しゃけの携帯写真

携帯写真で景色撮るのが好きなのです。見てください。

花を訪ねて

2011-03-29 20:49:25 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


娘が休日で、しゃけ妻と3人で昭和記念公園に花を見に行った。
いや・・・・連れて行ってもらったというのが正しい・・・
ともかく、3人揃って遊びに行くなど十数年ぶりではなかろうか?


 

本日の愛車は、これだ。
補助輪付きとは言え、久々の二輪?だ。
しかも、エンジンは、しゃけ妻としゃけ娘の2気筒バーチカル・ツインだ・・・
俺は何故か1亀●(気筒)。




国営『昭和記念公園』は、かなりの広さで、今の脚力では歩ききれない。
4月7日の入院のころには、一面のチューリップが咲き始めると思う。




今はまだ、小さなチューリップが数えるほどしか咲いていない。



小さい写真をクリックすると大きくなりますよ

左から、芝桜・ボタン?・クロッカス・珍しい色つき辛夷?・ラッパ水仙・ムスカリ・緋寒桜かな?



乙女椿。女性看護士さん?やっぱ看護婦さんと呼びたい感じ・・・



駐車料800円、入園料3人で1200円は国立なのに高い?でも、休息所もなかなか風情がある。



休憩所からの景色。亀が日向ぼっこで可愛い。



花にら。とても小さい花です。



昨日の『彩の森記念公園』よりデラックスな木蓮。



夫婦茶碗の様なクロッカス。



日本庭園に咲いていた馬酔木(あせび)。こんなに見事なのは初めてだ。



これが本日のベストだと思うが、いかがでしょうか?



最近、どうも逆光写真に魅せられた感じだ。
ややくどい写真だが、赤玉がこれだけ撮れたのも初めて。

本日は、初めて車椅子の世話になった。
交代で押してくれた娘と家内に感謝。


左手と左足が15%くらいしか効かない。
正直、仕事の出来なくなった状態から、手術する日まで長くて心身ともに辛い。
辛いが、何事も納得できる予定で悔いなく進めてきた。
闘病はいよいよ正念場だ。
強い気持ちで頑張ろう・・・それが唯一つ、力を下さる方々へ俺の出来ることだと思う。

改めて太陽を見ると、力を下さる多くの方の慈しみを感じる。

無限の慈光に今日一日の有難さを感謝。




写真を見てくださってありがとうございます。
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童子さんが来た!!

2011-03-28 20:32:04 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


バイク仲間の童子さんが今日の午後に来る。
『いいよ・・せっかくの休みに。』
とはいうものの、まるで孫を待つ爺の心境。首を長くして待つ。

ろくに歩けないのに、わくわくして、県立彩の森記念公園に写真撮りで時を過ごす。
ひとつ前のブログ記事、『杏が咲いた』も、今日この公園で撮った写真です。




雪柳越しに見る池は、ちょっと湖ぽかったですよ。



桜は枝が銀色に輝き、影も春めいてきました。




木蓮は沢山あると、小鳥が止まっているようです。
あと少し、明日あたり咲きそうです。



美味しそうな花粉に、虫じゃないのに誘われます。



『きぶし』という花です。かわいいと思います。すずらん思い出します。
とても小さな花です。



先ほどの記事で載せなかった杏。
こちらは、やわらかな表情です。




木蓮につられてはじけた辛夷(こぶし)。同じ仲間の様です。
まだ、銀色に見える蕾が沢山見えます。ここが公園で一番暖かいところかも知れない




広い公園内でも数本しかない、茶席に似合う『侘助(わびすけ)』
残念ながら、開きすぎてちょっと傷んでる・・・・
こんな時は、中年女性ヌードの要領で逆光を駆使。
おおお、美しい・・・




童子さんが来たので、一緒に峠を越えて奥多摩へ。(車で行った)
お気に入りの『カフェ・ド・マルコ』へ。
ここは、写真や陶芸、染色などの工芸を展示するギャラリー・カフェだ。
芸大出身っぽい個性的女性がやっていて、彼女の作るキッシュは絶品の旨さ!
今日はあいにく休みだったが、呼んだら出てきたので、入院で当分来れないと伝える。
悲しそうな顔をしてくれたのをすかさず、手を握り『直して、又来るからさ・・』と挨拶。




此処は我が家。
童子さんも、板さんも知り合ってからは短い。しかし10年以上は付き合ってる気がする。
ワイン産地の童子さん。上等なワインを頂きました。




カヴェルネ・ソーヴィニョンをフレンチ・オークの樽で寝かせた本格ワインのお土産。
しゃけ妻の活けた春の花。

こんなに、幸せであって良いのだろうかと・・・・心より思う。


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杏が咲いたよ

2011-03-28 19:07:29 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


杏が咲いた。実に好い天気だ。
写真でも撮りに行くか?

