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Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

摺上川ダム

2006-11-11 22:36:57 | 
山歩きもしたし、芋煮も食って腹が一杯になった。時計はまだ12:40である。どこか温泉にでも行くかということになり、飯坂温泉の茂庭の湯という市営の公共浴場に行くことにした。しかし、そんな温泉は最後にいった8年ほど前には存在しなかったはずである。訊いてみたところ、摺上川ダム建設の際に造った温泉とのことだった。車で40分ほど走り到着。完成された摺上川ダムの真下にあり、ダムの姿は壮観であった。

このダム、40年近く前から構想があり、竣工を見たのは今年の春とのことであった。幼いころ父親に連れられ、未舗装のこの国道399号線を山形との県境となる鳩峰峠まで行った際、あちこちに『ダム建設反対!』の看板が掲げられていたのを見た記憶がある。1986年8月5日(後に8.5豪雨災害とよばれることになる)、このダムがなかったとき大水害に襲われ飯坂温泉はパニックに陥った。


【資料館にあった8.5豪雨災害の温泉街のパネル】

そんな多目的ダムが完成したというのでドライブがてら寄ってみた。周りは驚くほど野性のサルが多く、ダム横の土手ではうるさいほど「ギッーギッー」喚いていた。ダム湖を見て思ったが確かに昔はこのダムの底に道路や集落があった。


【夕暮れのダム湖】

ダムの横には無料の資料館があり、ダムの設備や建設前の様子が展示されていた。このダムの特徴は以前書いた黒部ダムや奥只見ダム等のコンクリート式のアーチ型や直下型ダムとは違い、先日ツーリングで行った奥利根の奈良俣ダムのように土や岩で作られるロックフィルダムということであった。

このダム建設計画、私が生まれる前より持ち上がり、40年以上かかってほぼ完成を見たわけである。それまでの間何度かこの場所を訪れているが、改めてこれだけのものを造ってしまう技術力に唸ってしまった。

※ 決してダムオ(ダムオタク)ではないので念のため...。

四季の里

2006-11-06 22:49:05 | 
3連休、久々に福島の実家へ帰ることにした。普通なら4時間程度で行けるのだが、東北道は故障車渋滞。6時間以上を要し、高速を下りたのは14:00だった。

わが家のちび共の保育園の友人の一家が今年の夏前に仕事で転居してきていたため市内で待ち合わせることにした。待ち合わせた場所へ行って驚いた。『四季の里』と呼ばれる吾妻山・安達太良山が望める115号線沿いの公園はきれいに整備され、売店や食堂等の施設も充実し、私のいた20年近く前とは大きく変わっていた。公園の入場料は無料で駐車場は満車状態だった。

中学の頃この公園の奥にある、『水林自然林』という場所でキャンプをしたが、当時はろくに整備もされず、管理人もいるのかいないのかわからないような場所であった。当時の風潮としては「公園なんか造ってもなんの足しにもならねぇ。それより道路を造れ!」という物だったと聞くから時代も変わった物である。


【水林自然林の様子。上写真左上が吾妻小富士】

暫く子供達を適当に遊ばせておいても気は楽だった。この公園は都会の公園とは違い、車は当然の事ながら自転車も入って来なかった。

※ 公園自体が都会のように人口密集地にあるわけではないので貸し自転車はあるものの買い物帰りに近道のため自転車で通りかかる人が全くいない。

荒川を挟んだ対岸にはプロ野球も開催される県営吾妻球場や陸上競技場があるあづま総合運動公園もある。夏に行った、山梨北杜市の自然公園のように地方公共事業に感心させられるばかりであった。

尻焼温泉・野反湖

2006-11-02 23:58:28 | 
朝飯を食っていると民宿の女将が隣の席の人達に説明しているのが耳に入った。「尻焼温泉は春の時期は雪解けで水が多く、夏は水が減って熱い。冬は入れたもんじゃないから今頃が丁度良いですよ。奥の方は背が低い人だと足が着かないけど泳ぐつもりなら良いところですよ...。」

