しゃけの携帯写真

携帯写真で景色撮るのが好きなのです。見てください。

幸多きしゃけ号

2011-02-26 00:08:16 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


しゃけ号は、さびしくないだろうか?今頃売られてないだろうか(嘘)?
私の心配を解消する写真が板さんから送られて来ました。

素晴らしい環境で、幸せいっぱいのしゃけ号をみて、僕も本当に幸せな気分になったのです。
板さん、本当にありがとう。俺もここの家の子になりたいです・・・



屋根付きガレージで、お友達が2台もいて、しゃけよりいい生活してます。



しゃけ号はいろんな道具に囲まれて、一番奥の客間にいました
エンジニアの板さんに手厚く見守ってもらえるし、魅力的な外人(ハーレー・ナイトスター?)のお尻を満喫出来る場所にいます。



マフラーと右後ろウィンカーが干渉していたのですが、上手にプロの技術で治療されていました。
なんと幸せな事でしょうか!!!!!!(嬉し泣)

もうしゃけん家には帰りたくないと言いだすのではと心配になるほど、良くしていただいております。
嬉しくて、物言えぬしゃけ号に成り替わり、御礼申し上げます。ありがたいことです。


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懐古園で懐古する

2011-02-23 17:38:53 | バイク ツーリング 携帯写真 風景
 
懐古園は自分には苦い思い出がある。
15年以上前、しゃけ姉の所へ行った帰り、しゃけ妻が『帰り道だから、小諸の懐古園に寄ってみたい。』
と言ってたのに、『GWで混むのでわざわざ早く首都圏に向かってるのに、そんなとこイカね~よ』と
冷たく突き放してしまったのだ。しゃけ妻は黙って寂しそうにしていた・・・・・・『しまった』と心で
思った・・以来何度か『おい、懐古園に行こうよ』と誘ったが実現しなかった。

それでいつか『懐古園』にしゃけ妻を連れて行こうと思っていた。
2008年にリターンライダーになり、最初のツーリングはレンタルのW650での懐古園へのツーリングだった。
前述の件もあり、懐古園という言葉に対する懐かしさもあり思い入れがあったが、実際は思ったほどではなかった。
ただ、初めての日帰り長距離ツーリングで帰りは豪雨だったし、達成感があった。
今回、志賀高原のしゃけ姉の所へ2人そろっていくのはホントに久し振りで、この機を逃さずしゃけ妻と懐古園
に行くことが、やっと実現しほっとした。




バイクで行った時と違う入口が違ったせいか、え?此処だっけ?という感じだった。
前回は気がつかなかったが、ここは城なのだった。



ここには動物園もあり、中の良いライオン夫婦が住んでいる。それをしゃけ妻に見せたかったが、動物園も白秋記念館
も休館日で見られなかった。でも帰って観光客も一人もおらず500年の樹齢の大飯町の声や、自然の地形を防御に最大限に
活用した戦闘的な山城の威容に圧倒された。ここで合戦がおこなわれたかどうかは知らないが、静かなだけに騎馬武者たち
の時の声が聞こえてくるようだった。



せっかくの信濃の国だ。そばを食おうと思った。懐古園周辺は3件ほどの蕎麦屋さんがあったが、暫く観察し、
地元の方らしき人が出入りするこの店に決めた。『名物 くるみのおはぎ』も決め手かもしれない。
のれんに、『吾足るを知る』と書かれている商標も好みに合った。



定番メニューは期待どうりだった。有機栽培と思われる野菜の煮つけと天麩羅、野沢菜、大盛りの手打ちそば、
香ばしくて食べ応えのあるもち米の『くるみのおはぎ』がついて、正しく信濃の味を満喫できた。



食後、城の見張り台から千曲川を望む。
この川の先には、40年前ネコさんと、昨年童子さんとゴンパチさんと行った上山田温泉がある・・・・
数百年前此処を守っていた侍が考えたことを想像したり、今小諸にいるのに千曲川沿いの上山田温泉を思う自分の
気持ちを昔の侍と比べる方法など無いのに比べたりしてこの景色を眺めた。(難解だね・・・)
時空や命運の不思議を感じた為か、何故か自分が生きている実感を強く感じた。(哲学的だね)