幸せな春の一日になりそうだ。




プチプチとポップコーンのように咲く杏♪
目にも口にも甘酸っぱい。
あんなに小さい蕾から こんなに ほっこり咲きました♪




春咲く花は、気温を感じる写真にしたい。
これもやっぱり杏です。




梅・桃・杏に桜。
みんな薔薇の姉妹だそうです。
他の姉妹に比べて、杏は表情が豊かだなあ。
もうじき桜が来るけど 今は杏が頑張ります。



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狭山モータースクールは、とても良いところです!

2011-03-22 19:11:58 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


母校・狭山モータースクールの師匠が、
千羽鶴を持って見舞いに来て下さいました・・・




1990年にサンキュウ事故(直線右折事故)をもらいDT200に乗っていた俺は、左足を骨折した。
会社での信用は失墜し、家族に迷惑をかけてバイクを降りた。
2004年に、うっかり14年ぶりで『オートバイ』という雑誌を買ってしまった・・・・
2005年に、乗りたい気持ちにどうしても火が消せず、しかし家族の賛成は得られるはずがなかった。
多忙であり、バイクの大型免許を取る暇もなかったが、何か前に進めたかったので教習所を申し込んだ。

2008年になり、少し時間が出来たしへそくりも25万くらいたまった。
『あのさあ・・バイク免許取るからさ・・』高校生が母親に媚びるように、しゃけ妻に宣言した。
『免許取るまでは、貴方の勝手でしょ?』と、しゃけ妻は笑った。・・・ずっとバイクへの想いを消せずにいたのを知っていたのだ・・

3年もたっていたから教習の権利は消えていると思ったが、狭山モータースクールは、教習をまだ開始してなかったから、
申込は有効だと言ってくれた。・・・環境は整ったが、しゃけは出来の悪い教習生だった。
20年前とは言え、オフロードだけで3万kmくらいは乗っていたから、バランス感覚は充分あるつもりだったが、
220KgあるCB750は思いどおりにならなかった・・・幅の狭い板を渡る一本橋走行で何時間もひっかかり、思った以上に頭は硬くなっていて走行コースをすぐ間違えた。適性検査もとてもバイクの運転に適したものではなかった。
かなり落胆し前向きな気持ちになるのに時間がかかった。

何度も励ましていただき、謙虚な気持ちになった。
『自分は下手だと認めることが大事』とその時気がついた。
翌日の卒業検定は、予想に反して1発で合格だった。
バイクライフは人生を変える程有意義な時間の始まりだった。
直ぐに付属のツーリングクラブ『Riders club狭山』に入会した。

2008年10月25日に、しゃけ妻の許しを得てW650を購入し、『W650オーナースクラブ』にも入会した。
2011年01月04日の病気発覚まで、約45,000Kmあまり走行した。



仕事の休止を決断した日、バイクライフを与えていただいたお礼と暫く乗れない報告をした。
普通に喋れるつもりだったが、師匠の顔をみて涙が止まらなかった・・・

何と心の優しい方々だろうか・・・
役員さんまで含め、多くの方が心をこめて折って下さった千羽鶴を届けて下さった




綺麗な虹色の綺麗な千羽鶴だ。
なんだか、熊がしゃけをもらって喜んでいるような姿だ




似たようなポーズだが、まるで別人・・・・・
30年前のしゃけちゃんだ。(赤ん坊は長女)





先日の奈良旅行でで会った中宮寺の菩薩様と並べて拝んだ。
虹の雲の様で、美人の菩薩様も喜んで下さった。





皆様、どうも有難うございました。
ありゃ、又若返った!!


