高樹のぶ子のSIAブログ
人生のお客様
写真は、ノアンのサンドの館で見付けた、ちょっと不思議な樹です。
幹が緑色に輝いていました。
専門の人が見れば、別に珍しいことではないのかも知れませんが。
写真には撮れませんでしたが、ノアン村があるベリー地方では、
落葉高木に、沢山の宿り木が毛玉のようにくっついていました。
最初は鳥の巣かと思ったほどです。
その宿り木を見て、ショパンも自分のことを、宿り木だと感じたかも
知れません。
何しろ、毎夏ノアンに滞在しながら、つねにサンドの客人だったからです。
そもそも、ショパンに限らず男性は「人生のお客様気分」の人が多いですね。
人生の当事者というか主催者は、やはり女性、妻、母です。
「お客様は、ご機嫌良く、早めにお見送りして、あとはのんびりとラクチンしたい」
この一言にぞ~となさった男性も・・・いえ、貴方の奥様の話ではありません。
ごくごく一般的なお話で・・・でも、女性の深層心理には、メリーウイドウ願望が
あるのかも。
コワイでしょ?
宿り木からとんだ想像でした。
高樹のぶ子
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未亡人万歳! の世界は、承知しております。ごく身近な人々から、しっかりと実感してきております。
これって、どこかで、何かを抑圧してお付き合いしていたってこと? 夫婦となれば、なおさら・・。そうでない関係は存在するのか?
ヤドリギ一つにも、様々なストーリーがあるのですよね。北欧神話でも象徴的に扱われていますし、クリスマスの時の風習なども地方によって、色々あるようです。
遠くギリシャ神話の時代に遡れば、オリンポス12神のHermes(ヘルメス)。商業、旅人、そして使者の神と言われていますが、健康の神でもあったようです。ヤドリギはそんなヘルメスの木として扱われています。
一方フランスでは、ガリアの時代に、ドルイド僧(ケルト古代宗教の司祭)がケルトの新年6日目に神聖なヤドリギを切りに森に入ったと言われます。切るときに『麦の芽が出んことを』と意味する言葉(O Ghel an Heu)を叫んだと言われます。この表現は、中世に『Au gui l'an neuf』と変化したとか。guiはヤドリギを指し、an neufは新年のことです。ブルターニュ地方では、19世紀まで、ブルジョワの屋敷の門を『ble germe(麦の芽)』と叫びながら叩き、年頭の贈り物をもらう風習が残っていたそうです。
ガリアの司祭は、ヤドリギの薬効、神秘性を自身の力に取り込もうとしました。ヤドリギは、悪霊を追い出し、精神を浄化させ、解毒作用をもたらし、家畜の繁殖を約束し、幽霊さえも見させ、語らせることができる護符とされたと言われます。しかも、ヤドリギはヤドリギでも、存在そのものが稀な、楢の木に宿るヤドリギが求められたとされます。当時、楢はエネルギーと力を象徴する太陽の木と見なされていました。そして、ヤドリギは月の小潅木。。。
サンドとショパン。。。楢の木とヤドリギ。。。太陽と月。。。想像力を大いに掻き立てられてしまいます。通常のイメージと男女の役割が交換していることも(太陽と月)興味深いですよね。さて、ギィ(ヤドリギ)を探しに、週末はちょっと森に行ってみたくなりました。春の香りがあちこちに感じられそうです。
くす玉のようなヤドリギも。日常という縛りが解けていたせいでしょうか、封印していた思い出が、苦しくも甘く、瞬時に蘇りました。それはクリスマス、瀬戸内の、屋敷林の欅に宿るものでした。。。
携帯電話が鳴りました。
メリーウイドウ願望。。。確かに。
でも一方で、未明の除雪車で目覚め、雪をかき終えてから夫を起こし、駅まで送る朝や、あるいは、暗いハイウェイを飛ばし、遠くの駅まで迎えに行く深夜に、なぜか、とてつもない幸せに包まれます。これって、贖罪意識から?
いえいえ、「お客様」に心尽くしたい、これまた、本心でありまして。
現在、過去、記憶、感情、、、自分に問いかけては、深まるばかりの今日この頃。そして、朝の慌ただしさにも、ちっとも苛立たなくなりました。
宿り木の黄色い実までくっきり写せたときはとっても嬉しかった♪
あるコンサートで面白くショパンとリストの関係が解説されていたことがありました。
今年はショパン生誕200周年の年・・・
リストのように華やかではないけれども繊細でナイーブなショパンの曲は痛んだ私たちの心を癒してくれますね。
ショパンのワルツ「嬰ハ短調」の曲に憧れてピアノを始めた私でした。
鬱陶しい冬も終わりそろそろ春の気配が僅かながらですが感じられるこの頃・・
ゆっくりショパンの曲を聴いて気持ちの切り替えをしたいものです。
また名前を間違えてしまいました・・・
miriamです。
いっそのことMillerに改名した方が良いかもしれませんね(苦笑)
これはまさしく高樹のぶ子の歴史に残る名言ですぞ!
