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続・旅するデジカメ 我が人生

デジカメ片手に 美しい自然を求めて今日も

須佐之男命と櫛名田比売が暮らした須我神社の奥宮へ

2015年11月07日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

須佐之男命と櫛名田比売が暮らした須我神社の奥宮へ

須佐之男命(素戔嗚尊)・・・・・・・スサノウノミコト

櫛名田比売(稲田姫)・・・・・・クシナダヒメノミコト

日本初の宮
(須佐之男命を日本で始めてお祀りした)

島根県 雲南市

 

2年前の

2013年12月23日

須我神社に初めてお参りしましたが、

奥の院には

雪が多くて参拝することができませんでした。

今回やっと

お参りが出来ましたので、ブログにUPが出来ました。

両詣りが出来まして 念願かないました。

 

高天原(宮崎県)を追放された須佐之男命(スサノウノミコト)は、

出雲国の鳥髪(現・奥出雲町鳥上・船通山)に降り立ち、

この地を荒らしていた

巨大な怪物八岐大蛇(ヤマタノオロチ)八俣遠呂智)の生贄(いけにえ)にされそうになっていた

美しい少女櫛名田比売(クシナダヒメ)と出会う。

八岐大蛇を退治した須佐之男命(スサノウノミコト)は櫛名田比売(クシナダヒメ)と夫婦になります

 

二人が結婚したのは八重垣神社

二人が暮らした新居がここ須我神社です。

奥の院には

三つの岩が祀られており、夫婦と子供の岩です。

子供を願う若い夫婦がお参りされています。

参考
出雲路 は 縁結びの神々 八重垣神社 1/2 - 旅するデジカメ 我が人生
出雲路 は 縁結びの神々 八重垣神社 2/2 - 旅するデジカメ 我が人生

出雲路 は 縁結びの神々 須我神社 - 旅するデジカメ 我が人生

 

 

 

日本初の宮

須佐之男命櫛名田比売が新婚生活を始めた地

須佐之男命(スサノウノミコト)を日本で始めてお祀りした神社

 

 

 

前回参拝時同様

ここで煎餅を頂きました

 

和歌発祥の地

須佐之男命(スサノウノミコト)が日本で始めて和歌を詠まれた

八雲立つ  出雲八重垣   妻籠に   八重垣作る   その八重垣を
やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを

 

本社と奥宮の両詣りの風習あり

 

 

 

奥 宮

 

八雲山登山口においてある杖を持ち

坂道と階段を400m上ってゆくと奥宮があります。

奥宮にあるのは夫婦岩と子供の岩

 

【主祭神】

須佐之男命(すさのおのみこと)

櫛名田比売(くしなたひめのみこと)

御子神の

清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)

 

出雲の起源となった山 八雲山

雲が何重にも立ちのぼり、八重垣のようになる。

妻を籠らすために、(妻を宮殿から出ないようにする)八重垣をつくる

愛する妻のことを詠っています。

 

 

 

マムシ草

 

 

 

両側には和歌の碑が並んでいます

 

奥宮に着きました。

御祭神

須佐之男命
櫛名田比売
清之湯山主三名狭漏彦八島野命

 

奥の院は

夫婦円満子宝祈願にご利益があります

 

 

今日も

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日も皆様のお越しをお待ちしております。


八重山神社の狛犬が面白い in 島根県 雲南市

2015年10月22日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

松江藩主により
建立されたと言われ、
氏子のいない神社であり、
牛馬の守護神として崇敬される。
健速須之男命が
八股大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後
荒涼とした八重山岩窟に住む
「鷲尾猛」(ワシオタケル)という魔神が
鶏を使い良民を苦しめていた。
その魔神を
健速須之男命(スサノウノミコト)が退治すると
魔神は金鶏に姿を変え
村人の為に尽くしたと言われる

随身門に
設置されている隋神像と狛犬は
大森銀山の五百羅漢の作者
「坪内平七郎利忠」の作
石州の福光石製です。
(表情がユニークで珍しい狛犬)

スマホより投稿しました

小説 「八重山の雪」の舞台と書いています

随身門




狛犬












随身像




本殿への階段
きつ~い

















今なお熊本県民に慕われる 加藤清正公

2015年10月02日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

 

 

今なお熊本県民に慕われる 加藤清正公

加藤神社・本妙寺・本妙寺公園

熊本市

 

加藤清正公

永禄5年(1562年)6月24日、

尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれる。

豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。

各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。

秀吉没後は徳川氏の家臣となり、

関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、

熊本藩主となった。

入国後、清正は治山治水、新田開発などに力を入れ、

また南蛮貿易に乗り出すなど、積極的に領地経営を進め、

国はどんどん豊かになり、

結果領民からは神様のように慕われるようになりました。

慶長12年(1607)7年かけて築城した熊本城が完成。

今でも熊本では

善政の事跡は全て「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」と慕われています。

 

加藤神社は熊本城の中にあった

 

 

 

 

 

 


 

本妙寺公園

 

 

 

 

 

 

公園からの熊本城下を眺められる


 

 

本妙寺

 

 

 

 

本妙寺

 

元和2年(1616)清正のお墓を守るため

 

熊本城内からこちらに移転してきた。

 

 

 

 

 

 

本殿・拝殿

 

 

 

 

 

 

 

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

明日も 皆様のお越しをお待ちしております。

  


津島神社 in 愛知県 津島市

2015年09月17日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

津島神社(つしまじんじゃ)は
建速須佐之男命(たけはやすさのうのみこと)を主祭神とし、
大穴牟遅命(大国主)(おおなむちのみこと)を相殿に祀る。

全国に約3千社ある
津島神社・天王社の総本社であり、
その信仰を津島信仰という。








拝殿










社務所


おまけ





豊川稲荷 in 愛知県豊川市

2015年09月13日 00時00分00秒 | 神社仏閣・教会モスク・行事

倉敷からゆっくりのんびりと
豊川稲荷へとやって来ました
ここは初参拝です
門前町から見てきました
何処のお店でも
いなり寿司を売ってました
食事を済ませたばかりだったので
頂きませんでしたが
コンビニとは全然違ってました
(写真は撮れなかった)

スマホよりUPしています

門前町






総門




本堂




千本幟






奥の院