実はこの温泉、今回立ち寄ろうと思っていたところである。草津から延々と国道292号線を下り、405号線経由で尻焼温泉に向かった。この温泉、以前紹介した霧島の山城(やまんじょ)温泉のように川床から温泉が湧き上がっているというところである。当然のように無料・混浴である。駐車場に着くとちび共と嫁は熟睡していたため、一人で露天へ向かった。数人の男女が入浴していた。入浴しようと川へ入ってみるととにかく岩が滑りやすく非常に歩きにくかった。湯温は低めであったが、川のあちこちから湯が湧いているようで、小さな泡が出ている箇所は温かかった。対岸の方は確かに深い場所もあり、泳ぐのを目的とすればこの時期でも楽しめる場所である。


【上が尻焼温泉・下がそこの近辺からの草津白根山】

その後、開かずの国道となっている405号線を北上する。この国道開通すれば苗場山の西側の登山口秋山郷へ抜けるルートとなる。行き止まりの野反湖は東に群馬・新潟・長野の県境となる白砂山・その北に佐武流山・西に大高山といういずれも2,000m級の200名山に囲まれた湖である。あまり訪れる人はいないらしく、まさに高所の秘湖といったところであった。売店のおじさん曰く、草津温泉のついでによる観光客が殆どらしく、稀に登山客がいる程度でその数は全体の2割にも満たないらしい。雪が多いため今月半ばで店じまいになるそうだ。その後はゲートも閉ざされるため春までは人は入って来れないとのことであった。


【野反湖の様相】


標高は1,500m程あるらしく、高山植物の宝庫だそうだ。時期的に花はないが色づいた紅葉がきれいであった。

草津白根山・温泉

2006-11-01 23:06:38 | 
草津白根山。この山は活火山のため今日現在どうやっても、頂上には立てない。山自体が活火山のため一般人が立ち入り出来る領域が限られている。そのため二つのピークとなる白根山並びに本白根山のそれぞれの頂上は入山禁止なのだ。

ではどうすればこの山を制覇したことになるのか。雑誌等で見る限りでは白根山の湯釜を展望する標柱、あるいは本白根山の遊歩道の最高所を踏むことを制覇に置き換える人が多いということらしい。

どっちに登るか迷ったのでレストハウス売店のおばさんに訊いてみると。
「どっちでもいいんだよ。どっちも草津白根山なんだから」
というあっさりしたモノであった。おばさん曰く、本白根山最高点まで行って三角点まで無理に入っていく人が後を絶たないらしく非常に迷惑しているそうだ。また白根山の湯釜の柵を越えて最高点を目指す人もいるらしい。

命をかけて有毒ガスと闘い山を制覇しようと言うつもりは私にはさらさらない。第一、山ごときに命を張ろうという気さえない。そこで今回は頑張ればわが家のちび共でも登れる白根山の湯釜の標柱へ行くことにした。観光客の大行列になってはいたがちび共のペースに合わせ15分程で湯釜制覇。エメラルドグリーンの湯が沸く火口は6年ほど前に嫁とツーリングで行った阿蘇山の火口と同じ色だった。



下山後、寒がりの嫁はこれまた一体何処で採れたモノか良くわからないキノコ汁を嫁が啜っていた。

宿のチェックインには若干時間があったので草津の街をぶらついた。
『お医者様でも草津の湯でも恋の病は治しゃせぬ』
と言うほど様々な効能があると言われる『草津温泉』。今まで通り過ぎることはあっても泊まったことはなかった。国道自体が草津の中心部の外側を走っているため、街に下りて観光をしたことはなかったのである。中心部となる湯畑のあるロータリーまでの通りでは、名物の温泉饅頭が無料で観光客にばらまくようにガンガン配られていた。湯畑は湧き出た温泉が樋を流れ一見の価値があった。またこの辺りは無料の公衆浴場が多く、浴衣姿でぶらつく人も多く見受けられた。残念ながら名物の湯揉みは時間が決められていて見ることが出来なかった。



宿にチェックイン後、湯に入ってみたが、強い酸性のため目にしみ、体を洗った際強く擦った耳の裏等に痛みを感じるほどであった。

ドライブ

2006-10-30 17:06:00 | 
28日(土)の天気は晴れ予報。金曜の晩、ネット検索の末、草津の格安の宿を予約。思いつきで出かけることにする。

晴れ渡った土曜日、ナビを草津白根山の駐車場にセットし出発。関越・上信越道を乗り継ぎ何故か碓氷・軽井沢インターに導かれ、軽井沢方面へ抜ける。車の数も少なく快適であった。

