goo blog サービス終了のお知らせ 

Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

小菅の湯Ⅱ

2008-01-14 18:50:07 | 
3連休二日目、特にすることもない。とはいえ快晴である。この時期らしく雪道を走りたくなった。一番手っ取り早い場所を考えると奥多摩である。昨日の雨でそれなりに高所は雪で道も凍結しているだろう...。ただ、雪だけでは寒いだけなので温泉でも行こうと言うことになる。

12月中旬には既にエクストレイルのタイヤはスタッドレスに代えてある。久々に奥多摩、山梨側の『小菅の湯』へ行くことにした。

家を出て街道をひた走る。3年前の正月に雲取山へ日帰りをかけたときは青梅より向こうの多摩川縁の道には雪が残っていた。そして奥多摩駅より先は所々凍結しいてた。4年前の1月に行ったときは小菅村には氷瀑が出来ていた。

...にもかかわず奥多摩の駅を過ぎても気温が3度という低温は示すモノの凍結はおろか雪さえない。これはその後標高を上げても続き小菅村まで行っても雪はなかった。


【小菅の湯にて・雪が全くない】

とはいえ、寒い気温の中ではいる露天風呂は空いてることもありゆったりと出来、チビどもも大喜びであった。

入浴後は座敷でノンアルコールビールを飲みまったりと食事を取ってきたのであった。日帰りとはいえ温泉に入ってのんびりと飯を食う。これだけでかなりゆっくした気分になれるのは嬉しいことである。

旅の思い出

2007-11-12 23:56:22 | 
昨日の夕飯は鍋であった。風呂から上がるとコンロで料理していた嫁は言った。
「カセットガスのボンベが無いんだけど...。」

このまま煮込んだモノをテーブルに移せばそれまでだが、やはり煮込みながら食いたい。コンビニにボンベを買いに行くことにする。

しかし、風呂上がり、外は寒い。上に羽織るモノが必要なので二階のクローゼットにそれを取りに行く。何気なく袖を通し家を出た際、ポケットに手を突っ込むと中に紙切れが入っていた。取り出してみると何と、リニューアル販売となったアサヒ十六茶のチラシであった。一体いつこんなモノを何処で貰ったのか考えてみると意外な場所を思いついた。今年の春に訪れた島根の松江駅前である。

出張に無理矢理こじつけ大山に登ろうと考え松江を訪れた際、駅前で配っていた試飲缶と一緒に貰ったモノであった。更に反対のポケットを探ると『ガチャピンの部活フィギア』と称するモノが出てきた。これは記憶が正しければ高梁で飲んだビールの酔いを覚まそうと、倉敷をうろついたときに買った飲み物に付いていたモノだろう。『レモンを搾ったMITSUYA CIDER』と書かれているのでそんなモノを飲みながら倉敷の美観地区をうろついたらしい。

そして、もう一枚出てきたモノは”Bar NOB”と書かれたチラシであった。岡山市平和町と書かれている所在から察するに、出張の際世話になった大学時代の友人と飲み屋を探しているときに受け取ったものであろう...。



帰京後、桜が開花する程の暖かさになっていたためそのままクリーニングに出すことを忘れクローゼットにしまっていたようであった。

家に帰りその頃のブログを探すもこの上着を身につけている写真は見つからなかった。しかし、大山登山の際お世話になったYetiさんのブログを見るとこの上着を羽織った私の写真が見つかった。

...ともあれ、このような紙くずから旅の記憶が蘇ったことは嬉しいことであった。

こんな事を鍋をつつきながら嫁に話すと、季節の変わり目にはクリーニングに出すようにとの注文が付いた...。

富士山北限 アイヌ語南限

2007-10-30 21:19:48 | 
27日(土)寿命42時間の突発的に湧き上がった台風20号により東北道は非常に見通しが悪かった。平均100km/h程度で車を走らせ、4時間程度で高速を降りた。

実家でのその夜は暴風雨であったが、翌朝はまさに台風一過。午前中は若干強めの秋風があったものの天気は最高であった。丁度昨年のように裏山で芋煮会を行うと言うことであったため連れだって出かけた。千貫森(463m)と呼ばれるこの山は阿武隈山地の一角にある円錐形の山であるが、中腹まで車で上ることが出来、展望は北は蔵王から吾妻・安達太良更に那須岳・阿武隈の山並みまでも展望が出来る山である。この山の属する地域から青木富士という俗称もある。その山に子連れで登ることにした。