【免許これから取る方へ】
狭山モータースクールは、安全で楽しいツーリングクラブがあったり、卒業後もテクニックアップ講習会や、白バイやトライアル選手を招いたり、ハレーの試乗会が有ったり、これ以上のアフターケアをしているスクールは稀有だと思います。
指導の先生も事務スタッフもまるで天使

航空ショーで有名な入間基地の東南、西武新宿線入曽駅が最寄駅。入間市・狭山市から送迎バスもあります。
所沢・狭山・入間の皆さま宜しくお願い致します。


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米軍CAPコレクション(志賀高原ヴィラアルペン蔵)

2011-03-19 22:16:15 | 米軍 携帯写真 バイク


志賀高原にいる義兄のCAPのコレクションです。
ほとんどのものは、レプリカや誰でもが手に入れられるものではない。
このコレクションで、価値があると思うのはCAPの部隊に所属する本人から、義兄が直接受け取っていることだ。
各部隊の名誉の象徴【ヴィラアルペンCAPコレクション】を、是非一度ご覧いただければと思います。
志賀高原サンバレーにあるホテル【ヴィラ・アルペン】でご覧いただけますので、宜しくお願いいたします。


★CAPについての説明は、しゃけの個人の知識で書いてるので訂正補足の書き込みを戴き、ご指導いただければ幸いです。
★小さいCAPの写真をクリックすると大きく出来ます。元の画面には【戻る】をクリックし戻ることが出来ます。




コレクションはホテルのダイニングルームの東側にあります。
このホテルは義兄夫婦の努力のたまもので、米軍・各国大使館などに大変信頼していただいており、
それらのお客様の御満足の結果、自然に増えていったコレクションです。




   A              B            C                D            E         F

A 第51ヘリコプター輸送隊 (指揮官級と思う) 部隊名 WAR LORDS

B アメリカ海兵隊

C ? ロープが船に関連した結び目なので港湾関係?PAPD(港湾警察)かも・・?

D 空母艦載機5部隊連合航空団? 司令部は厚木基地・旗艦はジョージ・ワシントン。

E CVN-73 CVは空母、Nは原子力。米海軍73番目の空母。ジョージワシントン乗員用?。
          日米国旗があるので横須賀で一般公開した時の限定CAPかも・・・

F しかちゃん?所属は奈良ではないかもね。




         G          H         I               J           K             L

G INTERPOL 国際刑事警察機構

H VAW-115 VAWは、空母艦載早期警戒機のこと。E2Cホークアイを運用して低空侵入機を警戒。
          部隊名はLiberty Bell。

I VFA-192 VFAは、空母艦載戦闘攻撃機のこと。FA-18Cホーネットを運用。
          部隊名はWorld Famous Golden Doragons

J 米国陸軍第78航空大隊 部隊名Nimja

K 第七艦隊 潜水艦部隊 (指揮官級と思う)

L Seals特殊部隊 海空陸にまたがる広範な特殊任務部隊の中でも最精鋭。




義兄はそのほか、米軍広報用のメダルや、乗員サイン入り写真、本物の各部隊バッジ・ワッペン類を沢山持っていた。
一つづつの説明は省略しますが、湾岸戦争時と思われる砂漠上空戦想定のサブデュード仕様(色なし)のF14部隊と、
同じく砂漠地域仕様のブラックナイツのワッペンが心に残った。





最後のキャップは、FDNY。ニューヨーク市消防局の9・11メモリアル・バージョンだ。
ブルックリン・ウォールとは9・11テロの起きた現場周辺の呼称。
FDNYは消火活動だけでなく、放射線事故処理や伝染病などの防疫、生物化学兵器処理などの処理能力を備えた
9・11以前から、全米一の勇敢さを誇る消防隊である。

9.11では137名が犠牲になり、FDNY以外でも11人のニューヨーク市警警官、3人の裁判所職員、7人の港湾警察職員が
犠牲となっている。彼らはニューヨークのコニーアイランド、Kayspan Parkに、高さ3.6メーター幅約10メーターの
御影石のモニュメントに、永遠にレーザー彫で名前と肖像を刻まれ顕彰されている。
FNDYのOBで救援活動中に亡くなった人や、公務中に半身不随になった方々や、活動中亡くなった救援犬シリウス号など
も、顕彰されるべきであると、運動が継続中と聞いている。
このCAPは遺族だけが持っているものか、寄付などの好意で得られるか、買えるのかは分からなかった。

米国は、勇敢であることを特に誇りに思う国民性があると思う。
勇敢であること、人のために戦うことの重要性を次世代につないでいくことが米国の歴史と考えて誇りを持っている。(と、思う。)
義兄のコレクションを震災後に記事として編集して見て、【勇気】について勉強になった。