感動すら覚えた。
ぜひ、これをベースに、おどろおどろしくも、痛快な、大作を物されることを期待したい。
こちらヨコハマは、私が一日おきくらいに行く新横浜の公園で、梅の花が満開。そのすぐ側がヨコハマスタジアムで、ドームの周囲を二日おきぐらいにウォーキングしております。
そこへ至る途中の道みちでは、早咲きのさくらも咲き誇り、春の訪れが感じられます。
桜、さくら、好きな歌、コブクロも直太郎も・・みな好きですね!
このところ、大地震が起きる国がつづいているので、今の平安が幸せでもあります。世界でも、個人的にも、いつ何が起きるか分からない昨今。今日の一日の大切さ。一度限りの人生を感じております。
60代、遠藤氏が死ぬ練習をしている、ということをよく言っていましたね。著書の中でも。・・
だからこそ、桜、さくら、サクラの歌をうたいたくなります!
お元気でお仕事
がんばってください
宿り木のこと、へえ・・なるほど・・と
腕組みしながら、ありがたく拝読しました。
フランスでは、親しまれている光景なんですね。
たしかに強風が吹くと、落ちてしまうでしょうね。
それを拾いに行く。
楽しそうです。
鳥の糞などが高木の枝などに付着して、そこに宿り木の種が
含まれていたりするのでしょうか・・・
miriamさん
北海道にも、宿り木があるのですか・・
そうね、フランスは北海道かもっと緯度が高いですものね。
でも、フランスと同じ宿り木なんでしょうか。
フランスのそれは、枯れ草か柔らかい枝のようなのが、くるくると丸められて、葉っぱを落とした樹にひっかっかてる、あるいは、大きな毬藻が樹にくっついてる、そんなヤドリギだと想像しています。
遠目に鳥の巣?いや、地上で絡まったのが、風で吹きあげられた?・・でもでもよく見ると、若緑の葉っぱがあって、ああ、これが欧州のヤドリギか!!と、嬉しくなって、デジタルカメラの気安さで、山ほど写真を撮ってしまいました。
日本で見たヤドリギ(と思う)は、枝が伸びているせいか、「寄生木」といった感じでした。
映画「ハリーポッター」のキスシーンで、カメラが遠ざかって写した頭上のヤドリギも、日本のヤドリギに似ていたような。
でも、「源氏物語」の「宿木」は蔦ですよね。
miriamさんのカメラに収まっているヤドリギも、是非見せていただきたいです!!お二人さんがお好み、とのカメラマン。微笑ましい心情に満ちたお写真なのでしょう。
「ハリーポッターⅥ」は、恐怖と死が覆い、決してハッピーエンドではありませんが、ヤドリギ等の小道具(?)にもよって、若い恋心、慈悲心などが温かく描かれ、そこには希望がありました。
小説、戯曲にも多々配されている小道具(?)の意味を、果たして私はどれだけ捉えているのだろうかと、クッカバラさんのご説明を読みながら思いました。
ところで、ところで、写真の緑色の木。パリ郊外で結構見かけました。牧草の緑(もちろん、今は緑ではありませんが)を映したかのような、緑色の幹。パリに長く住む友人に尋ねようと撮影したものの、小一時間ほどしか時間なく、聞きそびれてしまいました。新大陸では、まだお目にかかりません。どうして緑なんでしょうか。・・未だ調べ中。
オーストラリアでは85種が知られ、そのうち71種はオオバヤドリギ科、14種はビャクダン科である知り、ちょっぴり驚き。。
ところで、日本の桜の木にも、ヤドリギがあって、ブログ上で紹介している人が多いですね。二つ目がうまくリンクするか疑問ですが・・
http://homepage1.nifty.com/s-ozeki/iroiro/yadorigi1.htm
http://www.sannichi-ybs.co.jp/NC/cgi-bin/news_detail.cgi?nc=i&id=1231389856
東京都生まれのシンガーソングライター、森山 直太朗さんの、郎⇒朗(前回のもの訂正です)
僕らは きっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り 叫ぶよ
どんなに苦しいときも 君は笑っているから
挫(クジ)けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
・・・・
改めて思うと「宿りき」という響きは、切なく儚い記憶をよびさますものなのですね。
英語ではmistletoe(ミスルトウ)。クリスマスの飾り。この下
ではキスをしなくちゃいけないとか。
西洋では恋のはじまり。日本では恋の成就の象徴として宿り木はある。。。
いずれにしろ、宿り木は男性。
宿主は早く風に吹き落とされて絶えるのを望んでいるのですね。
新しい宿り木を待つのでしょうか。うっとうしい宿り木はもうたくさんとせいせいするのでしょうか。
連れ合いに先立たれてからの平均余命は、男性は約5年、女性はなんと約22年もあるという統計があるとか。
さらに、生まれ変わったらまた一緒になりたいかという問いに、イエスと答えた夫は約75%。妻はたった20%しかいなかったらしい。
ご機嫌よく見送ってくださるなら、私はその宿り木になりたい。
3月13日当選?しました。家内と参加の予定です。
来週は寒くなるようです。準備に大変でしょうが、ご自愛ください。
ところで名言?