【千貫森遠景・画像提供MIXPINK.COM

私が実家にいた頃とは違って遊歩道が整備され、大人の脚でも15分程度で登ることが出来る。ちび共は従姉・伯父に連れられ整備された歩道を登っていった。

頂上は我々の貸し切りで展望は流石に台風一過だけのことはあり先に記した山々が一望出来た。ちび共は展望台の下から落ちた松葉を運んできて展望台から落とす遊びに夢中であった。


【頂上からの吾妻連邦】

暫くすると4人の親子連れが登ってきた。入れ違いで下山を始めようとすると父親と思われる人物が言った。
「うおー!!富士山が見えるぞ~!!」
この言葉にその家族はかなり盛り上がっていた。しかし、この山からは富士山は見えない。見えるとすれば吾妻小富士(吾妻山の一角)のみ。水を差すようだが、
「富士山はここからは見えませんよ...。」
というと、
「この山から富士山が見えると聞きましたよ...。」
との返事があった。
展望台の表示板を指さし、富士山が確認出来ている山はここより南の日山(1,057m)の山である旨を説明すると妙に納得していた。

※ 計算上の北限は隣の川俣町の花塚山との説もある。

ちなみにこの山の麓にあるタツゴヤマという集落、どうもアイヌ語の「タッコプ」という乳房のような形の山を表現した言葉ががなまったモノで、アイヌ語の南限らしいという説もある。

西武(グッドウィル)ドーム

2007-10-15 21:47:27 | 
14日(日)は一日子守であった。曇天ではあったがいつものように裏山に散歩に行く。裏山の向こうには狭山丘陵の森に続いて西武遊園地・西武園ゴルフ場・そして西武ドームが見える。

家から近いのであるが毎年無料開放となる最終戦を見に行く程度であったが、4年程前名捕手伊東勤の引退試合更ににダイエー(現ソフトバンク)のまた秋山幸二の引退試合を見に行ったきりであった(引退試合は西武・ダイエーの両方で行われた)。

久々にドームまで行ってみるかと思い、レオライナーというゴムタイヤ付きの電車に乗ってみる。わずか2.8km、8分という西武山口線の旅であるがチビどもは喜々としていた。

西武球場前の駅を下り、ドームへの緩やかな坂を登る。休日にもかかわらずイベントは無いようで誰も人はいなかった。いつもなら人でごった返しているグッズ売り場やファーストフード店は全て閉ざされ何とも不思議な感じがする。


【ドームの前で謎のポーズを取るチビども】

どうせ中には入れないが入り口まで進むと何故か3塁側の通路の一部が解放されていた。中をのぞくと照明灯までついている。何の表示もないのでチビどもを連れて入ってみるとグラウンドでは見たこともない野球のユニフォームを着た人たちが練習をしていた。どうやら今シーズン西武ライオンズはプレーオフに食い込めなかったためグランドがキャンセルとなり、希望する草野球チームに時間貸しを行っているようだった。朝の第一試合が終わり次のチームに移行するタイミングだったようだ。

観客が誰もいないガラガラの貸し切りのスタンドという様相は初めてのことであり、外野から内野・ネット裏まで自由に行き来できたのは私にとっても貴重な体験であった。


【ガラガラのドームで行われていた草野球】

内野席の最前列に何となく腰掛けると突然場内アナウンスが入りウグイス嬢がスターティングメンバーの発表を始めた。本格的な様相に思わず笑ってしまう。守備についた面々の位置を見るとこれがおかしい。外野の守りが非常に浅いのだ。これでは打球が頭上を越えれば即ランニングホームランであろう。

そんな草野球を眺めながらネット裏まで行って驚いた。ネット裏のいわゆるスポンサーあるいはシーズンシートは内野の跳ねイスと違い、柔らかいイスで更に中央にあるテーブルにはシーズンシート購入者の名前が入っていた。

しばらくそこに座って草野球を眺めていたがチビどもが飽きてきたので適当に退散となった。


【外野出口にあったカブレラ地蔵】

出口近くの掲示板を眺めると土日祝日(2時間)147,000円(税込)
とあった。まあ仲間で割れば出せない金額ではないと言ったところであろうか...。

狭山湖の林道

2007-09-24 22:33:04 | 
相も変わらず3連休最終日も子守である。午前中、久々に六道山公園へ行く。この公園、4年程前暇に任せて原付で狭山湖畔をバイクで回った際偶然に見つけた林道を走り辿り着いた公園である。

