(昨日の続き)さんざ飲んだくれて集会は終わりとなった。時間のある人は渋谷経由恵比寿までのデモに参加と言われたため酔い覚ましに歩いてみた。先頭の方は横断幕に鉢巻きゼッケン、シュプレヒコールと気合いが入っていたがそれ以後はずるずると引っ張られるように歩き信号調整をしている警察の誘導に従うだけ。街頭計の気温は30度であった。あまりにも暑いため歩いている途中で適当に自販機に茶を買いに行く人、コンビニにビールを買いに行く人と様々であった。
突然、隣を歩いていた見知らぬ60近そうなオヤジが声をかけてきた。
「俺の若い頃は警察は敵だったからこんな温和しいもんじゃなかったんだ...。毎週のようにあちこちに出向きお祭り騒ぎだったよ...。」
とどこか誇らしげに語っていた。どおりで気合いが入っているわけである。何となく系統は違うが、先日見た映画『パッチギ!』を思い出した。
以前、テレビ朝日のアナウンサーがこの映画を「懐かしくもあり、目をそらしがちな日本の一面である」と絶賛していた。また、番組では20代の若手の女性キャスターが「古臭さを感じさせない、すばらしい作品」とも語っていた。

井筒監督の映画は「みゆき」「のど自慢」「ゲロッパ!」位しか見たことがないが、どれもお世辞にもわざわざもう一度見たいとは思えず何故こんな作品を作るタレント監督が持て囃されるのかさっぱり理解できなかった。しかし、メディアは大絶賛。そんな疑問もあり、DVDを借りてきて見たのである。
見た感想、やっぱりなぜこの作品が騒がれるのか謎である。
単に井筒また、彼と同じような世代が自分たちの若い頃のことを思い出しそれをフィルムで残そうとしているとしか思えなかった。
BGMには諄い程フォーククルセイダーズの”イムジン河”が流れ、また見せ場となるシーンには必ず京都の鴨川が出てきた。主人公である日本人の高校生が朝鮮人の女性に想いを打ち明けるシーンでは、わざわざずぶ濡れになりながら川を渡ってくる。
朝鮮人居住区にいられなくなった主人公は川にギターを投げ捨てる。
この映画では川というものをイムジン河に喩えているという設定が単純明快で小学生でも考えつきそうな発想である。
最後に”イムジン河”をBGMに鴨川を挟んで集まった日本と朝鮮の学生達が殴り合うシーンは差詰め南北朝鮮の争いでも象徴したかったのだろうか、見ていてどうにもバカバカしささえ感じた。
「お前ら、日本のガキは、生駒トンネル、誰が掘ったか知ってるか!」
「国会議事堂の大理石、どっから持ってきて、誰が積み上げたか知ってるか!」
と朝鮮人役の男性が唸るシーンには思わず昨年行った黒部下ノ廊下や私の田舎の電力工事に強制的に連れて来られ働かされた朝鮮人労働者の話をを思い出した。これらはまた小学校の時授業でも教わった記憶がある。
私にはこの映画、どうにもあの井筒監督の世代があの世代の若い頃の事をあの世代が揃って思い出し、叫び自己完結しているだけの作品にしか取れなかった。
だいたい、登場人物の朝鮮人役が全て日本人の俳優ということが情けない。前田吟が朝鮮人役で出てきたときは流石にアホらしくなってしまった。
突然、隣を歩いていた見知らぬ60近そうなオヤジが声をかけてきた。
「俺の若い頃は警察は敵だったからこんな温和しいもんじゃなかったんだ...。毎週のようにあちこちに出向きお祭り騒ぎだったよ...。」
とどこか誇らしげに語っていた。どおりで気合いが入っているわけである。何となく系統は違うが、先日見た映画『パッチギ!』を思い出した。
以前、テレビ朝日のアナウンサーがこの映画を「懐かしくもあり、目をそらしがちな日本の一面である」と絶賛していた。また、番組では20代の若手の女性キャスターが「古臭さを感じさせない、すばらしい作品」とも語っていた。

井筒監督の映画は「みゆき」「のど自慢」「ゲロッパ!」位しか見たことがないが、どれもお世辞にもわざわざもう一度見たいとは思えず何故こんな作品を作るタレント監督が持て囃されるのかさっぱり理解できなかった。しかし、メディアは大絶賛。そんな疑問もあり、DVDを借りてきて見たのである。
見た感想、やっぱりなぜこの作品が騒がれるのか謎である。
単に井筒また、彼と同じような世代が自分たちの若い頃のことを思い出しそれをフィルムで残そうとしているとしか思えなかった。
BGMには諄い程フォーククルセイダーズの”イムジン河”が流れ、また見せ場となるシーンには必ず京都の鴨川が出てきた。主人公である日本人の高校生が朝鮮人の女性に想いを打ち明けるシーンでは、わざわざずぶ濡れになりながら川を渡ってくる。
朝鮮人居住区にいられなくなった主人公は川にギターを投げ捨てる。
この映画では川というものをイムジン河に喩えているという設定が単純明快で小学生でも考えつきそうな発想である。
最後に”イムジン河”をBGMに鴨川を挟んで集まった日本と朝鮮の学生達が殴り合うシーンは差詰め南北朝鮮の争いでも象徴したかったのだろうか、見ていてどうにもバカバカしささえ感じた。
「お前ら、日本のガキは、生駒トンネル、誰が掘ったか知ってるか!」
「国会議事堂の大理石、どっから持ってきて、誰が積み上げたか知ってるか!」
と朝鮮人役の男性が唸るシーンには思わず昨年行った黒部下ノ廊下や私の田舎の電力工事に強制的に連れて来られ働かされた朝鮮人労働者の話をを思い出した。これらはまた小学校の時授業でも教わった記憶がある。
私にはこの映画、どうにもあの井筒監督の世代があの世代の若い頃の事をあの世代が揃って思い出し、叫び自己完結しているだけの作品にしか取れなかった。
だいたい、登場人物の朝鮮人役が全て日本人の俳優ということが情けない。前田吟が朝鮮人役で出てきたときは流石にアホらしくなってしまった。