思いがけなく軽井沢のメインストリートを車で流すが、なんともやるせない気分になっていた。立ち並ぶ高級店街、混雑する人々。なんで地方に来てこのような景色を見なければならないのだ...。

その後、旧軽井沢の別荘地帯を抜ける。紅葉も見頃で車も少なくて気持ちが良かった。なるほど高級リゾート地である。白糸ハイランドウェイ・鬼押ハイウェイ・万座ハイウェイの有料道路を乗り継ぎ、群馬県嬬恋村に入る。持参した昼飯をレストハウスのテラスでとっていると目の前に目の前の高見に四阿山(あずまやさん)が見え、それに続く山々が雄大であった。


【中央雲の切れ間に山頂を覗かせる四阿山】

周りではレストハウスで売られているソフトクリームや牛乳というお約束の代物を口にしている人達ばかりであった。牛乳がジョッキで提供されているのには驚いた。10月末にしては寒さはなく一様に紅葉が見頃でノンビリした気分でのドライブとなった。

『鉄道マニヤ必見』の店

2006-10-24 23:05:17 | 
下山後、家路につく。19:00までには家へ戻らなくてはならなかった。

とは言ってもそこそこ時間はある。温泉に入ろうとも考えたがバイクのため湯冷めをすると馬鹿馬鹿しい。ゆびそ温泉を過ぎるとき足湯を見つけた。代金は寸志を備え付けの箱に入れるだけのようなので賽銭を入れ、脚を浸けた。ぬるめではあったが疲れた脚には気持ちが良かった。落ち着くと腹も減っている事に気づいた。



水上の街を抜け、関越道方面に進むと妙にうるさい外見の古道具屋があった。スピードを緩め見てみると『水上新名所若旅資料本館古民具五千点(鉄道マニヤ必見)』と書かれていた。入館300円と強気の表示である。きっと店主の趣味が転じて、自称鉄道資料館を名乗る類のモノかと思い立ち去ろうとすると食事処の文字が目に入った。あまり味は期待出来ないだろうが話のネタに入ってみた。

予想通り駅の案内板や列車の行先表示板、その他使い道の良くわからない機械類がびっしりと飾られていた。店内には3名しか客がいなく静かなものだった。食券制だったため購入するとおばさんが言った、
「(調理場の)人数が少ないため10分ほどかかるから隣の資料館を見てきて下さい。食事をしてくれた方は無料ですから...。」
特に興味もなかったが併設された資料館という名のカビ臭い納屋を覗いてみる。鉄道の知識はほとんどない私には良くわからない代物が所狭しと並んでいた。2階もあるようだが、何となく登ったら壊れそうな古い階段だったためやめにした。


【食事処と資料館内部・右左上中央に何故か『機関車トーマス』が置かれていた】

テーブルに戻っても食事は出来ていなかった。座って茶を飲んでいると目の前の柱に飾られた2Lサイズの古い写真を見て笑ってしまった。『美人モデルと熊』という明らかに店主が書いたと思われる筆字のタイトルを付けられたその写真は近所の宝川温泉で撮影したモノらしく、何故か露天の湯船にツキノワグマが正面を向いて浸かり、その背後にくっつくようにして上半身を露わにした女性が立っているという摩訶不思議な代物だった。更にその横にはLサイズの紙切り職人の写真が展示されていた。タイトルは『紙切り遊び人、中村知子』であった。隣には額に飾られた中村知子が作ったと思われる紙細工が展示されていた。このような写真、稀に見ることがあるが一体何を訴えたいモノなのか...。まったくもって意味不明である。またこれを飾ろうと考える店のスタッフのセンスには頭が下がる思いである。

そんなモノを眺めていると店主と思われるオジさんがラーメンを運んできてくれた。オジさんは駅員さんが被る帽子を身につけていた。声をかけて色々訊こうと思ったが忙しそうだったためやめた。

なんとも不思議な店であった。

奥利根・赤城ツーリング

2006-10-14 23:23:49 | 
土合の駅を出て水上方面へ向かう途中、宝台樹方面へ行ってみることにした。以前スキーで行ったことはあったがその向こうに奥利根のダムがあると聞いていた。2週間前の巻機山からも見えたダム湖である。生憎とツーリングの予定では無かったため地図は持ち合わせていなかったが記憶が正しければ尾瀬の登山口となる鳩待峠へ抜ける道があったはずである。程なく鳩待峠とならまた湖の案内が出ていた。湖の展望台からは至仏山に続く尾瀬の稜線沿いに笠ヶ岳が紅葉に色づいていた。どうやら悪いのは谷川岳のみのようだった。