今回、福島の第一原発では現場での復旧を志願した『SAMURAI50』と呼ばれる勇敢な人々が居ることを、海外のメディアが先に名付けた。
消防のRESCUE隊、機動隊や自衛隊、そして再び戻ってきた東電の人々の勇敢な活躍も素晴らしかった。
闘いはまだ続くが輝かしい勝利を修めるだろう。
原発復旧を通じて完了まで犠牲者がないことを祈ると同時に、水蒸気爆発時の被害者のかたの勇気を含めて『SAMURAI50』に象徴される人々が全ての日本人に希望と勇気を与えてくれた事への感謝を、長く世界の人々が記憶するだろう。
日本では勇気に対する顕彰は『公務員なら当然』と言った空気が強く、過去自衛隊の努力等がないがしろにされて来た(保障などとは別次元の意味。)ことはないだろうか?スポーツ選手等が国民栄誉賞を受賞するのも結構なことではあるが、これらの戦いに参加した方々に対しては『国民栄誉賞』を含め、さまざまな顕彰がなされるべきだ。 日本人が自らの勇気を誇り、立ち直るために・・・・


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奈良の旅 第三日(最終日)

2011-03-17 14:13:57 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


最終日は京都に行こうと思っていた。
でも、この二日間ですっかり奈良が気に入ってしまった。
斑鳩の地に赴き、最古の木造建築法隆寺と中宮寺のたおやかな如意輪観音様に会いにいくことにした。




奈良で唯一気に入らなかったのが『せんとくん』。
鹿と仏像の合体したこの怪物は、仏像を侮辱し鹿も怒っているだろうと思う。
奈良の人の心意気を表しているとは思えないし、美しくも可愛くも感じない。




法隆寺山門の金剛力士像も、怒っちゃったかな?



45年ぶりの法隆寺。
時は流れなかったような錯覚に陥る。




御釈迦様の仏舎利塔(卒塔婆)である五重の塔。
北面には石窟内での釈迦涅槃像がある。日本的といいうより大陸的な仏教美術だ。
五重塔は、戦艦大和の艦橋の様に聳えていた。




用明天皇の請願、推古天皇、聖徳太子の努力によってこの地に開山した法隆寺。
飛鳥時代から今日まで1,400年、しゃけと同じ気持ちでこの金堂を仰ぎ見たものは数多居ることだろう。
本尊は釈迦三尊像。見慣れた丸顔の仏像とは違い、飛鳥時代の面長なお顔で威厳を感じる仏様だった。




『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』
有名な正岡子規の句である。『法隆寺の茶店に憩ひて』とある。
写真で見た子規の横顔と昨年行った東京根岸の子規の住まいを想い出し、古い知り合いにで会った気分。




平成10年(去年!)建立の百済観音堂。
よく教科書でみるすらりとした日本離れした観音様が此処におられます。
飛鳥時代の作と言われているが、どの仏像にも似ていない八頭身の仏様だ。
これほどの仏様でありながら17世紀まで文献にものらず定まったお堂も無かったのだから
大変謎深い仏様だ。立派なお住まいが定まって本当に良かった。




東大門から四脚門へ向かう。
法隆寺は今日は人出が少ない。



夢殿を過ぎ、更に東進すると中宮寺に出る。
中宮寺は門跡寺院(皇族ゆかりの御寺)であり尼寺である。その所為か、椿の下の句碑には宮内庁元女官長の句があった。
中学の時、ここの庵主さまの御案内で本堂の如意輪観音様に対面させていただいた時の感動が思い出され、早く会いたい
思いで気持ちが焦った。
昔とちがい、耐震耐火のお堂(昭和43年落慶)に入っておられた。
中は座敷になっていて、そばまでよって拝むことが出来た。御姿はこの記事の最後の写真をご覧ください

『心配することはないわよ。安心していってらっしゃい。』

と、来月手術を受けるしゃけ君におしゃって下さった。




最後の目的地中宮寺を後に徒歩で駅に向かった。2km以上あり今のしゃけには相当な距離。
しゃけ妻は心配したが、この旅の余韻を感じたくて歩いてみたかったのだ。
ある民家の前に素朴な古い地蔵様があり、一輪の花が活けられていた。斑鳩の里は仏様とともに生きる地なのだ




