高樹のぶ子のSIAブログ
あの戦争は何だったのか
という長時間番組を、TBSが放送していました。
最後まで真剣に見ました。
クリスマスイブはバライエテイ番組で盛り上がるのだろうと、そっぽを向いていたのですが、時代はもう、バラエテイに飽きて、「まじめモード」に切り替わっているのでしょうか。
310万人の日本人が死んだ戦争は、誰が起こしたのか、なぜ起きたのか・・
はっきりしているのは日本が「情報不足」だったことです。
情報を殺す、のは、心情です。あの当時、心情が支配していたし、それをあおった人々がいた。情報と心情。二つの言葉に共通している「情」という一文字。怖いですね。
でも今も「情」は吹き荒れます。
それも一方向に「情風」は吹き荒れます。
ああまた、新しい造語が出来てしまいました。
情風!
イラク戦争が始まる直前の3月、それまで担当していた毎日新聞の「時代の風」を降りることになっていました。私の頼みでおろして貰ったのです。
その最後か最後から二番目の原稿は、開戦必至のイラク戦争についてでした。
あのころ、イラクの大量破壊兵器がアメリカにとって脅威で、世界にとっても脅威だという「情風」がアメリカ発の暴風雨のように、吹き荒れていました。
私はものすごく不思議で、たまりませんでした。
「イラクのどこにその大量破壊兵器があるのかを指摘し、それを破棄するよう命令し、それに反したときに攻撃すればいいのであって、その指摘がなぜなされないのか」
子供の喧嘩レベルであっても、誰しもそう思うでしょう。
殴るについては、殴る大儀が要るのです。手続きが要るのです。
子供の喧嘩レベルのことを、単純に疑問に感じて、書きました。
あのころ世界の世論は、なぜアメリカに「子供の喧嘩レベル」の大儀を迫らなかったのか。
メデイアに吹いているのは「戦争は不可避」という風ばかりでした。
世界はそんな単純なものではない。
というとき、それは根源からの素朴な疑問を放棄し、思考を停止させているのではないのか・・
TBSのこの長時間番組は、クリスマスイブにふさわしいものでした。
みなさま、メリークリスマス!!
高樹のぶ子
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コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
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非常に勇気とエネルギーが要る。ましてや、正義を実行することは。
人は、いつでも卑怯な利口者に成り下がる!!
なぜ「情報」という漢字が当てられたのかというと、「information」「renseignement」を「敵情を報知する」という意味で使いたかったからです。当時の日本では「情報」は軍事用語だったんです。
つまり、情報の「情」は感情の「情」ではなく、情勢の「情」なんです。もしくは、情況・状況の「情(=状)」と言った方が分かりやすいでしょうか?
人間の「心」は関係ないですよ。
このとき、でもなぜ状ではなくて情を当てたのか、考えてみるとおもしろいですね・・
情勢、情報、情況・・すべてに情の字が使われている・・ちょっと不思議な気もしてきました。
イラクでもっと「情」報がゲットできていたら、アメリカも犠牲が少なくてすんだのかもしれないですね。
「時代の風」に書いたことを思い出しました。
アメリカは空から探査衛星での情報は得ていても、イラク人の心の情報は得ていなかった・・・それは本当に危ういことだ、というようなことを書いたような記憶があります。
情報とは何だろう、本当に役に立つ情報とはなんだろう・・この一字を巡って考えてしまいます。
緒戦はともかく、長期的に見ればこの戦争の見通しは悲観的だったことは戦争を主導した人たちにも共通した認識でした。
それなのに敢えて戦争を始めた。
