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続・旅するデジカメ 我が人生

デジカメ片手に 美しい自然を求めて今日も

日本三大八幡宮 筥崎宮 in 福岡市

2017年01月04日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

日本三大八幡宮 筥崎宮
ーはこざきぐうー
福岡市

筑前国一宮
旧社格は官幣大社で、
現在は神社本庁の別表神社。

別称として
筥崎八幡宮とも呼ばれる。

京都府八幡市の石清水八幡宮、
大分県宇佐市の宇佐神宮とともに日本三大八幡宮の一つ






初詣
参拝する人で長蛇の列でした








パワースポット




神苑花庭園
ボタンが見頃と書いてあったので
入ってみました

























初詣 福徳稲荷神社 山口‐下関

2017年01月03日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

初詣は
海の見える稲荷神社
福徳稲荷様にお参りしました
古歌にも
「長門なる稲荷の山の姫あやめ時ならずして如月に咲く」と
詠まれている由緒の古い社です。
昨年のお礼と
今年一年の無事をお願いしました























千本鳥居参道







学問の神 松陰神社 in 山口・萩市

2017年01月01日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

学問の神 松陰神社

山口・萩市

 

新年おめでとうございます
 
よき新春を

迎えられたことと 謹んでお喜び申し上げます

 

今年最初のブログは

2015年

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で主役を演じた「文」の兄

吉田松陰を祀る神社から始めさせていただきます

.

私塾「松下村塾」で、

後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に

(久坂玄端・高杉晋作・伊藤博文・品川弥二郎ほか)

思想的影響を与えたのが吉田松陰

 

その松陰の遺言により

愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが

松陰神社の創建です

現在の社殿は

昭和30年に新しく建てられたもの。

創建当時の

土蔵造りの旧社殿は

松下村塾での門人を祭る末社・松門神社となっている。

萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、

正月には多くの初詣客が参拝されます

創建 明治40年(1907)

 

 

 

 

 

 

 

撮影許可を頂いています
写真の無断使用はお断りいたします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お参りも無事終了しました

 

末社
松下村塾での門人を祭る・松門神社

 

 

神社境内の中にありました

松下村塾
(しょうかそんじく)
世界文化遺産

 

 

 

 

国史跡 
吉田松陰幽因の旧宅
世界文化遺産

 

 

 

 

 

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

       


カトリック 黒崎教会 in 長崎市上黒崎町

2016年12月28日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

カトリック 黒崎教会堂

長崎市上黒崎町

 

黒崎教会堂は、

明治大正期に建築された教会堂最後の煉瓦建築。

1987年にド・ロ神父の指導によって敷地の造成をし、

1899年より教会建設の計画を進めてきました。

1920年12月18日完成

建築面積は平戸紐差教会堂に次ぐ規模を誇ります。

しかし

ここの教会は

世界遺産の候補から外れています。

 

長崎市 外海地方にある教会堂は3つ

大野教会堂と出津公会堂は世界文化遺産候補です

 

 

 

 

 

 

 

-教会内部は撮影禁止-

パンフレットの写真より
あまりにも小さな写真なので荒くなりました

 

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日もまた

皆様のお越しをお待ちしております


世界文化遺産候補 大浦天主堂 in 長崎市

2016年12月27日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

世界文化遺産候補 大浦天主堂

-潜伏キリシタン発見-

長崎市

 

 

 

 

 

上がってきた方向を振り返ると
大浦教会が見えます

(観光客が多くなってきたので
信徒のために、長崎教区が大浦天王堂の隣接地に新たに建立した)

 

教会内部は撮影禁止ですよ

 

では
パンフレットでどうぞ

 

横からみる天主堂

 

 

 

 

ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)

 

 

 

プティジャン司教

 

大浦天主堂 献堂から1カ月

3月17日に宗教史上の軌跡と呼ばれる

「信徒発見」が起こる。

-プティジャン神父の手紙より-

昨日の12時半ごろ、

男女子供を合わせた12~15名の一団が

天主堂の門に居ました。

私が至聖所で少しだけ祈った後、

40歳ないし50歳くらいの婦人が胸に手をあてて申しました。

ここにおります私どもは

全部あなた様と同じ心でございます。

浦上ではほとんど全部の人が、私たちと同じ心を持っております。

それからこの婦人は私に聞きました。

サンタマリアの御像はどこ?

私は聖母様の祭壇に案内すると、喜びのあまり口々に言いました。

「そうだ!本当にサンタマリアさまだ!

ごらんなさい、

御子イエズスさまを御腕に抱いていらっしゃる」

こうして神父は浦上の「信徒を発見」し、

浦上キリシタンは250年にわたって待ち望んでいた「神父を発見」した。

翌日からは大勢が天主堂にやってきました。

しかし当時は禁教下で、

役人はある婦人に「貴様が拝んでいるこの像はなんだ」と問いただした。

とっさに夫人は

「お役人様、田舎婆がそんな難しい説明ができるでしょうか」と答えて

見物するふりを装い、何とか追求をかわした。

噂は広まり

長崎近郊の島々や外海地方(世界文化遺産候補 出津教会堂 in 長崎市出津集落)、

遠くは五島からも天主堂を訪れた

このため奉行所は

天主堂参観を禁じたが、それ以上の処置はとらず、

神父は「役人は気づいているが目をつむっている」と判断していた

大浦天主堂パンフレットより

 

キリスト教徒発見100周年記念碑

 

 

 

旧 羅典(らてん)神学校
現 キリシタン資料館

 

パンフレットより

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日もまた

皆様のお越しをお待ちしております