【上が至仏山・尾瀬の稜線を渡り右端が笠ヶ岳。下画像が照葉峡付近の林道】

その先の照葉峡から坤六峠(こんろくとうげ) へと続く林道は丁度紅葉が丁度見頃で走っていて寒くもなく、気持ちがよかった。峠から下り、鳩待峠入り口の丁字路に差しかかるとそこにいたオッサン二人が尾瀬はマイカー規制のため入れないから諦めてくれと言った。
途中、尾瀬戸倉スキー場に寄り至仏山・燧ケ岳のバッジを探し購入。学生の頃登ったがバッジを購入していない山であった。

時間もまだ3時だったため赤城山に寄り道をする。6月の皇海山の帰り深緑の時期に行ったのであるが、今回は紅葉。同じ風景でも全く違う色の山の様相が面白かった。


【上は赤城湖畔・中は群れ飛ぶ羽虫で遊んでみました。背景が良い景色なら良かったのですが..。下は赤城山麓からの榛名山右奥が苗場山】


JR土合駅

2006-10-13 23:45:16 | 
快晴であった。今日は取りきれなかった夏休みである。山の予報を見ても晴れ。バイクを引っ張り出して関越を走らす。水上インターを下りて谷川岳を見て唖然とする。山頂部分は雲に覆われていた。これでは途中の紅葉を楽しむことは出来ても頂上からの展望は一切望めない。ロープウェイ乗り場の係の人に様相を訊くと頂上のモニター画面は曇っているため期待できないとの話。携帯で予報をチェックすると15時過ぎからは曇りであった。これでは回復の見込みが無い。谷川岳を望める白毛門山にでも登ろうかとも思ったが肝心の谷川岳が曇っていては意味がない。とはいっても秋晴れの快晴。諦めツーリングに切り替えることにした。

ロープウェイ乗り場から暫く下ると谷川岳の登山の駅となるJR上越線土合駅があった。駅前はただの砂利の広場である。よく見ると何故か『日本一のもぐら駅』と書かれていた。バイクを止め駅にはいると無人駅のようであったが掃除のおじさんがいた。私を認めると近寄ってきてこういった。
「初めてですか?ここはもぐらの駅と言って下りの乗り場ホームまで延々と462段の階段を10分程かけて下りるんですよ。」
驚いているとこう続けた。
「よかったら改札入って左に150m進むと階段の様子が見れますから...。」
と改札の中に案内してくれた。訊けば入場券もいらないらしい(基本的に無人駅のため購入できない)。

左に暫く進むと先ほど走ってきた道路の上をわたる通路になっていた。足元を見て飛び退いた。何と蛇がうろついていたのだ。そこを超えると通路は下方に階段となって延びていた。下からは保線作業の人が階段を登ってきてこういった。
「10分位だから下りてみれば...。ちょっとしたネタになるよ。」
ここまで来て下りてみない手はない。



基本的に階段は5段下って踊り場になり更に5段下って踊り場の繰り返しだった。左側にはU字溝、右側は崩れたコンクリートの斜面となっていてそれを水が川のように流れ、せせらぎとなっていた。

10分程下ると直角に線路が延びていて灯りが等間隔にあるのみであり、せせらぎ以外は全く音が聞こえなかった。カビ臭いホームをぶらつくと待合室とトイレがあるのみであった。昔、訪れたJR奥羽線の峠駅を思い出した。残念ながら電車の本数自体が極端に少ないため発着の様子は見れなかった。暫くホームを行ったり来たりしていると観光の名所らしく、数人の人たちが下りてきた。皆一様にこの様相を楽しんでいた。谷川岳に行ったらお薦めしたい場所である。



地上への462段はこれでも軟弱山ノボラーの意地で一気に登っては見たが、改札を出ると汗が噴き出し、休憩となった。

多摩動物公園

2006-09-27 23:37:52 | 
幼い頃から、ライオン・ゾウ・キリンというような動物は当然のように知っていた。それは童謡や絵本から知った物であると思う。ところが実際にこれらの動物を見たのは私が10歳のとき初めて東京に遊びに来た際の上野動物園でのことであったと思う。当時ジャイアントパンダが目玉だったがあまり感動はなく、むしろキリンを見た際、実物のでかさに驚き、またゾウを見たときはその大便を目にして大きさにぶったまげたものである。