京都で新幹線に乗り継いだ。京都も20年ぶりぐらいだ。
駅前が未来都市の様でびっくり。




何も買ってなかったことを思いだし、記念にループ・タイを買った。
よろよろ歩いて爺らしくなったし、ネクタイがしんどくなったのが買う動機だ。
身につけたら、妙に似会って年寄りっぽくなった。




しゃけ妻が『時間あるから清水寺でも行く?』と言うが奈良の余韻を壊さぬためお茶を飲むことにした。
ケーキも珈琲も器も満足できるものだった。
右の写真は京都駅の駅弁。上げ底になっておらずに充分な量があってとても美味しかった。




帰りの新幹線が間もなくやってくる。
なんと印象深い旅で会ったことか・・・なんと心の救われる旅であったことか・・・
手足のしびれがきつく、行かれないんじゃないかと思った時もあった。
仏様としゃけ妻の、お導きに感謝したい。




写真は絵ハガキから撮らせていただいた中宮寺の如意輪観音菩薩様です。

旅を通じて色々な仏様に会った。
大仏様や薬師如来様の無限の慈悲、金剛力士や十二神将の力強さ、法隆寺のお釈迦様の威厳に満ちたまなざし、
薬師寺法主様のお言葉、沢山勇気をいただいた。

旅の最後に中宮寺の如意輪観音菩薩様にお会いできたことは、格別な喜びだった。
如意輪観音と言うと、ふっくらと艶っぽいお姿を連想するが、清楚な美しさの仏様であり、それでいて
躍動する直前の力強いお姿を秘めている。
アルカイックスマイルといって、世界的にたたえられている微笑とパフレットには書かれている。
また、スフィンクス、モナリザと並んで『世界の三つの微笑像』という表現もあるらしい。
しかし、それらの比喩を超越した無限の優しさは、新薬師寺の薬師如来様のまなざし同様に、目の前で
参拝した者にしか分からない感動がある。

忘れられない奈良の旅だった。



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奈良の旅 第二日

2011-03-17 00:50:23 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


奈良の旅行の二日目です。
今日は唐招提寺と薬師寺、多くの国宝が集められている『なら仏像館』、メインに新薬師寺に行こうと考えた。




左腕の筋肉に充分信号が流れない。朝食のトレイが持ち切れず、しゃけ妻に助けてもらう。
悲しそうな顔を見せずに世話を焼いてくれてホントに助かる。




742年に日本に仏法を広めることを要請された鑑真和上は、9年間6度にわたる渡海を試み、その苦労の中で失明したにもかかわらず強い意志を保ち日本に来てくれた。聖武天皇をはじめ多くの日本の僧侶に受戒を授け、日本の仏教が独自の発展をする礎を作ったのだと理解しています。唐招提寺はその活動の中心と成りました。
しゃけは、鑑真和上が出発した中国揚州の大明寺に行った事があり、1260年も昔の事情を考えるとその偉業に感謝する気持ちになります。

金堂の本尊は盧舎那仏、脇侍は右に薬師如来、左に十一面千手観音菩薩と参拝するものが必ず救われる程のデラックスさだ。
仏教にそう詳しいわけではないが、これらの仏様に接し現実に我々が救われた気持ちの癒しを得ることそのものが、鑑真の計画ではないかと俺は感じました。




その鑑真に直接向き合ってお墓参りが出来るとは知りませんでした。心より手を合わせました。



かなり広いエリアに見事な苔が生していました。
此処に鹿はいませんが、鹿の目線で写真を撮りました。




薬師寺は現在最も白鳳時代の大伽藍の姿を伝えている御寺だと思う。
本尊は今作られたばかりの神々しさを感じる薬師如来様であり、東塔の石窟の釈迦涅槃像は小乗仏教的な全アジア的な仏教の表現方法を感じることができた。




薬師寺の金堂は、荘厳を極め灯火がなくても光り輝いたことから名前が由来している。
このような建築様式を『竜宮造り』と呼ぶそうだが、とても分かりやすい呼び名だと思った。




梅は古都奈良に最も似合う花だと思いました。



金堂内に人が集まりだした。込み合っていたが、しゃけ夫婦は何故か薬師如来様のまん前に立てた。
薬師如来様のまなざしは優しかった。2人で思わず同時に手を合わせたと思う。
薬師如来様のまん前では沢山のお坊様の真中に法主様が居られ読経をしておられた。しゃけも般若心経を心の中でとなえた。