不思議なことにその後3度程この公園を訪れはしたがなぜかその林道の入り口が見つからずその後走ることはなく林道の風景などいつの間にか忘れてしまっていた。

公園でチビどもを遊ばせた後、引き返し始めると公園の入り口横にある小さな広場から自転車が数台出てきた。よく見ると車も入れそうな林道である。これが以前来た道に違いない。そう思い、喜び勇んでエクストレイルのハンドルを切った。入り口は狭いが林道はぬかるみ適度に面白い。しかし両側は2m程度の高さのフェンスが延々と張り巡らされている。その向こうは鬱蒼とした林で全く景色の変化がなくまた陽の光さえ差さず、所々に不法投棄が目立つのみで全く面白味がない。暫く進んでかなりやばいことに気付いた。入り口以来全く待避所がなかった。原付で来たときにはフェンスには違和感を感じたモノの待避所のことなど全く考えなかった。しかし、既に100m以上入り込んでいて見通しの悪い曲がりくねったこの道をバックで引き返すリスクを負う気も全くなかった。

一刻も早くこの林道を抜けるしかない。見通しの利く場所ではスピードを上げ前へ進む。事の重大さとは全く無縁な後部座席のチビどもは揺れる車体に歓喜の声を上げていた。ひたすら対向車が来ないことを祈りながらもフェンスに囲まれた道を進む。間もなくナビ的には埼玉県に入る。道幅もフェンスも全く変わらないがそれでも200m毎に辛うじて対向車を交わせる程度の待避所が現れだした。ホッとするも100m以上、バックで下がらなければならないのはそれでもかなりのストレスであった。

林道ではときどき歩行者やサイクリングの自転車とすれ違いはするモノの全く対向車はなかった。こちらとしては有り難かったがフェンスと鬱蒼とした林の日もささぬ林道を歩いたり走ったりして一体何が楽しいのであろうか...。

『さいたま緑の森博物館』という標識を見つけたため左折。間もなくフェンスは低い木製のモノとなり道は舗装路となり住宅街に出た。


【林道出口部分・流石に引き返してフェンスに囲まれた道の写真を撮る度胸はなかった】

このような形で待避所がろくにない林道。急激なベッドタウン開発の波に押され減少した森林を取りつくろうように造られたモノなのかも知れない。大げさに言うと北多摩と埼玉県所沢市との隣接部とはいえ歪んだ開発の末現れたと思しき林道の恐怖を味わったドライブとなってしまった(苦笑)。

ルートはこちら

恵比寿麦酒記念館

2007-09-20 22:15:31 | 
ガーデンプレイスに着いてみると、当時プレハブの建築事務所があった場所には三越が、さらに私が水と格闘した恵比寿ガーデンプレイスタワーは見事なガラス張りのビルディングとなっていた。

その間の坂の下部ではライブが行われていた。訊いたことがあるような曲であった。嫁曰く、一青窈がハナミズキを歌っているとのこと。曲も途中で終わってしまったため不思議に思っているとどうもリハーサルであったらしく、静かになった直後右の特設ブースでは渡辺祐とLiLiCoが司会を行っていた。どうも公開放送らしい。遠巻きに眺め嫁が目的としていた三越内のテナントに向かった。

どうでも良いことであるが『ハナミズキ』というタイトルから花水木という植物ではなく『鼻水』をイメージしてしまうのは私だけではないはずだ...。



嫁が買い物を終え食事を終えても13時であった。折角なので三越の裏にある『恵比寿麦酒記念館』を見ることにする。

この記念館、入場は無料で中には昔のレトロなポスターや看板、麦酒のラベル等があってブラブラしていて楽しかった。また立体映像が楽しめるマジックビジョンシアターでは子供向けのストーリーで麦酒の醸造を紹介していてチビどもは喜んで見入っていた。

一通り回り終えると最後にビアラウンジが設けられており、1ジョッキ200円でエビスを中心としたサッポロビールの製品が提供されていた。エビスとエーデルピルスを注文し嫁と飲んだ。休日の昼のビール、やはり格別である。