以後、動物園というものには何度か行ったことがあるのだが、あまり記憶にはない。また自分から行ってみようと思ったこともなく、この多摩動物公園も初めてである。この公園、多摩丘陵に造られただけあって丘の斜面を利用しているため上り下りが結構激しい。目玉はコアラらしいが、大昔、オーストラリアに行った際、この動物は夜行性のため昼に見てもつまらないと説明された記憶がある。やはり人の流れはそちらの方へ流れていたが、今のところ我が家のチビどもはゾウやキリン程度のアフリカ系の動物しか知らない。そのため坂を上りアフリカエリアに向かう。回りは子連ればかりである意味異様な光景であった。キリンのエリアへ行ってふと思った。小さい頃から知っていたため珍しくもないが、これが物心着いてから知った生き物であったならこの足の長さと首の長さにかなり驚いたのではないか...。



中学のときに流行ったエリマキトカゲの様な衝撃を受けたかも知れない。

フリーパスの使用だったため200円程度の入園料となる。アフリカエリアだけでもかなり歩いたためちび共はくたびれた様子であったためまた来ることにしてそのまま園を出た。

多摩都市モノレール

2006-09-26 23:55:03 | 
24日の日曜日、最高の天気だった。特に行く場所も思いつかないでいるとちび共が電車に乗りたがっていた。折角なので嫁もまだ乗ったことがないこの多摩モノレールに乗ることにした。家から車で10分ほどの始発となる上北台駅近くの駐車場に車を止め駅に入る。終着駅となる多摩センターまで往復すると800円。何処へ行こうか考えていると1000円で路線全駅乗り降り自由+多摩動物公園入場フリーパスなる物を見つけた。これを購入し動物園に行ってみることにした。



多摩地区を南北に走るこの路線はモノレールという性質上、基本的に高架橋である。当然のようにコンクリートの単一の太い軌道の上を走るわけだが、車両自体が展望を意識して造っているため先頭に座るとジェットコースター的な眺めとなって気持ちが良い。また見晴らしを遮る物は殆ど無く、西側には奥多摩の峰々、更に富士山、東側には広がる街並みの遙か向こうに新宿副都心の高層ビル街が見えた。程なく立川を過ぎ、多摩川を越える。この辺りから多摩丘陵への上り坂が始まり速度は遅くなった。眺望が良くゆっくり走るため全く退屈せずに目的の『多摩動物公園』まで乗ることが出来た。

このモノレール、バブル期の遺産であり、現在経営は赤字だという。構想では多摩地域を全93kmにわたり8の字を描くように路線ができあがるそうであるが現在開通している上北台~多摩センターの16km以外の延長は全く予定が立たない状況らしい。とはいうものの晴れた日にノンビリ高みから多摩地区を見下ろしながら走る気分は楽しい物であった。一度はお薦めしたい路線である。

日高巾着田

2006-09-23 23:34:22 | 
曇り予報のはずなのに何故か朝は日が差している。何処へ出かけるか考えるも良い場所が浮かばない。
彼岸の今日、曼珠沙華が思い浮かぶ。ふと埼玉の日高に曼珠沙華の群生地があったことを思い出し、行ってみた。



車で30分程で到着した巾着田と呼ばれるその場所は高麗川の蛇行により自然に出来た巾着形の土地で曼珠沙華の群生地であった。

しかしイメージしていた以上に人が多く、出店もあり観光バスが乗り入れる程の場所で完璧にごった返していた。それでも秋の日差しは心地良く、河原で昼食をとるには良い陽気であった。

200円を支払い入場。人でごった返していたが、これだけの曼珠沙華の群生は見たことがなく、ブラブラしていて楽しかった。



その後、有料エリアを出ると、秋を思わせるコスモス畑が広がっていた。こちらは人が少なかったためノンビリ出来た。


彼岸の中日。やはり秋の始まりが実感できた。

※ 何とも地味な休日となってしまった。

小菅の湯

2006-09-18 22:07:16 | 
18日(土)、台風の影響の雨予報も一転して曇り。朝食後嫁にどこか行きたいところを訊くと、日帰り温泉入浴とのリクエストがあった。どうも先日の南アルプスの余韻があるらしい。