ちょっとしんみりしたので、いつものしゃけに戻りましょう。

帰り道、上信越道の甘楽PAで珍しいおっぱいゼリーみつけたのでご紹介。
やっぱり泣いてる子供や、スケベなパパ達にはおっぱいが一番人気でしょう。
ドスケベはお尻に興味が行き、スケベはおっぱいな様な気もします。
人間の女性のおっぱいは他の動物にくらべ何故体のわりに(例外な人もいるが・・)
あんなに大きいのでしょうか?

私なりの研究結果を発表いたします。これは人間の直立歩行に深く関係があるのです。
四足歩行していたころは大好きなお尻がじっくり見やすい位置にあり、子孫繁栄の繁殖行為が
大いに促進したのですが、二足歩行をするようになりお尻は目立ちにくい位置に成りました。
そこで進化の神様は、前の方の胸のほうにお尻の形の看板をおつけになることを思いつかれたのです!
人間の男どもは、おっぱいの看板で良いお尻のありかを知るようになり、その後の人類の発展に繋がったのです。

立派な看板の皆さま、いつもありがとうございます。
病気の時は笑うのが一番と医者に言われましたので、ひらにひらに御容赦ください。

☆懐古園に行ったのは2月2日でした。しゃけ姉に会いに行った帰りに寄ったのです。

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さらば又会う日まで・・・

2011-02-16 16:42:19 | バイク ツーリング 携帯写真 風景

早くてもバイクは7月1日までは乗れないことが判明した。
別に違反をしたわけでも、罰があたった訳でもない。
神経痛がこじれて、長期治療が必要となったのだ。
バイクは走らせてこそ良いコンディションが保てると思う。
それに、乗り手の都合で走り盛りの壮年期のバイクを長期に止めておくことは
とても不憫な気がした。
本日で仲間に預け、乗ってらうことにした。笑顔でひとまずお別れだ



タイヤは新品のK300GP。車体はセラミック・コーティングを施し、名手・板さんに乗っていただく
ことになった。他人のバイクを預かるということは簡単な事ではない。
『壊したらどうしよう』『消耗部品はどうなるの?』『あらかじめ傷の確認をしないと』
など、一般的には心配の種ばかりで実現しない。ふたつ返事で無条件で引き受けてくれた
板さんの心は美しい。そしてありがたい
これで一安心だが、胸にジーンと寂しさがこみ上げてくる



しゃけと、しゃけ妻と板さんで、うちの近くのレストランで、お別れ会をした
狭山市の『ニックス』というレストランでハンバーグシチュウを注文。
このレストランは自衛隊入間基地の前にあり、米軍の『ジョンソン基地』時代からステーキハウス
として有名だった。雰囲気も味もちょっとアメリカっぽいところがある。
バイクの話や思い出を話すが、しゃけ妻も一緒でいつものエロ盛り上がりは無かった



ステッキを持ったおじいさんがしゃけで、小熊の修理屋さんみたいな人が板さんだ。
今日は2時間以上かけて軽トラで取りに来てくれた。
5月のGWにはしゃけ号でW650全国大会に参加してくれるというから泣けてきま
板さんとは、未だ4回ぐらいしか会って無いのだが、既に深~い関係となっている。
やはり人間同士は何回会ったかではなく、どう心が通じるかがすべてだと思う。
気が合うかどうかは顔だけじゃ分からない・・バイクが媒介じゃ無けりゃ怖い顔のひとと
仲良くなるチャンスは無かったかも知れない。
板さんは、ネコが大好きらしい。顔とイメージが合わないがそれがこの人の最大の魅力かも。



軽トラに乗せられ、縄攻めに会っているしゃけ号を眼のあたりにするとちょっと切ない・・
心なしか板さんの表情が値踏みしてる感じに見えなくもなく(冗談)、
ほっとする気持ちと寂しさが交互にしゃけを波状攻撃してくる・・・
娘を嫁に出す感じなのだろう・・トラックが見えなくなるまで』見送りました。
きっと体を丈夫にして又乗る日からさ・・・と、相棒しゃけ号に心で別れを告げました。