※ この場所はビールは提供しているが食事は提供していなくつまみはチーズとクラッカーのみである。

麦酒記念館を出て三越を抜けると外は厳しい残暑にもかかわらず人だかりである。先ほどの一青窈がライブをやっていた。折角なので上階のテラスから眺める。一通り終わると人が退いてきたのでその場を去ろうとすると嫁が待ったをかけた。次に現れたのは何とGroove LineのDJ、ピストン西沢とレーシングドライバーの土屋圭市であった。



しばらく眺めていたがあまり面白い会話でもなかったため適当にその場を去った。

恵比寿ガーデンプレイス ~男は黙ってサッポロビール~

2007-09-19 21:11:37 | 
学生の頃、アルバイトで通い詰めたガーデンプレイスであるが、ここはやはり思い出が蘇る場所である。

夏休みの間、専属で行っていたがこの現場は実に仲間が変わったところであった。私の登録していた会社は日払いが基本であったため1日の食い扶持を得るための俗称プー太郎が多くを占めていた。しかし、このような現場は昼食が付き更に共用ではあったが石鹸付き(当然のようにレモン石鹸)のシャワーまで付いていた(ちなみに夏の間は水のみ)。そのため彼らにはお金を浮かすにはもってこいであった。また慢性的に出入りの子請け孫請け業者は人の確保に必死だったため日給9,000円で働く我々は格好の人材であり、昼飯時には常に条件を訊かれ別業者への転職交渉の時間となっていた。そのため期間契約ではあるが社会保険付き寮提供等の好条件の企業に転職する仲間が後を絶たなかった。

ちなみに私にも好条件で話は来たが、学生であることと、賃金が低いとはいえ週1回の重労働と引き替えの4回のお遊びは捨てがたく動くことはしなかった。

結局は卒業と同時にアルバイトをやめたためガーデンプレイスの完成は見なかったが、今回JR恵比寿駅からガーデンプレイスまでの道があの長い坂を登らずに駅直結の屋根付きのムービングロードになっていたのには驚いた。また入り口正面から見える近隣のエリアには高層マンションが建ち並んでいた。当時は小さな戸建てや3階建て程のマンションが建ち、当然のように洗濯物や布団が乾されていた。それが一気に新スポットとなったわけである。当然のように高層マンションには布団はおろか洗濯物さえ棚引いていなかった。


【恵比寿で見たサッポロビールの広告・1970年と2007年のモノ・三船敏郎と恩田三姉妹、時代の変遷が感じられる】

今となってはあの地下5階の更に下に水が湧いているという実態を見れる人はいるのだろうか。創業時からエビスビールがあった場所。やはり水には恵まれている場所と解釈が出来る。

余談だが建築現場にあった自動販売機は全てサッポロビールの製品であった。

恵比寿ガーデンプレイス

2007-09-18 22:41:31 | 
先日、職場のビルを管理している人物と世間話をしていたときだ。その人物は高齢ではあるが、少し前までは親会社である大手ゼネコンに属し建築現場で指揮を執っていたとのことであった。年を経たため子会社にまわされ、日勤のみのビル管理となったとのこと。携わった現場を訊いて『恵比寿ガーデンプレイス』という言葉をきいて思わずにやついてしまった。実は私も学生時代アルバイトでこの現場には何度と無く行ったのだ。

私が所属したのは人材派遣会社の作業員登録であった。簡単に言えば人足貸しの会社である。とは言ってもきついことはまず無く、主な業務はトラックの助手・事務机の搬入等が中心で実に様々な現場に行った。労働時間は基本8時間なのであるが、事務机の搬入などは指定された現場のオフィスビル前で品物を運んでくるトラックを待ち、到着後、それを指定された部屋へ移すのみ。実働10分で仕事を終え登録先に戻ると1日分のバイト料8,000円を貰い解放されるというおいしいモノが多かった。

ある年の夏、大手レンタル会社の業務へ出され、恵比寿のガーデンプレイスで1日がかりで巨大なテントにエアコンを設置するという仕事があった。翌日は工事関係者を集めての地鎮祭とのことであった。二日後はその現場にて設置したエアコンの撤去作業。こちらは2時間足らずで終わった記憶がある。

翌春、事務器の搬入でまたもや恵比寿に行くとその広大な敷地の一角にはプレハブが建ち、そこへ机を入れた。これも実働2時間、午前中で終わり昼から酒を飲んでいた記憶がある。またその現場横ではコンクリートの注入が行われていた。