箪笥にゴン亭主は留守で元気・・・ならば、やはり後は、仏壇にゴン亭主はあの世で極楽・・・楽チンてことでしょう?笑
寄生木からの連想で男の人生が、女の樹木の寄生木の価値しかないとか?
戦後生まれの主婦は楽チンも楽チンでしたからね?
各家電メーカーは女性の為に仕事を特化した、キライさえあり今頃になって後悔してますからね!?笑
役所や大企業の寄生木だと感じて人生を過ごしている、世の男性は確かにいるかも知れませんね。
ところで寄生木の想い出は育った瀬戸内海の郷里には無く、初めて寄生木を見たのはやはり北アルプスの黒沢高原の山林です。
夏場は牛の放牧地になり冬はスキー場の鹿島槍ヶ岳山麓でした。
'70年の11月の連休に撮影した、赤いラックを着た女性Yと、厚手の青いハイネックセーターを着た男が、初雪の降り積もった樹木に二人で登って、笑ってる一枚のスナップ写真が有り、この木にも寄生木が着いていました。
この時に寄生木を初めて見た訳ではなく、その二、三年前にそこの辺りの樹木に幾つも着いてる、寄生木を落として観察したら、樹木に寄生する着生ランのような植物を期待してたので、その時はただ残念な思いをしました。
スナップ写真の女性Yさんは当時テキスタイルの故・粟辻博さんのアトリエにいて織を専攻、先にナポリにデザイン留学していた彼氏の所へ、結婚の為に来春行く予定でした。
初雪で同僚女性Jさんから急遽借りた、青いセーターを着ていたのは僕。
この季節外れで奇妙な山荘への旅は、東京での生活も5年経った頃で、京都出女性Jさんと就職した事務所で知り合い、彼女が行きたいと友人Yさんを誘い三人で、僕の案内で出掛けたのだった。
同僚女性Jさんは天体に詳しく、殆どの星座を熟知していて教えられました。
僕がこの旅で強く覚えているのは、帰りの電車の中での二人っきりになった隙のYさんが小声で
「あなた、Jさんとはよしなさいね?」でした。
僕もウンと頷きました。
奇妙な旅で山荘の小屋開けの時に、木建引き戸のトゲが刺さった指にチュをされたくらいで、何も有りませんでしたがそれが縁で、粟辻博デザインのタピストリーに使えそうな、エジプト綿の生地をYさんを通し手に入れ今も珠に使ってます。
これが寄生木の下での想い出ですが、そうかキスをするべきでしたね!笑
Yさんは今頃いったい何処でお婆さんをしているのかな~?
宿り木願望が叶ったら、二九嬢は、嵐の去った森を歩かれるのかしら、それとも、冬至を過ぎたその下で、新たな始まりに胸を高鳴らされるのでしょうか。
いずれにしても、幸せであってほしいと願います。
「尽くしたのに捨てられた」―――恋がフィフティフィフティなのは百も承知、それでも、そう感じてしまう、痛く苦しい思い出。私も経験者です。
人の思いは移ろうもの。二度と他者に振り回されはしまいと心した日々、うんと年長の(サイヤ様のように素敵な)男性方に、大地に深く根を張る過程を励ましてもらいました。もう、誰に寄らなくていい自信ができた時、新しい恋に飛び込んでいけました。既婚者方の下心を感じたことはなく、だからこそ、男性を、結婚を信じました。
ひととき花を誇ったら、傍らのオークとともに、緑涼をおくり、黄金に輝き、寒空には樹形を光らせたい。殿方を宿らせる余裕はないけれど、来世もともに、と願う20%です。
恋は切なくて辛く、それゆえに命強められ、人生彩られるのだと思います。色々な価値観、色々に人間模様。
ご子息様はじめ、お若い方々が、時に適って、豊かな人生を
歩まれますように、切に、お祈りしています。
中学、高校の友人が山口大学を定年で退くので、最後の講義でした。その後の会で、乾杯の音頭など・・ふるさとに浸ってきました、まるで同窓会。
ところで、今回もサイアデー参加申し込みいただいて、お断りせざるを得ない方が出てしまいました。
大変申し訳ありません。
宿り木の話題は、読んでいてもおもしろいですね。
いちいさんのおかげで、写真を見ることもできました。
また、崖さんの色っぽい?お話も、崖さんらしい気もしてきました。微妙な心理の三角関係でしょうか?
