務所)を活用した
「鈩の舎(たたらのいえ)はカフェとなっていました。

 

 

最後までご覧頂きましてありがとうございました

明日も 皆様のお越しをお待ちしております


出島築造と日蘭交流 in 長崎

2016年12月05日 00時00分00秒 | 史跡

出島築造と日蘭交流
‐国の史跡‐
長崎市

1636年(寛永13)長崎の町の岬の先端に
徳川幕府の命により
長崎の25人の有力な町人が出資して
出島が築造さ
町の中で暮らしていたポルトガル人を収容し、
貿易の掌握とキリスト教の広まりを防ぐ仕組みが完成しましたが
だが、その翌年
島原・天草一揆が起こり
1639年(寛永16)
ポルトガル船の来航は禁じられました
その後、
平戸で貿易をしていたオランダの商館が
出島に移され
以後、幕末まで日蘭交流は続き
日本とヨーロッパ間の唯一の貿易地となりました
また蘭学をはじめ
日本の近代化に必要な情報の発信地としても、
出島は重要な役割を果たしました



観光用の出入口




この高い塀の中に出島は置かれていた


表門
この門が唯一の出入口




















住友
別子銅山から掘り出されたもの





越すに越されぬ 田原坂 in 熊本市

2016年11月12日 00時00分00秒 | 史跡

越すに越されぬ 田原坂

-たばるざか-

熊本・熊本市

 

 

関連ブログ
田原坂公園に建つ弾痕の家 in 熊本市 

 

YouTube

田原坂 森昌子 

画像上をクリックしてご覧ください

 

 

 

現在は田原坂公園として整備されています

 

 


 

熊本市田原坂西南戦争資料館


 

 


 

19歳以下で、鹿児島出身の37人が激戦の地を踏み、
うち13人が戦病死したという

 

 


 

 


 

 


 


 

田原坂  
一 二 三の坂

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三重津海軍所跡 in 佐賀・佐賀市

2016年11月09日 00時00分00秒 | 史跡

-世界遺産-

三重津海軍所跡

-明治日本の産業革命遺産-

佐賀・佐賀市

 

三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)は

佐賀藩が1858年(安政5年)に設立した

蒸気船等の船の修理・造船施設。

西洋船運用のための教育・訓練機関も兼ね備えていた。

実用的な国産初の蒸気船である「凌風丸」を製造した。

2000年代に入り発掘・文献調査が進められ、

2013年に国の史跡に指定、

2015年には「明治日本の産業革命遺産 」として

世界文化遺産に登録された。

 

佐野常民
-さのつねたみ-
佐賀の七賢人の一人

1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、

日本の武士(佐賀藩士)、政治家。

西南戦争の時、博愛社を設立
現在の日本赤十字社

 

佐野常民記念館

佐野常民に関する歴史資料、遺品などの実物資料の展示をはじめ、

佐賀藩三重津海軍所の立体模型、時空年表、

マルチビジョンを駆使した映像ホール等により

常民の功績をわかりやすく、紹介しています。

 

 

 

 


 

佐野記念公園 

三重津海軍所跡

 

 

 

何もない広場ですが
スコープを通して見ると
江戸、明治時代にスリップ

 

撮影許可を頂いています

 

 

 


 

 

 


 日本最古の
ドライドッグ

長さ60m 幅約20mの巨大なものです
明治以降のドライドラッグが石やレンガで作られていたのに対して
ここでは木と土を組み合わせて
日本の伝統的な土木技術により造られています。

 

 

 

 

スコープを使うと
当時のドライドッグが見えてくる

 


 

 

 


 

 


 

 

 


 

早津江川

 


 

三重津海軍所跡の始まり
舟屋地区

 

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牛根麓稲荷神社の埋没鳥居 in 鹿児島・垂水市

2016年02月02日 00時00分00秒 | 史跡

牛根麓稲荷神社の埋没鳥居

-旧国鉄 大隅線 松ケ崎トンネルも掲載-

鹿児島・垂水市

 

桜島にある黒崎埋没鳥居は有名ですが

牛根麓にも

大正3年の大噴火で埋まってしまった鳥居があります。

それは

大正3年(1575)

島津方の伊集院魯笑斉久道’(イジュインロンショウヒサミチ)が

島津を誇示するために

島津の氏神である稲荷神社を建立したときの鳥居です。

関連ブログ
桜島の噴火で出来た 黒崎埋没鳥居 in 鹿児島市

 

「道の駅 たるみず」近くの小高いところに鳥居はありました。

訪問したこの時期も

桜島の噴火が続いていましたので、

歩く道の辺には灰が黒くたまっていました。

 

丘に上がる道にも火山灰が

撮影;2015 02 19

 

 

 

 

鳥居のある高台からの眺め

見る景色も黒く感じませんか

この地区には

連日 黒い灰が降ってきているのですよ。

撮影;2015 02 19

 

旧国鉄 大隅線跡

 

線路のないトンネルが近くにありました。

線路跡は未舗装ですが道路になっていますので

この線路跡を走っても

宇喜多秀家公潜居跡や埋没鳥居に行くことが出来ます。

 

 地図
http://rail.crap.jp/r/22239.html

 

松ケ崎トンネル

-桜島の噴火も見えます-

 

大隅線は

先日、訪問した

志布志駅と国分駅(霧島市)間を走っていましたが、

国鉄再建法の施行により

1984年(S59)6月に第2次特定地方交通線に指定され、

1987年(S62)3月14日に全線廃止となった

今日も

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