しゃけの携帯写真

携帯写真で景色撮るのが好きなのです。見てください。

米軍CAPコレクション(志賀高原ヴィラアルペン蔵)

2011-03-19 22:16:15 | 米軍 携帯写真 バイク


志賀高原にいる義兄のCAPのコレクションです。
ほとんどのものは、レプリカや誰でもが手に入れられるものではない。
このコレクションで、価値があると思うのはCAPの部隊に所属する本人から、義兄が直接受け取っていることだ。
各部隊の名誉の象徴【ヴィラアルペンCAPコレクション】を、是非一度ご覧いただければと思います。
志賀高原サンバレーにあるホテル【ヴィラ・アルペン】でご覧いただけますので、宜しくお願いいたします。


★CAPについての説明は、しゃけの個人の知識で書いてるので訂正補足の書き込みを戴き、ご指導いただければ幸いです。
★小さいCAPの写真をクリックすると大きく出来ます。元の画面には【戻る】をクリックし戻ることが出来ます。




コレクションはホテルのダイニングルームの東側にあります。
このホテルは義兄夫婦の努力のたまもので、米軍・各国大使館などに大変信頼していただいており、
それらのお客様の御満足の結果、自然に増えていったコレクションです。




   A              B            C                D            E         F

A 第51ヘリコプター輸送隊 (指揮官級と思う) 部隊名 WAR LORDS

B アメリカ海兵隊

C ? ロープが船に関連した結び目なので港湾関係?PAPD(港湾警察)かも・・?

D 空母艦載機5部隊連合航空団? 司令部は厚木基地・旗艦はジョージ・ワシントン。

E CVN-73 CVは空母、Nは原子力。米海軍73番目の空母。ジョージワシントン乗員用?。
          日米国旗があるので横須賀で一般公開した時の限定CAPかも・・・

F しかちゃん?所属は奈良ではないかもね。




         G          H         I               J           K             L

G INTERPOL 国際刑事警察機構

H VAW-115 VAWは、空母艦載早期警戒機のこと。E2Cホークアイを運用して低空侵入機を警戒。
          部隊名はLiberty Bell。

I VFA-192 VFAは、空母艦載戦闘攻撃機のこと。FA-18Cホーネットを運用。
          部隊名はWorld Famous Golden Doragons

J 米国陸軍第78航空大隊 部隊名Nimja

K 第七艦隊 潜水艦部隊 (指揮官級と思う)

L Seals特殊部隊 海空陸にまたがる広範な特殊任務部隊の中でも最精鋭。




義兄はそのほか、米軍広報用のメダルや、乗員サイン入り写真、本物の各部隊バッジ・ワッペン類を沢山持っていた。
一つづつの説明は省略しますが、湾岸戦争時と思われる砂漠上空戦想定のサブデュード仕様(色なし)のF14部隊と、
同じく砂漠地域仕様のブラックナイツのワッペンが心に残った。





最後のキャップは、FDNY。ニューヨーク市消防局の9・11メモリアル・バージョンだ。
ブルックリン・ウォールとは9・11テロの起きた現場周辺の呼称。
FDNYは消火活動だけでなく、放射線事故処理や伝染病などの防疫、生物化学兵器処理などの処理能力を備えた
9・11以前から、全米一の勇敢さを誇る消防隊である。

9.11では137名が犠牲になり、FDNY以外でも11人のニューヨーク市警警官、3人の裁判所職員、7人の港湾警察職員が
犠牲となっている。彼らはニューヨークのコニーアイランド、Kayspan Parkに、高さ3.6メーター幅約10メーターの
御影石のモニュメントに、永遠にレーザー彫で名前と肖像を刻まれ顕彰されている。
FNDYのOBで救援活動中に亡くなった人や、公務中に半身不随になった方々や、活動中亡くなった救援犬シリウス号など
も、顕彰されるべきであると、運動が継続中と聞いている。
このCAPは遺族だけが持っているものか、寄付などの好意で得られるか、買えるのかは分からなかった。

米国は、勇敢であることを特に誇りに思う国民性があると思う。
勇敢であること、人のために戦うことの重要性を次世代につないでいくことが米国の歴史と考えて誇りを持っている。(と、思う。)
義兄のコレクションを震災後に記事として編集して見て、【勇気】について勉強になった。


今回、福島の第一原発では現場での復旧を志願した『SAMURAI50』と呼ばれる勇敢な人々が居ることを、海外のメディアが先に名付けた。
消防のRESCUE隊、機動隊や自衛隊、そして再び戻ってきた東電の人々の勇敢な活躍も素晴らしかった。
闘いはまだ続くが輝かしい勝利を修めるだろう。
原発復旧を通じて完了まで犠牲者がないことを祈ると同時に、水蒸気爆発時の被害者のかたの勇気を含めて『SAMURAI50』に象徴される人々が全ての日本人に希望と勇気を与えてくれた事への感謝を、長く世界の人々が記憶するだろう。
日本では勇気に対する顕彰は『公務員なら当然』と言った空気が強く、過去自衛隊の努力等がないがしろにされて来た(保障などとは別次元の意味。)ことはないだろうか?スポーツ選手等が国民栄誉賞を受賞するのも結構なことではあるが、これらの戦いに参加した方々に対しては『国民栄誉賞』を含め、さまざまな顕彰がなされるべきだ。 日本人が自らの勇気を誇り、立ち直るために・・・・