最後の一行「いまごろどこでお婆さんをやっているのか~」
だけは余計だったかも(笑)
昔女性だった人は、永遠に女性なんです。決してお婆さんにはなりません。
掘り起こせば、誰しも「切ない思い出」が一つ二つは出てきます。
最初の大人の恋が云々というより、良い出会いに恵まれればトラウマになるような辛い過去も、苦しいながらも思い出になるのですね。
良い話を聞かせていただきました。
いままでこちらから29歳を誘ったことはないのですが、ホワイトデイには初めてこちらから連絡します。
もし彼女が誘いに乗ってきてくれたら、木蓮さんの話をしてあげようと思います。ありがとうございました。
心の通った人にはつい繁栄を望みますが、皆さんもそうでは在りませんか?笑
育った郷里の隣家に同じ高校の同級生ヒロミさんが居て、10年位前に長浜の彼女の母親に連絡を取ったら、夜叉児ができるとの事でした。
僕の団塊世代の同級生の女性の皆さんは結婚も割合早く、Yさんも23、4才で結婚していますから、当然30代後半の子供さんがいる筈なんです。
帰りの電車の中でさらりとYさんが僕に忠告したのは、色っぽい三角関係からでもなく、ただJさんの性癖を学生時代からよく知っていて、純粋に僕を心配しての忠告でした。
あの旅の二、三ヶ月後にYさんの言った意味が解りました。
Jさんは稀にしか帰って来ない父親だったせいか鈍感で、翌年の1月に集まりに呼ばれて初めて彼女の部屋に行ったら、男友達にはろくな奴がいませんでした。
余りにも自己中心的な言い分で、泣き喚き包丁を持ち出す男も居たりね。
かなり荒んだハードボイルドな人達で、早々に引き上げJさんとは絶縁しました。
またチャンスがありましたら葉のアップと木の実が落ちてたらそれも撮って下さいませ。
これからも続けてほしいです♪
艶やかな緑の幹のフォトの植物は、幹だけでは特定が難しいですね。
アオキの仲間かなと思いましたが、航海時代から植民地支配時代にかけて、憧れの南洋からの植物が、ヨーロッパには沢山移入されてるでしょうからね。
ところで前投稿の「泣き喚き包丁を持ち出した男」の話の補足です。
同じ事務所の同僚Jさんに誘われたのは、仲間内の新年会を兼ねた彼の部屋での集まりでした。
当時の僕は関西出自の友人は殆ど居ませんでしたから、彼等がどんな青春を過ごしているのか、興味本位で出掛けました。
Jさんと二人で立ち寄ると僕を入れて三人の男とJさんだけで、もう二人の男達は飲み始めていました。
彼は京都の美術系大油絵科を卒業して上京2年目。
そこは家財道具も殆どない肉体労働者のような印象の部屋でした。
僕達が飲み始めた早々に泣き喚き始めた理由は、同じ大学のお育ち好いブルジョアジーで美人の彼女が、心変わりをして多少は先の見える、別の男と結婚してしまう事になったとの話でした。
つまり彼女に逃げられ捨てられたのでした。
将来を当てにしていた女に逃げられ、涙だする男のように感じられがっかりしました。
これはつまり高木の寄生木思考の男性だったと言えますね?
当時の僕の感覚だと心の通うそして本当に好きな女性に、逃げられるなんてちょっと考えられませんでした。
彼は浪人していたので僕より二、三才は年上でしたから25、6才、彼には男と女関係がフィフティ・フィフティの感覚がないのにも少しムカつきました。
僕は「そんなに情けない事を言って、貴方にも落ち度が有ったでしょ?」と言うと、台所から包丁を持ち出し僕の脇腹に突き付けました。
それに驚いた大柄なJさんが彼を押し倒し、組み伏せそのままの状態で宥めていましたが、僕は早々に別れを告げその場を引き上げました。
その後、仕事場で会っても特にJさんに何も尋ねなかったが、僕が事務所を辞めた後に、直ぐに辞めて去ったそうです。
あの頃は既に僕にも彼女がいて、生保系の投資用オフィスビル熟すのではなく、早く何とか面白い仕事を見付ないと、僕の将来が開けないな、と不安や焦りが有った23、4でした。