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亀戸天神界隈

2011-02-16 00:13:34 | バイク ツーリング 携帯写真 風景

錦糸町や亀戸は普段あまりなじみの無い土地柄だが、昨今は最新鋭のマンションや、スカイツリーなど
東京の最新の顔を持つ界隈に変貌しつつある。
本来今日は休みだが、あるビルの石材のメンテナンス施工のプレゼンを、チームを引き連れて実施する機会が有った。
順調に打合せが進捗し、成功の足がかりが見えてきた。
仕事は獲得しつつある時が一番わくわくする感じだ。
午後は健康祈願で、亀戸天神と香取神社へ参詣することにした。(みんなは仕事・しゃけは休み)




スカイツリーはハッキリ見えるが、なんか小さく見える。まあ、これからかなり歩かないとたどりつかないなあ。



錦糸町には知る人ぞ知る『小龍包』の名店がある。肉汁のたっぷり入ったこの味は口の中でとろけ、超満足
セットになったふかひれ丼もなかなかの料理だ。昼時で相席と成った人の台湾風のおかゆもなかなか行けそうな感じ。
美味しいものを食べると、その街への愛着が急上昇しますよね。




この辺りは『銭座』の有ったところ。丈という字に見えるが、一文銭の文という字のようだ。
ここはスカイツリーの良く見える場所でもある。四角い穴に顔を当てれば、まん丸顔の人もいい感じになるかも。




亀戸天神の門前には、江戸の職人の最高度の技、べっ甲細工の店が有った。
じじいになったのでネクタイやめてべっ甲のボウタイにしようかと、覗いてみるが身の程知らず・・・63,000円也。
もちろん、店の人に愛想を振りむけながら尻尾巻いちゃうしゃけちゃんでした



亀戸天神。青い空に神社の屋根は良く似合う。ここの神様は菅原道真。頭よくなるといいなあと思いつつ参拝。



ここの梅は菅原道真にちなみ『菅公梅』と呼ばれる。優れた献策を行いながら、優秀すぎるがゆえに中央政府に遠ざけられた
菅原道真は祟りを恐れられ大宰府天満宮をはじめとして、あちこちに神として祀られている。
その道真を慰めるかのような梅たちは、雪が降ったばかりの東京に、爛漫の春を運ぶがごとしの美女ぞろいだ



人間の美女ならば、じっと見つめ続ければ『どこ見てんのよ!どすけべ~』
と、こちらの純情を踏みにじられるように罵られるが、花は穴のあくほど
見つめても少し恥ずかしそうに揺れているだけ・・・でも、やっぱり
生身の美女の方が好きかも 梅ちゃんごめんなさい。



いろんな病気に御利益のある香取神社も、歩いて行ける距離に在った。
スポーツの勝負ごとにも御利益があるらしい。



戎と大黒が並んでいる手水鉢の横に糸瓜のたわしがあり、そこで患部をこする
と病が抜けるらしい。
たわしで自分の腰椎をこすっていたら通りかかりのひとに、
『やだ~この人、自分の腰こすってるう♪』と大笑いされてしまった。
自分じゃなくて、戎様と大黒様をこすらないと御利益はないらしい・・・



力強く、見飽きない秀作の狛犬だ。阿吽の阿の表情だが、苦笑いしているよう
な、泣いているような、執着しているような今の自分の心を映しているような
表情だった。
但し、こいつは雌らしく足元には子犬の狛犬がまとわりついてて面白かった。



最後に、江戸情緒あふれる葛餅の老舗『船橋屋』に寄ってみる。
葛餅とあんみつ、迷うが面倒だ、両方食っちゃえ。糖尿まではまだ少し余裕



15,000歩以上久々に歩いた江戸情緒の旅。
家に帰り、今朝取引先から頂いた『情人節』(バレンタイン・デイ)のチョコを
開けてみる・・・宝石箱のように光っている・・・・
う~む、本気だったのかあ・・


