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生善院(猫寺) in 熊本・湯前町

2015年08月25日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

生善院(猫寺)

-しょうぜんいん-

熊本・湯前町

 

生善院(通称 猫寺) 猫寺伝説

天正10年(1582)、

相良藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、

湯山佐渡守宗昌ゆやまさどのかみむねまさ)

その弟で普門寺の盛誉法印(せいよほういん)が殺されることになった

その話を聞いた宗昌は日向へ逃げたが、

寺に残った法印は殺され、寺も焼かれてしまう。

無実でありながら

わが子を殺された法印の母、玖月善女(くげつぜんにょ)

愛猫玉垂(あいびょうたまたれ)を連れて市房神社に参籠し、

自分の指を噛み切って

その血を神像に塗りつけ、玉垂にもなめさせて、

末代までも怨霊(おんりょう)になって相良藩にたたるように言いふくめ、

茂間が崎(もまがさき)というところに身を投げて死んでしまう。

すると、相良藩では、

猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕許に立つなど、

奇々怪々なことが次々に起きた。

藩では霊をしずめるために

普門寺跡に千光山生善院と名付けて寺を建立。

現在の本堂も観音堂も、その時に建てられたものだ。

法印の命日である3月16日に、

藩民に市房神社と生善寺に参詣(さんけい)するように命じ、

藩主自身もそうしたので、

怨霊(おんりょう)のたたりはしずまったと伝えられている

説明板より

 

通称「猫寺」と呼ばれ、

狛犬ならぬこま猫が山門の両脇に建ち、訪れる人を見守っています

 

 

本堂

 

 

 

 

 

生善院 観音院

生善院は、謀反の疑いにより非業の死をとげた普門寺盛誉と、

その後を追って死んだその母玖月善女を祀るために、

寛永2年(1625)に人吉藩主相良長毎によって創建された。

この玖月善女の愛猫伝説から「猫寺」とも呼ばれている。

堂内の須弥壇や厨子も当初のもの。

生善院観音堂は、

堂内の金箔や極彩色の厨子や須弥壇、

あるいは堂の内外を漆塗りとした霊屋的な意匠を持つ点に特徴がある。

保存状態もよく、豪華な造りで、

球磨地方の江戸時代前期の代表的建造物として価値は高い

 

 

 

 

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
台風15号 (安人(あんじん))
2015-08-25 06:22:18
お早うございます(*^^*)

九州方面は心配です(かみさんの実家)

中国地方も(高梁市)も気に成ります

どうか無事に通過してほしいです

今朝は21度で秋の風ですね
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^^ (あとり)
2015-08-25 20:21:51
こんにちは。wingtomさん。

狛猫ちゃん、かわいいですね。癒されます。

大阪では、激しい雨とともに台風が去っていきました。

このまま涼しくなってくれると嬉しいですけど^^:。

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