続いて法主様から下記の言葉を賜った。

仏法は、まあるい心

仏法は、こだわらない心

仏法は、囚われない心・・・

他にもことばを頂き法主様に続いて唱和したが、上の言葉が特に心に残った。
『仏法は、まあるいこころ・・・』と大きな声でとなえて薬師如来様を見上げたら・・涙がボロボロ出てきた。
右にいたしゃけ妻も泣いていた。
しゃけは仏教徒なのだと、あらためて気がついた。




薬師寺の比較的近くの『草ノ戸』という料理屋を見つけた。
小じんまりした日本家屋で良い感じだった。




一番安い『おひるごはん』という料理名のメニューを注文した。
珍しいものはなかったが、食材は厳選されていてとても美味しく、良い時間を過ごすことが出来た。




『なら仏像館』は国宝級の仏像が非常に沢山あり、御寺から運ばれて修理も担当しているようだった。
今回最高の見ごたえのある展示は、東大寺法華堂の金剛力士像だ。阿吽の二体だが本当に素晴らしく力強く10分近く見つめてしまった。
写真を撮るわけにもいかず此処に載せるわけにはいかないが、撮りたい誘惑に駆られた。
奈良に行くなら是非寄ることをお勧めしたいですが、やはり仏像は御寺におられてこそ輝くのではないかと申し訳ないが思ってしまう。




新薬師寺は、たおやかな薬師如来有名な十二神将像で有名。
しかし着いてみてびっくりした。あまりにも境内も小さくて普通の都内の御寺と変わらない大きさだ。
この隙間だらけのお堂に本当に国宝群があるのか最初は、御寺を間違えたかと思った。

薬師如来様は脇侍のおられる三尊像の形式ではなく、周囲の全ての方向にバザラ大将を筆頭に12の神将が円陣を組んで守っている。
一体の神将が7,000の神軍を率いている。84,000人の軍勢?自衛隊の三分の一かなどと軍事マニアのしゃけはすぐ考えてしまう。
いやいや一騎当千の神軍だから84,000,000の軍勢なのだ。

しかし薬師如来様を拝ませていただいて、びっくりした。絵ハガキやガイドブックで見ていたお顔の表情と全くちがうのである。
慈愛に満ちた表情が本当に写真とは違う。(ほんとうだってば)

しゃけ妻はしゃけが病気なので特にこの新薬師寺と薬師寺を重視していた。
大仏様と薬師寺の薬師如来さまはありがたくて涙が出てくる感じだったが、ここの薬師如来は見守って下さる喜びを感じさせて下さる仏様だ。
十二神将をお率いになり、きっと病魔と闘って下さると信じた。

★いろいろ書いてるが『しゃけの携帯写真』なのだから仏像の写真の載せなきゃ伝わらないじゃないかと、お叱りを受けそうだ・・・
絵ハガキから写真を撮って載せようかと思ったが、今回は生まれて初めての信仰の旅かもしれない。五感で感じた仏様を心で感じていたい気分なのだ。
信仰も宗教も勉強不足だし、キリスト教の祈りの言葉にも多くの真実を感じている。しかし訳も分からず神頼みをしているのではない。
仏様の慈悲を感じることで自分の心を洗っていることに気づいたのだ。
しゃけ姉に会いに行った帰りに善光寺に寄ったのがこの旅のきっかけだったかも知れない。★





上の4枚はすべて新薬師寺で撮りました。

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奈良でジープに乗りました(^^

2011-03-14 16:14:43 | 米軍 携帯写真 バイク


新薬師寺に参拝した後、高畑というところを散策した。
静かな高級住宅街という雰囲気な場所。
此処で想いも掛けなかった体験をしました。




古い盥(たらい)が有って竹で作った花生けに椿が一輪づつ入っていました。
ひとつ200円と書いてある無人販売をしていた。
ひとつ買おうと思ったが、ふたつ有ったほうが風情があるかなと思い買わなかったです。




ホントに静かな住宅街だ。



志賀直哉の家だそうだが、あまり興味はわかなかった。



雰囲気たっぷりの『はなや北川』というお蕎麦屋さんがあった。
喫茶もやってるみたいなので入ってみた。
蕎麦・喫茶という組み合わせは初めてだし、何故か惹かれるものがあった。