思い浮かんだのは山梨・塩山の大菩薩の湯。とりあえず、奥多摩方面を目指すことにして出発。途中奥多摩の駅を抜けたのが10:30、これでは塩山は遠い。この先の小菅村に温泉が出来たことを思い出す。14年前学生のとき小菅で合宿をやった頃はなかった温泉である。

余談だがこの合宿でペーパードライバーの私は運転を余儀なくされ、嫌々大学のある埼玉から小菅までワンボックスマニュアル車を運転していった。これで一気に車に慣れたのである。

温泉に着いてみると、昼時と言うこともあってか土曜にもかかわらず思いの外駐車場はガラガラであった。600円払い、入浴。施設自体はそれ程大きくはないが高アルカリ性の湯はぬるめで気持ちが良かった。

【小菅の湯の露天・何故かドラえもんの石像が(女湯はピカチュウらしい)・右は岩魚の刺身】

その後、施設で食事。岩魚の刺身が癖がなく美味かった。嫁は釜飯を頼んだが、食いきれない程の量だった。

施設前で山女の塩焼きを囓りながら考える。まだ帰るには時間が早い。昔、行った白糸の滝に行ってみることにする。ところが、14年経っているにもかかわらずそこまでの道は相変わらず狭いダートの林道であった。久々に4駆モードで走った。

10分程でゲートが下りている場所に到着。大菩薩嶺の東側からの登山道となるためか曇天模様にもかかわらず車が10台程止まっていた。車から降りゲートをくぐる。何故かこのあたりは舗装路になっていた。3分程道沿いに進み、表示板を見付け右手の沢沿いの道を入る。幼児の足では難しいかと心配したが、それ程危険な場所もなく、5分程の山道歩きで白糸の滝まで辿り着いた。



思いがけない登山道歩きでチビどもは大喜びであり、また7月に見た屋久島の大川の滝以来に大興奮だった。

渋滞

2006-08-09 18:36:27 | 
東京に住み始めて思ったことであるが、渋滞が物凄い。これは私が育ったような地方都市の朝夕の比ではなく、一旦混み出すとどのくらいの時間がかかるのか全く予想付かずである。しかし、そんな渋滞にもいつの間にか慣れてしまい、それほど苦にならないのは一つの大きなメリットである。実際、実家の者共が上京した際はこの渋滞になれていないため、たった1km程のものでも必ず苛つくのには笑ってしまう。とは言っても可能な限り早く帰りたいと思うのも人情。やはり無駄とは分かっていても抜け道を探してしまう。

毎度のことであるが、北多摩の自宅へ戻る際、中央道・東名道は相変わらず渋滞が物凄い。常磐・東北・関越は混雑した場合でも関東平野。それぞれに下りて抜け道を探せる。ところが、中央道は北側が奥多摩山塊・南側は丹沢山系、さらにその南側を走る東名道は太平洋に挟まれている。このように極端に狭いエリアの通過を迫られるため、抜け道が得られない。圏央道や外郭環状道の延長はあるようだが、開通は一体何年先なのか...。

帰り道、中央道須玉インターまでは別荘から12分程度なのであるが、入る前に給油することにする。前日来た青梅街道・奥多摩経由・大菩薩ラインの道すがら、韮崎近辺は東京よりもガソリンが10円程安かったためである。甲府市内なら安かろうと思って入ってみると韮崎より値上がりして東京並みであった。そのまま勝沼まで進み、ようやく安いスタンドを見つけて給油。ところが中央高速は所々で渋滞が始まっていた。併走する甲州街道はまだ流れていたためそのまま様子を見ながら走ることにする。

※ 往路の柳沢峠越えの奥多摩ルートは帰りの渋滞にはまると悲惨である。

関越や東北道は渋滞しても抜け道が多くあるのだが、東名・中央はその点は最悪である。上野原まで進むと甲州街道自体が混み始めた。これでは帰宅する時間が大幅に遅れてしまう。大人だけなら別に構わないが、子連れだと何かと厄介である。そんなことを考えていると道標に『あきる野』の文字が目に入った。早速頭の中でルートを考えた。走ったことはないが、奥多摩の山塊を抜けるルートに違いない。かなりアップダウンがきついはずだが、この辺りの道は良く整備されているはずである。即座にハンドルを切った。どんなに条件が悪くても甲州街道より遅くなることは無いであろう。