途中、優勢になったところで矛を収めるという冷静な判断もなかったわけではありません。
ところが優勢なら優勢なりに、劣勢になればなったで戦争をやめる力はどんどんなくなっていき、ついには行き着くところまで行ってしまいました。
まさに心情に引きづられた戦いだったと言えます。
マスメディアがそれを後押しし、当初沸いた沸いたの国民も気がついたときは既に後のまつりでした。
ひとつエネルギーをもった<マス>の動きは並大抵の力では止められない。
そうなる前の冷静な情報分析が重要だということでしょう。
その意味で、今もそうだが、ぼくはマスメディアがとかく大衆の心情に媚びた論調になりがちなのを問題視したい。
そして政治がそれに引きづられがちであることを。
今、世界的な経済危機で、マスコミは微に入り細に入り不安を煽り立てています。
ある意味風評被害を惹き起こしているともいえます。
世界的な現象ですからなかなか控えるのも難しいことなのかもしれませんが。
これが人間の限界なのかと憂鬱になります。
僕の認識は関東大震災の後に世界恐慌と以来、当時の政府財界が経済政策が息詰まり、戦争による利益へと誘惑されて行ったと認識しています。
女性に参政権もない時代で、当時は好き勝手でしたしね。苦笑
またイラク戦争責任についは、来年から議会でも特別委員会を発足し、ブッシュの事実捏造や戦争責任の追求がなされると思いますが、見守っています。
そもそもブッシュ父子は政治基盤が石油資本の代弁者であり、その業界利益の誘導の為に、イラク進攻は不可欠だったのでしょう。
このイラク戦争中、石油は上昇、暴騰、そして最近やっと暴落、果たして石油資本業界は儲かったのか、直近だけは大損をしたのか不明ですが、相当巨額な利益を長期に渡り手にはしたと思います。
でもこの経済破綻で、U.S.Aは将来20年以上は膨大な核兵器を抱えたまま、静かにしていることでしょう。
そうだったら好いのですが、経済難民としてアメリカ人達が、海外に流出するかも知れませんね。
きっと日本にも上陸?苦笑
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葡萄の剪定も終わり、やっと年賀状の宛名書き、いよいよもってネタがなくなり、寒牡丹の絵を描きました。
しかし淡いピンクの寒牡丹なのに、何故か白牡丹の印刷仕上がり、う~ん?まったく、ウチのワイフ仕業、これでは少し色鉛筆で一枚一枚色付けしないと・・・うんざり。苦笑。
白牡丹は広島のお酒の銘柄でしたね。
福山で料理酒として使ってます。
杉並では酒屋の店主に奨められ、菊正宗を料理酒にしてます。
ただ店主に料理にも使える美味しいお酒はない?
と聞いただけですが・・笑
明日から実家の福山、今年は蜜柑が味が濃くて豊作とか、寒牡丹に牡丹鍋、イノブタは未だ出没しているか楽しみです。
先週一週間、発熱のため全く仕事をすることができず、たまった仕事を始末するために、イヴの日はひとり寂しく徹夜仕事をしておりました。TVのない部屋で・・・。
そうですか、そんな興味深い番組が放送されたのですね。このブログのコメント欄でも何度か書かさせて頂きましたが、わたしは祖父を太平洋戦争でなくしているので、この手の番組には非常に関心があります。
国家の情勢によって価値観が激動したさきの戦争のあとさき。その価値観の変遷に翻弄されたわたしの親たちの世代。戦争のために寡婦となり苦労を強いられた祖母たち・・・その歴史の延長上に戦争を全く知らないわたしたちやわたしの子供たちの世代がいる・・・。
それは、換言すれば、ラジオと新聞でしか情報を得ることができなかった世代から、テレビを謳歌した世代、そしてIT革命によってPCや携帯で常時様々な情報を得ることができるようになった世代への変遷であるようにも思います。
しっかし~、情報の「情」の字には、思いもよらぬ意味があったんですねぇ。考えてみれば、「情」っていう字は不思議な字ですね。人間の情を表す言葉にも用いられ、文字通り、情報や情勢を表す場合にも用いられる・・・。情を通ずる、なんて言葉もありますし。