このお店は元々は花屋さんだったらしい。北川という屋号だけど御主人はYさんというお名前。
奈良の駅前に元々居を構えておられた名家のご出身だと思う。




自在鉤も手水鉢も春日灯篭も、ちゃぶ台も茶窯も全て昔から代々使っていたものだと直ぐに分かった。
茶釜に花を活けたり、風流というか詫びさびの分かる人なのだと思った。




テーブルは松の古在を挽き直して使っている。
表に停まっているウィリスのジープは、もしやここのオーナーの所有ではないかと思った。(まさしくそうだった)
シンガーの足ふみミシンも、SPレコード用の昭和30年初め以前の蓄音機も、後で聞いたらずっと使い続けた物で今も使い続け、今も実用しておられる。ただのインテリアではない。物は使ってこそ命が輝くという考えに共感した。




十割蕎麦を食べてみたかったが、食事はすんでいたので、『はなやパフェ』を頼んでみた。
桜色の器に桜色のパフェ、『小枝かりん糖が桜の小枝を思わせますね。』と奥さんに言ったら嬉しそうだった。
それからじきに、御主人が自分の好きなものに囲まれて暮らす楽しさについて一気に話しだした。
少しあっけにとられたが、共感できるし感性も似てることを感じた。
そして飾らないこの御主人のまっすぐな性格がすっかり気に入ってしまった。
『これから店をしめてウィリスに乗って出かけよう!』と仰るではないか・・・
え、本当!?




おそらく日本で3台とはないであろう米国ウィリス社・1944年型の米陸軍仕様の可動車だ。
67年前と変更してあるのは、車検を通すための保安部品だけである。
手動式ワイパーもM1ガーランドライフルのラックもオリジナルのままだ。
ミッションのレイアウトも戦闘を想定してあり、ロウギアとリヴァースギアが鉤型に曲がらず一直線で入れ替えられるので、4WDとの合わせ技で普通の車より素早く切り返しが出来る。
エンジンは重低音でとても3,000CC以下の排気量とは信じがたいが、トルクが低回転から非常に有り、トップギアで時速20km以下から加速を立ち上げることが可能だ。もちろんパワーステアリングではないが大径ステアリングで、走り出せば重くないようだ。
クラッチはダブルクラッチで、運転してるという楽しさが伝わってくる。

これに米軍の防寒ジャケットを着て出かけようというのだから、楽しくないはずがない。
オーナーのYさんの運転で、しゃけ妻も積んで出かけたのでした。




ここで携帯の電池切れで、しゃけ妻の携帯カメラで撮りました。
Yさんが、逆に高級カメラでバシャバシャ撮ってくれました。撮ってる姿を写しました。






写真が電池切れであまりとれなかったのが残念ですが、Yさんの御好意で日が暮れてしまうまで市内の眺めの良いところを、沢山走ってからホテルまで送っていただきました。まるで気分はマッカーサーで、道行く人に沢山写真を撮られたり声をかけていただいたりで楽しくてたまらなかったです。Yさんも私がよろこぶのを見て嬉しそうでした。
しゃけ妻も楽しんでいましたが、恥ずかしいのと(人に注目されて)、寒いので複雑な笑みを浮かべてました。

なんだかドラマのような出会いで、こんな珍しい車で楽しい忘れられない思い出です。



Yさん、本当にありがとうございました。勇気をもらいました。
必ずW650に乗ってもう一度『はなや北川』にお礼に行きます。目標が出来ましたよ。




写真を見てくださってありがとうございます。
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奈良の旅 第一日

2011-03-11 01:35:18 | バイク ツーリング 携帯写真 風景


しゃけ妻と2泊もの旅行をするのは何年振りだろうか?
結婚25周年の北海道旅行以来だからもう8年も前なのだと思う。
思い切ってイタリアなども考えたが、ちょっと体力的に無理そうで奈良にした。
奈良は15歳の修学旅行以来だ。入院前でちょっと心を洗う旅がしたくなったのだと思う。




新幹線に乗るのは、20年ぶりぐらいだろうか?知らないうちに新幹線も平べったくなった。
N700系のぞみと言うらしい。オーストラリアのカモノハシの様な面構えだ。




恐る恐る、しゃけ妻に朝飯にカツサンドを食ってよいか許可をとってみた。
普段なかなか子の様な贅沢はゆるしてもらえないが、最近は寛大。ほっとした
そして、うまかった。