バブルが弾けたこの年、こんなおいしいバイトにもなかなかありつけなくなった。その夏、日給9,000円で9-5時で一定期間その現場に行かないかと声をかけられた。建設現場の頭数合わせだそうである。これはきつそうな気がするが実はかなりおいしい。建築現場は大きくなればなるほど人足の数は丼勘定となる。そのため実際に殆どやることはなくても子会社は1日の作業員の頭数は現場に提供しなければならない。我々は清掃員という名目でこのガーデンプレイスのメインタワー最下部である地下5階部の水のかき出しを受け持った。とはいえ、延々と湧き出る水。こんなモノはいくらかき出してもきりがないのは誰にでも分かることである。殆どやることもなく物陰に隠れて仲間と時間を潰しその日の終業時間を待つというのが殆どであった。

しかし、週に1度だけ、更にその地下5階より下にあるビルの基礎となる厚さ1m程のコンクリートに囲まれた2m四方の無数にあるピットと呼ばれる真っ暗な部屋に長靴と灯りで潜り、くるぶし程度まである水に浮かぶゴミを取り除くという作業があった。ガスや酸欠等の心配はゼネコン側が常に監視しているためないが精神的に疲れるところであった。しかし、他の4日は遊びであるため週45,000のバイトはかなりおいしかったのだ。


【恵比寿ガーデンプレイスタワー】

17日、久々にこのガーデンプレイスに遊びに行った(おそらく10年ぶり程度と思われる)が当時を思わせる雰囲気は当然のようになく、東京新名所と化した街に違和感を感じるばかりであった。

種子島

2007-09-16 18:39:41 | 
9月3日、屋久島を後にし、ジェットフォイルにて種子島・西之表に移動。昼には若干間があったため手配していたレンタカーで北にあるという浦田海水浴場へ行ってみる。残念なことに既に閉鎖していてた。泳いでいる人はいたが万一何かあると厄介なのでやめて西之表に引き返し、食堂を見つけ昼食を取る。

その後、島の東側のマングローブで有名な大浦川・千座岩屋などを眺め南の端にある予約しておいたホテルを目指す。ホテルのすぐ横は広大な敷地の『種子島宇宙ロケット』センターとなる。

時間的にもかなり余裕があったためチェックイン前にロケットを見にいく。広大な敷地を車で回ると緑の芝生が、その向こうには青い海が広がりなかなかのロケーションである。一角にはH2Aロケットの実物大のレプリカが展示されていて見ていて非常に楽しい。チビどもも「乗りたい!乗りたい!」と無理難題を連発していた。


【H2Aロケットとその下で跳び上がる長男】

その後、ホテルにて泳ぐ、土産を買うということをし、翌日はジェットフォイルにて鹿児島経由で羽田着となった。

今回の屋久島行、昨年に比べ、チビどもの脚がしっかりしてきた分、楽しみ方もかなり変化が生じてきて。また実は初めてとなった種子島、一泊のみではあったがまた次回はゆっくり回るのも楽しい場所であると知った。これにて夏旅のレポは終了である。

※ 毎回感じることであるが一家総出の旅のレポートはかなり苦手である。隠れた小ネタはまた何かの機会に...。

毛繕い

2007-09-14 23:59:02 | 
屋久杉ランドから駐車場に戻ると先ほどのヤクシカが相も変わらずウロウロしていた。ちび共は鹿というものを認識していなかったらしく、興味深く眺めながらも、
「おうまさん...。」
とバカなことをぬかしていた。



それにしてもこの鹿、人に全く恐れをなさず、全くのマイペースであった。そのため観光客の中には体に触るものまでいるほどだった。触った人は、「獣臭い。」と言って慌てて手を洗いに行っていた。...当たり前である。

その後、紀元杉を眺め、宮之浦岳登山口となる淀川入口まで行って引き返した。、車を走らせていると所々でヤクザルの群れに出くわす。サル共はそれぞれに交代で毛繕いをしていた。ちび共はそれを興味深げに見ていた。車の中からゆっくり眺めていて気づいたが繕ったモノを時々口に運んでいた。後で知ったことであるが主に汗が固まって毛にこびり付いた塩を口にしているとのことであった。