かつて、情報を扱う仕事をしていた自分にとって考えさせられるところの多いブログでした。マスメディアに翻弄されることなく、自分が正しいと思う真実を常に探りつつ生きる姿勢が大切なんじゃないかと思います。
ビー玉さん、まさにその通りだと思います。
ぼくの先輩も言っていました。
健全な民主主義体制を育て上げるためにもマスコミと一般世論のレベルアップは必須条件で、ともするとイデオロギー先行の自己主張に酔い痴れて、基礎となる情報コンテンツの質・量両面でのレベルアップを疎かにして来ている現実を猛省し、一刻も早く国際レベルに追いつくことを切に願うばかりです。
高樹さんの言葉を借りれば、「情報不足」にならないように注意し、「情風」に左右されることのないよう心がけなければ。
まるで当事者ではなく人ごとのように、あれは一体何だったのか?と言ったひょうきんなイメージに聞こえました。
実は大学時代からの絵画の恩師が、クリスマスの朝にクモ膜下出血で急逝しました。
それで一日遅れの福山行きの車中です。
健康で常にアタック精神を持つ、万年青年だった恩師Mさんが、急逝したのにはかなり驚きました。
北アルプスの美しさを見上げた時のカルチャーショックや、青山、六本木、新宿の夜の街を車で飲み歩いた日々(40年近くも昔で時効、苦笑)、そんな優雅な学生時代と学生気分の抜けない独身時代を、二人で共有し謳歌させて戴いて楽しかった思い出です。
そう云えば、彼に伝馬船の櫓の漕ぎ方を、北アルプスの麓の中綱湖て教わり、凄く上達したことも有りました。
その後Mさんとは僕が度々釣りに誘い、泊まりがけで磯に出掛けました。
しかし彼は広島の被爆手帳を持っていました。
確かに戦争体験者被害者は少なくなったでしょう、しかし、あれは何だったのか?などとと遠い過去や冷やかしの話のようなタイトルでは、何の切実感もないと思います。
このMさん、確か佐藤泰生さんと研究室も同じ先輩でした。
内容は高樹さんが冒頭で述べていらっしゃるように、誰が起したのか、なぜ起きたかを問うものです。
この太平洋戦争は、原爆や、大空襲、戦闘員でないものも含め310万人もの日本人が死に、その被害者も含めれば空前絶後の大事件でした。
今後ふたたびこのような事件を起さないためにも、何だったのかを、問いかけるべき大事件でした。
貴方のコメントは、日米戦争なのか、日中戦争なのかわからないとか、ちょっとちゃかし気味というか、軽率なのが気になります。
番組は見なくても、高樹さんのコメントをよく読んだ上でのコメントをしていただきたい。
しかし、1000万人とも2000万人とも言われる、中国人を虐殺しています。
日本人の犠牲の310万人はどんな数字か不明ですが。
多分、「あの戦争は何だったのか?」のタイトルは、我々日本人は国内の戦争遂行勢力に、何等かの責任を取らせたり、闘って勝ち取った民主主義ではなく、敗戦によって与えられた民主主義だからでしょう。
自分には問い掛けないスタンスは、幻想的でそれはそれで滑稽ですが、砂の上の楼閣かもしれません。
戦争で他国に被害を与えたという自意識を持たなければいけないということですね。
ぼくはそこに他人を思いやるという日本人の本質を見る思いがします。
ところが世界の現状はどうでしょう。目には目を、力には力をの論理で覆われています。
自身に問いかけるスタンスなんてありません。
明治維新はある意味この西欧的な力学に目覚めたと言えるかも知れません。この論理により近代化が達成できたと。
しかし、行き着くところまで行って、戦後の日本人は迷っているのです。自身の本質と世界とのギャップに。
世界は日本人同士のようには信用し合えない現実があります。
その中でいかにうまく乗り切っていくかが問われているのです。いわゆる情緒ではなくて、情報を駆使して。
その意味でこのテレビ番組は考えさせるものがあったと思いました。