写真を見てくださってありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。



にほんブログ村 写真ブログ 携帯写真へ
←左の『携帯写真』というバナー(ボタン)をポチッとおして応援お願いいたします。








奈良でジープに乗りました(^^

2011-03-14 16:14:43 | 米軍 携帯写真 バイク


新薬師寺に参拝した後、高畑というところを散策した。
静かな高級住宅街という雰囲気な場所。
此処で想いも掛けなかった体験をしました。




古い盥(たらい)が有って竹で作った花生けに椿が一輪づつ入っていました。
ひとつ200円と書いてある無人販売をしていた。
ひとつ買おうと思ったが、ふたつ有ったほうが風情があるかなと思い買わなかったです。




ホントに静かな住宅街だ。



志賀直哉の家だそうだが、あまり興味はわかなかった。



雰囲気たっぷりの『はなや北川』というお蕎麦屋さんがあった。
喫茶もやってるみたいなので入ってみた。
蕎麦・喫茶という組み合わせは初めてだし、何故か惹かれるものがあった。




このお店は元々は花屋さんだったらしい。北川という屋号だけど御主人はYさんというお名前。
奈良の駅前に元々居を構えておられた名家のご出身だと思う。




自在鉤も手水鉢も春日灯篭も、ちゃぶ台も茶窯も全て昔から代々使っていたものだと直ぐに分かった。
茶釜に花を活けたり、風流というか詫びさびの分かる人なのだと思った。




テーブルは松の古在を挽き直して使っている。
表に停まっているウィリスのジープは、もしやここのオーナーの所有ではないかと思った。(まさしくそうだった)
シンガーの足ふみミシンも、SPレコード用の昭和30年初め以前の蓄音機も、後で聞いたらずっと使い続けた物で今も使い続け、今も実用しておられる。ただのインテリアではない。物は使ってこそ命が輝くという考えに共感した。




十割蕎麦を食べてみたかったが、食事はすんでいたので、『はなやパフェ』を頼んでみた。
桜色の器に桜色のパフェ、『小枝かりん糖が桜の小枝を思わせますね。』と奥さんに言ったら嬉しそうだった。
それからじきに、御主人が自分の好きなものに囲まれて暮らす楽しさについて一気に話しだした。
少しあっけにとられたが、共感できるし感性も似てることを感じた。
そして飾らないこの御主人のまっすぐな性格がすっかり気に入ってしまった。
『これから店をしめてウィリスに乗って出かけよう!』と仰るではないか・・・
え、本当!?




おそらく日本で3台とはないであろう米国ウィリス社・1944年型の米陸軍仕様の可動車だ。
67年前と変更してあるのは、車検を通すための保安部品だけである。
手動式ワイパーもM1ガーランドライフルのラックもオリジナルのままだ。
ミッションのレイアウトも戦闘を想定してあり、ロウギアとリヴァースギアが鉤型に曲がらず一直線で入れ替えられるので、4WDとの合わせ技で普通の車より素早く切り返しが出来る。
エンジンは重低音でとても3,000CC以下の排気量とは信じがたいが、トルクが低回転から非常に有り、トップギアで時速20km以下から加速を立ち上げることが可能だ。もちろんパワーステアリングではないが大径ステアリングで、走り出せば重くないようだ。
クラッチはダブルクラッチで、運転してるという楽しさが伝わってくる。

これに米軍の防寒ジャケットを着て出かけようというのだから、楽しくないはずがない。
オーナーのYさんの運転で、しゃけ妻も積んで出かけたのでした。




ここで携帯の電池切れで、しゃけ妻の携帯カメラで撮りました。
Yさんが、逆に高級カメラでバシャバシャ撮ってくれました。撮ってる姿を写しました。






写真が電池切れであまりとれなかったのが残念ですが、Yさんの御好意で日が暮れてしまうまで市内の眺めの良いところを、沢山走ってからホテルまで送っていただきました。まるで気分はマッカーサーで、道行く人に沢山写真を撮られたり声をかけていただいたりで楽しくてたまらなかったです。Yさんも私がよろこぶのを見て嬉しそうでした。
しゃけ妻も楽しんでいましたが、恥ずかしいのと(人に注目されて)、寒いので複雑な笑みを浮かべてました。

なんだかドラマのような出会いで、こんな珍しい車で楽しい忘れられない思い出です。



Yさん、本当にありがとうございました。勇気をもらいました。
必ずW650に乗ってもう一度『はなや北川』にお礼に行きます。目標が出来ましたよ。




写真を見てくださってありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。


にほんブログ村 写真ブログ 携帯写真へ
 ←左の『携帯写真』というバナー(ボタン)をポチッとおして応援お願いいたします。