バイクで高速を走っていると1時間くらい誰にも抜かれないことが嬉しかったりする。
『この道路を現在最高速度で移動してるのはこの俺だ』等と直ぐ錯覚するのがバイク乗りの悪い癖。
新幹線はバイク乗りのプライド等あっという間で圧倒するスピードだ。
あっという間に名古屋を過ぎて京都に向かう。その途中の山です。名前?分かりません




日航ホテル・奈良は駅のとなりで、現代的で高級感があってホスピタリティーの良さは特筆できる。
もっとも、ホスピタリティーの良さは奈良の人の特徴かもしれない。
随分あちこちで、他人とは思えないもてなしを受けた。杖ついてヨタヨタしてたからかもね。

早めにチェックインして荷物のみ置いて東大寺に向かった。




東大寺は、東京的感覚で言うと市内の中心にあるのではと思える位置にある。
しかしながら、自然は豊かで鹿は普通な顔して歩いていたり、水の組める小川が門前に流れている。
自然と人の融和が、奈良の人々の心の豊かさを育くんでいるように感じた。




45年ぶりの東大寺。なんだか久し振りに母親に会いに行くような気分だ。
『大仏様、しゃけは20cm身長が伸び、結婚もして仕事も一応成功し、バイクも乗ってるんですよ』
子供が親に報告する時の気分だ・・・




この看板を見て、売上倍増のための看板ととらえては奈良の人の風情は伝わらないと思う。
この鯉・鹿兼用のせんべいは、両方に使えてお得だから買うのではない。
鯉と鹿が同じものを食べるのを見るのは、心が楽しくなるから買うのである。
鹿も鯉も喜んで食べるなら、しゃけにとっても美味しいかもね・・・




大仏様の居館が近付いてきた。好奇心より懐かしさ・到着感より帰着したという感じがした。
大変古い巨大な建物だが、板を縦に使って白くぬってあるのが何か新鮮な感じがした。
それにしても大きい。




『あ!おびんずる様!』と思わず叫んでしまった。
長野の善光寺でお会いした『おびんずる様』と同じお顔だ。おびんずるの意味は知らないが、
げっそり痩せているのは我々のさまざまの病気を引き受けて下さっているからだろうか・・・
年を取ったお地蔵様のようだ。お地蔵様は六道から我々を救い出してくれる大日如来の化身だ。
大日如来は時には閻魔様にも変化する。そう・・・救いも裁きも表裏一体なのだ・・・
私の知識が間違っていなければ、大仏である盧舎那仏は大日如来そのものである。
そうすると、おびんずる様は大仏様の別のお姿なのではと思う。
思わず手を合わせる




大仏様の瞳はまっすぐに、しゃけとしゃけ妻をまっすぐに見下ろして『大丈夫だよ』と語りかけて下さった。
涙が沢山出てきて止まらない・・・あのまなざしは忘れられない。しゃけ妻も泣いていた。
奈良に来てよかった。目的はこのことだったのだと気づいた。
我々は仏教徒だとあらためて思い知った。




時間も、しゃけの歩行能力も限られている。どこを回るかはすべてしゃけ妻にゆだねた。
この歳で、まるで娘に手をひかれて敢行してる本物の爺様の気分を味わってしまった。

東大寺では夜、お水とりの行事がこの時期行われるが、歩行の疲労度を考え断念。
三月堂の御本尊や脇侍の日光菩薩・月光菩薩の素晴らしさには声も出なかった。
本日は最後に興福寺で有名な阿修羅像や弥勅如来像を参拝した。
阿修羅像は15歳の時にみて本当に感動して以来。弥勅如来様は全てのものをお許しになる慈悲を感じた。




杖をつきながら、興福寺の52段の階段を下りると可愛い鹿の親子が居た。
小鹿はくつろいで笑っている。それを母鹿が見守っている感じだ。
良いタイミングで写真が撮れて良かった。




小鹿が眺めていたのはこの池でした。
ここでは古代衣装を着た美女が乗った舟が繰り出すお祭りや、燈明流しの様なお祭りも行われるようだ。




今日ほど心の洗われる日はなかったように思う。
旅を奈良にして本当によかった。

写真を見てくださってありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。


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