時々眺める富士山

マチュピチュ

マチュピチュが1911年発見されたときは、木や草に覆われた崩れた石組だったという。時間をかけて、それを復元した姿を今見ることができる。遺跡は、豊かな想像力とともに見ないと単なるがれきとなってしまう。
50年も前に義務教育でインカの遺跡として習ったもので、当時はマチュピチュという言葉は聞かなかった。マチュピチュとは成熟した山というような意味で、この遺跡のそばにある山の名前だ。
訪れた日は快晴で、遺跡はまぶしい日差しの中にはっきりと見えた。

遺跡は、石垣で土止めがなされた段々畑の頂上にある。当時、ここでどのような生活があったのかは豊かな想像力を働かせる必要がありそうだ。

細かく見ると、綿密なつくりや細工が施されているが、全体でみると不思議な空中都市となっている。

インカの遺跡は、山々の連なる奥深くに位置していることが特徴で、高地であっても、豊かな緑に囲まれている場所にある。

険しい山並みが連なっているが、その中には石畳と石垣の土止めがされたインカ道が延々と続いている。

アンデスの山並みの幾重にも連なっている姿は、まさに壮大な眺めであった。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「海外」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事