車の中から眺めていると一匹のサルが突然車によじ上り左前から右後方に移動した。目前で見たサルにちび共は大喜びであった。

その後、宿に帰り主人にその話をするととんでもない答えが帰ってきた。客の一人を指さしこういった。

「あの男、サルに毛繕いされたんだ。」

当然冗談だと思ったが、訊いてみるとその男性が言うには登山道で休んでいるとサルの群れが現れ、自分の周りで毛繕いを始めた。逃げると危険ではと思い、その場で固まっていると群れのうちの一頭が彼の横に来て突然彼の体に触り毛繕いを始めたらしい。流石にその状況に困惑していると暫くして毛繕いをしていたそのサルが彼の前に来て今度は毛繕いを求める仕草をしたそうだ。そのとき他の人達が通りかかり、サルたちはその場を去っていったそうだ。

何ともできすぎた笑い話である。人になれてしまったヤクザルは危険という話は良く耳にするが人に危害を加えるわけではなく毛繕いを要求する程人になれたサルというものはかがなモノか...。

屋久杉ランド

2007-09-13 22:41:08 | 
屋久杉ランドというものがある。標高1,000m~1,300mに位置する樹齢数千年の屋久杉を始め、苔・シダ類の地床植物に覆われた照葉樹林の混生する原生林である。中の散策路は人が踏むことによって屋久杉の根が痛まないように基本的に地上1m程度に渡した木道が整備されている。

コースは木道を散策する30分から途中から登山道となる太忠岳往復4時間程度のモノまでいくつかあるが、ちび共の足でも歩けるであろう60分コースを行ってみることにした。

車で1時間ほどかけて標高を稼ぎ駐車場に着くと流石に涼しくて気持ちがいい。直前まで雨が降っていたらしく路面も濡れていた。車を止めた近くには何故かヤクシカがウロウロしていた。


【屋久杉ランド入り口から見る太忠岳(右奥に突き出た岩部分)】

屋久島の森にはいるのは久々であった。独特の苔むした風景と屋久杉の香りに嫁も喜んでいた。ちび共も気持ちがいいらしく張り切って歩いていた。しかし、時折木道の間にうっかり足を滑らせ、驚いては泣きわめいていた(笑)。しかし、この木道と時折渡る吊り橋に楽しんでいたようだ。途中でおやつを食い喜んでいた。


【紀元杉】

歩みがしっかりしてきた子連れで行くにはお勧め出来る場所である。

水遊び

2007-09-11 23:24:56 | 
目覚めると快晴である。気温も30度を超えるらしい。こんな日は水遊びに限る。手配していたレンタカーを受け取り、泳ぎに行くことにする。屋久島は一周105kmの中に九州最高峰の宮之浦岳を持つという特有の地形のため海水浴に適した場所はない。



とりあえず昨年行った一湊海水浴場に行く。9月1日ということもあり既に脱衣場等は閉鎖されていた。海の家が開いていて我々を認めたオヤジさんが脱衣場を開けてくれた。しかし、ここは遠浅ではないためやはりちび共は前回のように怖がり、水に入ろうとはしない。仕方がないので30kmほど離れた春田浜の海水浴場へ行く。ここは浜とは言っても砂浜ではなく、隆起した珊瑚と堤防で波の侵入を押さえたいわばプールである。去年はそこまでの道路が工事中であったため入れなかったのだ。



当所、海という概念にちび共は怖がってはいたが、私と嫁が入ってヤツらを水に入れると徐々に慣れ始め最後には帰ると言っても水から出ようともしなかった。

その後、女川という渓谷に水遊びに行く。しかし、こちらはヤツらは喜んではいたが幼児の足では滑りやすく見ていて安心出来る遊び場ではなかった。

桜島

2007-09-10 21:48:05 | 
桜島を初めて見たのは99年のGWであった。宮崎でフェリーを下り、都城から国道10号線経由で504号、そこから県道497号線の峠道を走っていたときのことだ。山の向こうに濃い雲が広がっていた。何となく違和感を覚えつつも峠に出ると目の前に桜島が確認出来、その雲が噴煙であると知り驚いたものだ。実際に目の当たりにしたとき初めて鹿児島に来たことを実感したのだ。その晩は赤湯で知られる桜島ユースに泊まり、翌朝、屋久2といわれるフェリーで屋久島へ上陸となった。

