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続・旅するデジカメ 我が人生

デジカメ片手に 美しい自然を求めて今日も

夕日に染まるマリア像 in 熊本・天草

2015年09月06日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

夕日に染まるマリア像

熊本・天草

 

崎津教会近くにあるマリア像

岩場の先端近くに建立されています

見るとマリヤ像までいけそうに見えたのですが

危ないから岩伝いでは行かないようにと言われました。

夕日は防波堤からマリア像と共に撮影してみました。

 

 

 

 

 

 

 

昼、海上より撮影しました

 

マリア像

 

反対側からマリア像を見る

人の顔に似た岩がありますね

マリア様に守られて

安心した顔つきに見えますか?

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

       


国宝 青井阿蘇神社 in 熊本・人吉市

2015年08月31日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

国宝 青井阿蘇神社

熊本・人吉市

(2014年12月23日~2015年3月8日 九州一人旅の記録)

(2015年07月26日~2015年08月15日 九州一人旅の記録)

撮影は1月19日、8月3日

 

阿蘇神社の総本社は熊本県阿蘇市にあり、

全国に約450社もある「阿蘇神社」の総本社になります。

今日お伝えする

青井阿蘇神社もその一社です。

建磐龍命(たけいわたつのみこと)と 阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、

両神の御子神である国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと)を祀る。

この3神は阿蘇三社とも称され

阿蘇市の阿蘇神社の祭神12柱中の3柱である。

 

平成20年6月9日、

青井阿蘇神社の社殿郡5棟(楼門、拝殿、幣殿、楼、本殿)を国宝になりました。

 

 

 

 

楼門  (国宝)

 

 

 

 

 

 

 

 

一円玉の木

 

おがたまの木

 

楼門 (国宝)

 

 

 

 

拝殿より楼門

 

楼門より拝殿

 

社殿 (国宝)

 

 

 

幣殿(へいでん;左)、本殿 (いずれも国宝)

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

     明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

      


生善院(猫寺) in 熊本・湯前町

2015年08月25日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

生善院(猫寺)

-しょうぜんいん-

熊本・湯前町

 

生善院(通称 猫寺) 猫寺伝説

天正10年(1582)、

相良藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、

湯山佐渡守宗昌ゆやまさどのかみむねまさ)

その弟で普門寺の盛誉法印(せいよほういん)が殺されることになった

その話を聞いた宗昌は日向へ逃げたが、

寺に残った法印は殺され、寺も焼かれてしまう。

無実でありながら

わが子を殺された法印の母、玖月善女(くげつぜんにょ)

愛猫玉垂(あいびょうたまたれ)を連れて市房神社に参籠し、

自分の指を噛み切って

その血を神像に塗りつけ、玉垂にもなめさせて、

末代までも怨霊(おんりょう)になって相良藩にたたるように言いふくめ、

茂間が崎(もまがさき)というところに身を投げて死んでしまう。

すると、相良藩では、

猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕許に立つなど、

奇々怪々なことが次々に起きた。

藩では霊をしずめるために

普門寺跡に千光山生善院と名付けて寺を建立。

現在の本堂も観音堂も、その時に建てられたものだ。

法印の命日である3月16日に、

藩民に市房神社と生善寺に参詣(さんけい)するように命じ、

藩主自身もそうしたので、

怨霊(おんりょう)のたたりはしずまったと伝えられている

説明板より

 

通称「猫寺」と呼ばれ、

狛犬ならぬこま猫が山門の両脇に建ち、訪れる人を見守っています

 

 

本堂

 

 

 

 

 

生善院 観音院

生善院は、謀反の疑いにより非業の死をとげた普門寺盛誉と、

その後を追って死んだその母玖月善女を祀るために、

寛永2年(1625)に人吉藩主相良長毎によって創建された。

この玖月善女の愛猫伝説から「猫寺」とも呼ばれている。

堂内の須弥壇や厨子も当初のもの。

生善院観音堂は、

堂内の金箔や極彩色の厨子や須弥壇、

あるいは堂の内外を漆塗りとした霊屋的な意匠を持つ点に特徴がある。

保存状態もよく、豪華な造りで、

球磨地方の江戸時代前期の代表的建造物として価値は高い

 

 

 

 

 


城泉寺(浄心寺)の阿弥陀堂 in 熊本・湯前町

2015年08月22日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

城泉寺(浄心寺)の阿弥陀堂

熊本・湯前町

 

今からおよそ790年前の鎌倉時代前期の建立、

境内に残る石塔の初期刻銘から

建立は『大檀那(大願主』であった「浄心」と考えられます。

建立当時の宗派は不明ですが、

江戸時代には真言宗のお寺となっています。

寺の名前も現在は城泉寺ですが、江戸時代までは浄心寺と書いてありました。

明治時代には寺が無くなり

跡には阿弥陀堂や石塔などが残されました。

その後、文化財としての価値が認められ、

大正4年に仏像(阿弥陀三尊像)が国宝に指定され、

昭和8年には阿弥陀堂、7重・九重石塔が国宝に指定されました。

これらの国宝は現在

昭和25年の文化財保護法制定により国指定重要文化財となっています。

パンフレットより

 

阿弥陀堂(重文)と十三重石塔(平成4年復元)

 

九重石塔(重文)

 

九重石塔(重文)の向こうに見える七重石塔も(重文)

 

復元された十三重石塔

 

 

 

 

 

阿弥陀堂(重文)

阿弥陀三尊像を拝ませていただきました。

 

阿弥陀三尊像(重文)

 

 

素敵な阿弥陀様に出会えて感動しました。

心 洗われて 新しい人生が見えてきそうです。


赤間神宮 in 山口 下関

2015年08月12日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

下関に来たらここでしょう
何時参拝するか?
今でしょう
と言うわけで
赤間神宮を最初の訪問地にしました

赤間神宮(あかまじんぐう)は、
源平合戦において
幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。

源平最後の合戦
壇之浦の戦いに於いて
御祖母二位の尼に抱かれつつ、
『波の下にも都の候』と
わたつみの底深く幸し給う
宝算わづかに八歳
平氏一門 ことごとく御跡に従へり


















平家一門の墓


耳なし芳一像