山歩きもしたし、芋煮も食って腹が一杯になった。時計はまだ12:40である。どこか温泉にでも行くかということになり、飯坂温泉の茂庭の湯という市営の公共浴場に行くことにした。しかし、そんな温泉は最後にいった8年ほど前には存在しなかったはずである。訊いてみたところ、摺上川ダム建設の際に造った温泉とのことだった。車で40分ほど走り到着。完成された摺上川ダムの真下にあり、ダムの姿は壮観であった。
このダム、40年近く前から構想があり、竣工を見たのは今年の春とのことであった。幼いころ父親に連れられ、未舗装のこの国道399号線を山形との県境となる鳩峰峠まで行った際、あちこちに『ダム建設反対!』の看板が掲げられていたのを見た記憶がある。1986年8月5日(後に8.5豪雨災害とよばれることになる)、このダムがなかったとき大水害に襲われ飯坂温泉はパニックに陥った。

【資料館にあった8.5豪雨災害の温泉街のパネル】
そんな多目的ダムが完成したというのでドライブがてら寄ってみた。周りは驚くほど野性のサルが多く、ダム横の土手ではうるさいほど「ギッーギッー」喚いていた。ダム湖を見て思ったが確かに昔はこのダムの底に道路や集落があった。

【夕暮れのダム湖】
ダムの横には無料の資料館があり、ダムの設備や建設前の様子が展示されていた。このダムの特徴は以前書いた黒部ダムや奥只見ダム等のコンクリート式のアーチ型や直下型ダムとは違い、先日ツーリングで行った奥利根の奈良俣ダムのように土や岩で作られるロックフィルダムということであった。
このダム建設計画、私が生まれる前より持ち上がり、40年以上かかってほぼ完成を見たわけである。それまでの間何度かこの場所を訪れているが、改めてこれだけのものを造ってしまう技術力に唸ってしまった。
※ 決してダムオ(ダムオタク)ではないので念のため...。
このダム、40年近く前から構想があり、竣工を見たのは今年の春とのことであった。幼いころ父親に連れられ、未舗装のこの国道399号線を山形との県境となる鳩峰峠まで行った際、あちこちに『ダム建設反対!』の看板が掲げられていたのを見た記憶がある。1986年8月5日(後に8.5豪雨災害とよばれることになる)、このダムがなかったとき大水害に襲われ飯坂温泉はパニックに陥った。

【資料館にあった8.5豪雨災害の温泉街のパネル】
そんな多目的ダムが完成したというのでドライブがてら寄ってみた。周りは驚くほど野性のサルが多く、ダム横の土手ではうるさいほど「ギッーギッー」喚いていた。ダム湖を見て思ったが確かに昔はこのダムの底に道路や集落があった。

【夕暮れのダム湖】
ダムの横には無料の資料館があり、ダムの設備や建設前の様子が展示されていた。このダムの特徴は以前書いた黒部ダムや奥只見ダム等のコンクリート式のアーチ型や直下型ダムとは違い、先日ツーリングで行った奥利根の奈良俣ダムのように土や岩で作られるロックフィルダムということであった。
このダム建設計画、私が生まれる前より持ち上がり、40年以上かかってほぼ完成を見たわけである。それまでの間何度かこの場所を訪れているが、改めてこれだけのものを造ってしまう技術力に唸ってしまった。
※ 決してダムオ(ダムオタク)ではないので念のため...。