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友人に会う

2011-02-12 21:36:02 | バイク ツーリング 携帯写真 風景

ネットで知り合ったTさんに会いに行った。声を聞いたことも、写真を見たことも無い友・・・
こんなことは初めての経験であり、不思議な時代になった。
でも、会うこと自体に何の違和感もなく想像どうりの優しい感じの人だった。



これから先、金がかかりそうなので燃費の悪いアコード24Sをやめて、コストパフォーマンスのよい
スズキスウィフトにしたいと思ってたら、なんと持ってると言うので試乗できてラッキー!
このクラスの車は初めてだが、思ったよりよさそうだった。スタイルも悪くないなあ

柏に住んでいる人なので入間から2時間見て約束したが、一時間で着いてしまった。これも不思議・・・
試しに電話したらなんとTさんも、午前中のアポがなくなったので話す時間が長くとれて良かった。
なんか都合が良すぎて不思議な縁を感じたが、Tさんもそう思ったようだ。
Tさんは『お互いの神様が会うことを予定していたから・・』と言っていた。
そうかも知れないなと思った。
このごろ俺は、人の言葉をとても素直に受け入れるようになった。
初対面の人と4時間話したのは初めての経験だ。
お互いに死生観や悩んだことを話し合った。

Tさんは沢山の試練を乗り越えて、『勝ちたい人』から『受け入れる人』へ変貌し幸せをつかみつつある感じだった。
迷える大羊のしゃけは、とてもその境地へとどかないがいつの日かTさんの様な達人に成長したいなあと思います。
この歳になっても、今まで知りあったことのないタイプの友人が増えることはホントに有りがたいと思う。



一見、ネイルアートの様だが、Tさんがしゃけに買ってきてくれた山梨県土産。
『小さな石に眼がついただけで、生き生きと可愛くなります』と笑顔で言うTさんはあったかい心の人。
小さな石だが、恐れや悩みを遠ざける不思議なオーラを発している。





集合するのに便利なという理由で入った、柏ICを春日部に向かって80mの左側、『小満堂』という中華料理屋。
期待しなかったが、わざわざ行きたくなるほどの美味しさ・・・・・・・
今日は何とも不思議な一日だった。
そして、幸せな暖かい一日だった。

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勇気100倍!お宝三点盛り(^^

2011-02-10 22:56:44 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


現在バイクに乗れないこの状況、腰痛ごときでこれほど落ち込むとはね・・・
だらしね~ぞ!しゃけよう、しかりしろやい!とあちこちの『しゃけサポーター』が応援してくれる。
今日は気持ちが前向きになった『お宝三点盛り』のご紹介です。




埼玉県所沢市の西武線航空公園駅近くの某国立B医大病院。
腰痛・神経等の専門の先生が沢山おられる。
『直すから心配すんなよ』とY先生。今、この先生を一番頼りにしているのです。




某団体職員の方から頂いた、メッセージカードホルダー。リラックマのメモには直筆のメモが・・
熊公のメモを白い花の形の髪飾りのように磁石として留めておくことが出来る。

彼女は、あることでこちらが付けたクレームを見事に辛抱強く解決し、すっかり俺がファンになっちゃった女性。
性格はもちろんのこと、眼が大きくて綺麗な人で西洋人的デラックスな女性だ。
がっかりしている最近のしゃけを気遣ってプレゼントしてくれたのです。
何年かぶりの女性からのプレゼントに、すっかり明るくなってしまいました
ありがとうございました。カードホルダーもおしゃれで気に入りましたが、貰ったメモで更に元気づけられたのです。



暫く、バイク用品やウェア類は見ると逆に落ち込むのでみてなかったけど、今日からは前向きな気分!
ブルーのしゃけ号に良く似合いそうなスタジアムジャンパーを中古でトレジャーファクトリーで買う。
『やだ~男の人の臭いがする~』という感じだが、ま、いいだろう。
今は、これを着てしゃけ号で走る自分を想像し、前向きな気分になることが大切。



不安が減ったら腹も減った。
新大久保の韓国街でガムジャタンという料理を食べる。ジャガイモなどの野菜と背骨の肉を骨つきで
高温で煮込んでいて旨い!だれか一緒に食べに行きませんか?