【赤線が甲州街道・黄線が抜け道】

予想は正解だった。所々狭い箇所はあるものの支障を来す程狭い道幅は無く、1時間かからずに東京都の檜原村まで到達出来た。昨年の東名道からの抜け道に続き10年以上、模索していた山梨方面からの抜け道が見つかったのかも知れない。

白州・尾白の森名水公園べるが

2006-08-08 21:38:28 | 
日曜も快晴である。ゆっくりした朝食の後、遊びに行こうとするが、どうも良い場所が思い浮かばない。いつもなら、この辺りの川へ行ってざぶざぶと水に浸かりまったりしたり、渓谷沿いのハイキングコースを展望目的で歩いたりするのだが、足下が覚束ないちび共には危険である。昨日買い出しした際、道の駅で手に入れた観光マップを広げる。白州に尾白の森名水公園なるものを見つけた。

子供を遊ばせるには無難であろうと思い行ってみることにした。カーナビに導かれ途中の道はとても気持ちが良かった、南アルプスに向かって一直線に進み道。まるで北海道大雪のトムラウシへ向かう直線のようで嫁も大喜びであった。こんな道をバイクで走ったら最高である。

到着した名水公園は車が非常に多く入園料が大人一人200円程取られることが分かった。躊躇ったが、子連れで他に行く場所もないため入園。中は広大な敷地にオートキャンプ場、露天風呂、マスつかみ取り池、大型キャビン等、コテコテの施設であった。流石に困っているとパンフレットを見ていた嫁が噴水のある広場を見つけた。行ってみると浅い広い噴水があるところで自由に水遊びが出来るようになっていた。早速ちび共を着替えさせ、水浴びをさせる。



屋久島の海や川のときと違って大はしゃぎであった。我々は半ズボンでの足濡らしではあるが非常に気持ちが良かった。暫く遊んだ後適当に撤退する。寒い季節には温泉にでも入りに来れば楽しい場所であろう。

その後、真原の「さくら」という蕎麦屋で勧められた「そばの芽そば」を試す。サラダを食っているような食感であったがべらぼうに旨かった。



この後、サントリーの白州蒸溜所へ行って、南アルプスの天然水とウイスキー工場を見学したかったがそこそこ良い時間になってきっため次回以降に持ち越しとし、荷物を取りに別荘に戻ることにした。

マネキン4 MannequinⅣ

2006-08-02 22:16:51 | 
鹿児島空港前で手配していたレンタカーを受け取る。その日の宿は霧島に予約してあった。この霧島は九州ツーリングや屋久島への旅の際に今まで何度か遊んだ場所である。霧島山の主峰韓国(からくに)岳に登ったこともあったし、豪快な山城温泉で寛いだこともあった。

宿までの途中の風景を眺めていた助手席の嫁が突然奇声を発し、笑い出した。なんと前方には田舎によく見る交通安全のマネキンが2体立っていた。近づいてみると男装の方はなんとも哀れな様相であり、女装の方はよく見ると男性顔であるが『交通安全母の会』というタスキを掛けていた。



折角なので写真を撮る。その後道路の反対側にある商店で飲み物を買おうと自販機に近づくとその横に部活帰りの中学男の集団が屯していた。折角なのでマネキンについて聞いてみるとガキどもの中の母親の一人がこの制作に携わったらしい。その母親がボランティアで所属するこの町の『交通安全母の会』の方々が集まって作ったとのことだった。冗談半分で名前があるのかどうか聞いてみたところ、爆笑してしまった。基本的には両方とも名前は付いていないらしいが女性のマネキンをガキ共が『アネハ1号』と呼んでいるらしい。

※ 偽装マンション設計の中心人物に見えるかどうかは甚だ疑問であるが...。

このようなマネキン、不思議なことに全国の農村地帯の対面2車線の田舎道によく見かけるが言い得て不気味である。以前、紀伊半島を旅した際、泊まる場所になかなか辿り着かず、日が暮れてしまったとき、行く先のカーブに人影が見えた。近寄ってそれがマネキンと分かった際はかなりびびってしまった反面笑いがこみ上げたことが思い出された。このようなものは本当に交通安全に役立っているのだろうか?