マスメディア各社がLGBT理解増進法案の文言変更を伴う修正案に言及し、当初の法案りも「後退」した旨の
報道を一斉に展開している。自民党保守派への配慮が働いたものだ、としている。マスメディアの論理が遺憾なく発揮された断案であり、決定に至る議論を伝えるものではなかった。
・修正前 差別は許されない
・修正後 不当な差別はあってはならない
「性自認」についても「性同一性」の文言に置き換えられた由。
法律用語のレベルではなく日常の言語生活のレベルで考えた場合、「不当な差別」の対義語として「正当な差別」と言えるのか、が問われることになる。答えは明瞭、「正当な差別」という言い方は日常語としてはあり得ない、といえる。
差別の不当性は許されない。差別の不当性はあってはならない。
「不当な差別」という言い方が「差別」を限定した印象を与えてしまう。が、「正当な差別」という言い方が形容矛盾、誤用といえるのだから、「不当な差別」とは「差別」の強調形ともいえる言い換えだったのではないか、と思える。しばらく考えてみようか。後考を俟つ。
報道を一斉に展開している。自民党保守派への配慮が働いたものだ、としている。マスメディアの論理が遺憾なく発揮された断案であり、決定に至る議論を伝えるものではなかった。
・修正前 差別は許されない
・修正後 不当な差別はあってはならない
「性自認」についても「性同一性」の文言に置き換えられた由。
法律用語のレベルではなく日常の言語生活のレベルで考えた場合、「不当な差別」の対義語として「正当な差別」と言えるのか、が問われることになる。答えは明瞭、「正当な差別」という言い方は日常語としてはあり得ない、といえる。
差別の不当性は許されない。差別の不当性はあってはならない。
「不当な差別」という言い方が「差別」を限定した印象を与えてしまう。が、「正当な差別」という言い方が形容矛盾、誤用といえるのだから、「不当な差別」とは「差別」の強調形ともいえる言い換えだったのではないか、と思える。しばらく考えてみようか。後考を俟つ。