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善光寺で心の洗濯

2011-02-05 10:37:34 | バイク ツーリング 携帯写真 風景

埼玉県ライダーとしては、信州・木曽方面は日帰り出来る最西のエリアであるので何度も行った。
しかし、ライダーが意外と行かないのは長野駅近くに位置する善光寺だ。
目的地が鬼無里や戸隠方面になると、高速降りてひたすら向かわないと日が暮れるし、帰りは、あまり遅いと
猛り狂う女房殿を思い出し、結局、長野駅周辺のバイクによる観光は叶わぬ夢と成るのだ・・・。

とはいえ、ライダーは旅人である。
旅人の大先輩はヤジキタ道中!
彼らのFinal Destinationは善光寺だ。江戸時代の人々が一生の夢と位置付けていた『善光寺参り』を、
後輩の旅人として果たしておきたい。




善光寺の門前は、浅草の浅草寺以上に門前町らしい店構えが続く。
宿坊や仏器屋が並び、単なる観光地とは一味違う風情だ。
阿吽の呼吸で並び立つ仁王像は、素晴らしい迫力だったが逆光と金網で残念ながら写真撮るわけにいかなかった。



さすが東日本最大の伽藍を誇る善光寺は、六地蔵も巨大で、しかもとても顔が良い。
どんな地獄からも救ってくれそうで、思わず手を合わせる。



六地蔵の左横の『濡れ仏』という通称の地蔵菩薩にはすっかり魅了されてしまった。
5分ぐらいぼーっと立ち尽くすほど慈愛に満ちた仏像だ。
江戸の大火を招いて刑死した『八百屋お七』の恋人が立てたと言われているが、そんな庶民の立てられる
出来の仏像ではない。と、思う。





善光寺の伽藍は実に優美で均整が取れている。
遠景は優美、近付くにつれて男性的な迫力がある。
浄土に聳える高さ数万メートルと言われる須弥山を意識したデザインではないかと思う。
本尊は百済から642年に渡来した一光三尊阿弥陀如来像。
昨年は御開帳が有った事は記憶に新しい。
最大の特徴は無宗派の寺だということで、貴族や権力者だけでなく
広く庶民の信仰対象となっている。
『仏教徒ならば全て受け入れる』という分かりやすさが信仰の拡大につながったことは
疑う余地がなく、『いつかは善光寺・・』という庶民の想いは、昭和40年代に我々が、
『いつかはハワイ・・・いつかはマイカー・・』と願ったことに似ていて、善光寺は、
街道筋の町々に大きな経済効果をもたらした。

高さ30m、間口24m、奥行き50mの東日本一の大伽藍だ・・



内部は撮影禁止なので、御本尊から山門を見た写真を撮った。
一光三尊阿弥陀如来は、ぞろぞろと参詣する信者をこの位置からご覧になり、『おいで・・みんな救ってやるよ』
と慈愛の光を投げて下さる。

400円払って内陣の奥に進むと、仏の救いを実感できる『お戒檀めぐり』を体感できる。
朱塗りの欄干のある階段を下ると真っ暗になり不安になるほど長く壁沿いに手さぐりに
歩くと錠前に手が触れる。これが『極楽の錠前』と呼ばれていて、御本尊が安置されて
いる場所の真下にある扉を守る錠前なのだ。これに触れることで浄土への扉が開かれる
というわけだ 実際にそれから間もなく光がさしている場所に出ることが
出来て『信じることで救われる』ことを実感できる。

不届きなことに、この暗がりを利用して財布をすったり、女性の体をいじりまわしたり
する奴がいるというから、さすがのしゃけちゃんもびっくり。
俺ならそんな卑怯な事せずに、きちんとお願いするがなあ。



三門と呼ばれる本堂寄りの門の直近には、20の別院が並び、外側の仁王門の外には宿坊が並ぶ。
このような町並みの構造は伝統的な門前町の成立時の姿に近いのだと思う。
写真は、宿坊の一つ。明治時代の建築と思うが和風・中華風・洋風が絶妙に混ざったそれでいて統一感のある
不思議な魅力の建造物だった。