今回は高速艇と呼ばれるジェットフォイルトッピーであった。これの周遊チケットを手配したのだ。ちび共は喜び勇んで乗車したがこの乗り物、指定された席に座るとそこでシートベルトをロックし基本的に浮上と呼ばれる航行状態となりその間は座りっぱなしとなる。そのためあまり楽しい乗り物ではない。それでも錦江湾内では右手に開聞岳、左手に佐多岬と風景は見えるが外海に出てしまうと面白味はあまりない。ちび共はいったんは昼寝に入ったモノの経由地の種子島を過ぎると完全に飽きてしまい、厄介であった。



屋久島の安房港に着くと宿の主人が迎えに来ていてくれた。1年ぶりのちび共との再会に大きくなったもんだと喜んでくれた。

鹿児島へ

2007-09-06 21:37:28 | 
幼い子供を連れて旅に出ようとしたり、子供が楽しみにしていた遠足の当日熱を出して駄目になった。というような話を良く耳にする。確かにそのような場合は旅の場合はキャンセル料金がバカにならないため今までは前日に飛行機を押さえ、融通が利く宿に泊まることが多かった。

しかし、それではやはり大きな割引が見込めないため出費はかさむ。出かけることを告げなければ熱も出ないだろうと飛行機の超割を申し込み、また2日前まではキャンセル料も発生しない宿泊プランを最終日に入れ、我が家は前日子供達が寝付くまで何も知らせずに用意もしなかった。その甲斐あってか今回も特に何も起こらずの出発となった。

8:20発で雨模様の甲州街道・首都高を乗り継ぐ。空港中央の表示板に引っ張られ間違えてレインボーブリッジを渡ってしまうという失態をしてしまったもののどうにか羽田空港近くのいつも使う駐車場に着く。ちび共は飛行機に乗ることを察知したらしく大はしゃぎであった。ギリギリでチェックイン・搭乗を済ます。

今回の旅は昨年に続き屋久島である。なるべく交通費を安く上げるため鹿児島空港から先はリムジンバス・高速船の乗り継ぎであった。

鹿児島金生町でリムジンバスを降りると初めて目にした路面電車にちび共は喜び乗りたがった。多少遠回りにはなるモノの時間的余裕があったため二区間だけ乗ってみた。相変わらずのんびりしたモノである。水族館前で下車し、港まで歩き始める。4人分の荷物を載せたカートを転がし、嫁は二人の手を引いて歩いた。



その後港に出たモノの、高速船トッピー乗り場は遥か向こう。汗だくになりながらの到着となった。乗船の手続きを済ませ、しばし時間が出来たため港から見える桜島や船の様子を眺める。ちび共は大喜びであった。

夏野菜

2007-08-12 22:21:24 | 
5日(日)、起きてみるとまるっきりの快晴。夏空である。嫁曰くウッドデッキで眠りこけた私は夜中に熾した嫁には応じず、気付けばいつの間にか部屋へ戻り布団で寝ていたらしい。

朝食後、鳳凰山直下の日本を東と西に分断するフォッサマグナで知られる石空川の精進ヶ滝の下流へ水浴びに行くことにした。山深い舗装路を進み駐車場に着く。吊り橋を渡り、山道を歩くこと20分。目的とした一ノ滝着。早速チビどもの服を脱がせパンツ一枚で水遊びを始めた。滝からの沢の水の冷たさに初めのうちはチビも我々も躊躇したが慣れるとノンビリと遊べた。



しばらく遊んだので用意しておいた今回の隠し球となるおやつを出した。昨夕の買い出しで手に入れてきた夏野菜『トマト』である。調味料となる塩は特に準備しなかったが沢水で冷やしたこれらはそのままでも充分に美味い。嫁もチビどもも夢中で頬張っていた。



幼い頃、夏になると家の下にある工場で働く監督のオヤジが毎日のように工場の井戸水でトマトやキュウリを冷やしていた。一度そのオヤジにトマトを恵んで貰い、幼心にその味に感激してトマトを好きになった記憶がある。

3年前、屋久島の川で仲間にキュウリとトマトを振る舞って好評を得たことがあった。今では一年中気軽に手に入るこれらの野菜であるが、やはりこうやって食うのが一番美味いような気がする。またこうやって食うのが私の中でのまったりモードの夏休みなのだ。