バイクを買ったら善光寺参りをしたいとずっと思っていた。
果たすことが出来てほっとした。
この街並みがとても好きになった。次回はしゃけ号に乗って来ると、自分に誓った。

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しゃけ姉に会いに志賀高原

2011-02-02 23:19:44 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


数年ぶりに家内と長距離ドライブ。真冬の志賀高原は35年ぶりだ。
姉とはおととしの夏の『耳栓ツーリング』(いびき防止)以来。
姉は義兄とヴィラアルペンというホテルを経営。
今回は、スキーが目的ではなく、ちょっと弱気な今、力強いしゃけ姉に力貰いに行ったのです。




二輪と違ってスタッドレスにABSのアコードは、雪道も楽勝だ。当たり前だが車はバイクより快適だ。
この道は、童子さんたちとバイク連ねて走った思い出の道。
真冬になると表情変わってワイルドだなあ・・・・





『志賀高原サンバレー』は長野・湯田中方面から一番近い志賀高原のゲレンデだ。
そこに有るヴィラアルペンが姉達のホテルです。日本で最初の常設スキー学校であり、1956年に建てられた。




シャモニーに有りそうな可愛い外観です。



大きなスキー教室が開かれてました。
義兄と甥っ子はフランス・スキーのインストラクター。甥っ子は子供の指導には定評有るらしいです。
スキー好きの皆さま!!宜しく御贔屓に




義兄の父は戦時中、画家の藤田 嗣治の疎開先を世話した縁で、戦後彼がフランスにもどるまで深い交流があり
、義兄の住んでいた八王子の家は画家たちが集まるサロンで有った。渡仏後も心にずっと義兄一家があり、義兄
姉弟を孫のように愛し、義兄が長じて父の遺志を継ぎグルノーブルの学校に入学したことなどを心から喜んで下
さったことも初めて知った。藤田嗣治晩年の、代表作であるノートルダムド・ラ・ぺ 平和の聖母礼拝堂の建設
を成し遂げた頃のことである。
写真の爺様が藤田 嗣治氏であり、前列の男の子が義兄だ。




そのような環境で育った義兄のホテルは古びてるが、どこか欧州のかほりがする。



岩魚釣り名人のお客さんから贈られた、毛バリ。



しゃけの伯父の家に有った懐かしの鹿の角も、今はロビーに飾られ風格が出てきてる。




姉一家は、かなりのレヴェルで全員英語を話す。
その影響か、各国大使館や軍人などのお客様が大変多い。
この日も日本人より外人の方が多い。写真VFA-27は第27戦闘攻撃機隊(厚木基地)所属パイロット
が自機の写真に、直筆サインを入れてくれたものだ。



米国海軍や海兵隊、空母艦載機、ニューヨーク消防士、インターポール(国際警察)などのスタッフから直に
贈られたキャップ。マニアにとっては大変答えられない価値のコレクションだ。
これについては後日再度ブログに載せます。



廊下には『しゃけ母』の作成した押し花の作品がいくつか並んでいる。(その道のプロだよ  )
そう言えば、母に頼まれていたお墓の草取り、一回しかやらなかったなあ・・・
親不孝を反省。雑草の生えない改良を近々やろうと思います。母上!許して・・!



米国では軍に一般の人が協力的になるように、各部隊の将校が部隊の軍歴や使用機の機種や部隊マークの入った
メダルなどを配る習慣があるらしい。

写真のメダルはあることで、とても怯えていたしゃけは姉夫婦に沢山の言葉で激励され、プレゼントしてもらった物。
『このメダルは二次大戦から、湾岸戦争、現在を通じ米軍最強の戦闘攻撃機部隊VFA115のものだ。お守りにしろよな。』
という義兄の励ましの言葉とともに、2人にしゃけは心から愛されていることを改めて知り、このメダルは、
『勇気のシンボル』として大切な宝物になったのです。



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