思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

名前についてのあれこれと、ブログは実名で、の真意

2006-01-07 17:31:48 | 本ブログの能書きと自己紹介

●これまでに呼ばれたあだ名とその理由

僕はこれまでにいろいろなあだ名を他人からいただいている。他人が僕を見て、何も感じない(無反応)よりは何かを感じて、なおかつ親しみも抱いてもらえるほうがそりゃあ嬉しいことは嬉しい。自己紹介の補足として、僕がこれまでに呼ばれたあだ名を以下に挙げてみた。


・アブドーラ・ザ・ブッチャー(プロレスラー)
・グレート義太夫(たけし軍団)
・朝潮(元大関。現高砂親方)
・小錦(元大関。現KONISHIKI)
・武双山(元大関。現藤島親方)
・猪八戒(中国の物語『西遊記』)
・プーさん(ディズニーの物語『くまのプーさん』)
・R2-D2(映画『スターウォーズ』)
・マシュマロマン(映画『ゴーストバスターズ』)
・ガチャピン(テレビ、旧『ひらけ! ポンキッキ』→現『ポンキッキーズ』)
・ゴン太くん(テレビ『できるかな』)
・ガンタンク(アニメ『機動戦士ガンダム』)
・魔人ブウ(マンガ『DRAGON BALL』)
・安西先生(マンガ『SLAM DUNK』)
・ネコバス(映画『となりのトトロ』)
・ポルコ・ロッソ(映画『紅の豚』)
・ベイブ(映画『ベイブ』)
・ビバンダム(フランスのタイヤメーカー『ミシュラン』のマスコットキャラクター)
・ヘルメット(髪質が硬くて、髪型がふかわりょうのような球形になるため)
・わとそん(本来はアメリカ・イギリスの人名に多い「ワトソン」。小説『シャーロックホームズ』シリーズより。僕の名前の「亘(わたる)」に掛けたものと思われる」)
 などなど

以上のものを見てすぐに気づいた方もいるだろうが、僕は幼い頃から肥満体型で、そのため太めの人物やキャラクターで呼ばれることが多い。現在も体脂肪率は20パーセントを超えるし、ズボン(この表現はちょっと古いか?)のサイズは36インチもしくは91センチ以上でないとやや苦しい。体重は一応0.1トン以下ではあるが、食べれば食べたぶんだけ太る体質なので、痩せの大食いの人を見ると羨ましい。
他にも「デブ」「ブタ」という簡単な言葉は数千回は言われていて、特に小学生頃は太っていることが嫌で嫌で仕方なかったのだが、これまでのあだ名を改めて振り返ると、あまり会話しなくても外見だけで親しみを持ってもらえる太めの体型は、思春期のみならず人生全体の枠で考えると得なことなのかな? と、テレビ『元祖! でぶや』などで僕よりもかなり太めの方々が明るくのびのびと生きている様子を見ると、太っているのも悪くないかも、と今は思う。
でも、徒歩による旅や登山では体重が過剰にあることは思いっきりマイナスの要因なので、当然減量したい。以前、今もたまに一緒に登山やスキーに行くある知人に、

「仮に体重が80kgあるとすると、本来は体重60kgの人が登る前にすでに20kgの荷物を背負っているようなものだよ」

という痛い一言をいただいたことがあるが、その意見には悔しいが僕も納得した。あだ名は今後も増えてもいいけど、体重は積極的に減らさないとな、といつも気にしている。

ちなみに、現在のネット上の掲示板やブログなどでは、いちばん最後に挙げた「わとそん」をハンドルネームにしてお邪魔させてもらっている。ワトソンは主役であるホームズの助手という感じの役回りなのだが、僕自身も何事においても主役を張って目立つのは苦手で脇役が適任だと思っているため、とても気に入っているのだ。

●名字の言い間違いがよくあるんですよ

この項は藤本性を持つ方以外の方にとってはどうでもよい話かもしれないが、僕のあだ名の話ではなく実名の話。

僕の「藤本(ふじもと)」という名字はなぜか言い間違いをされることが多く、7、8人に1人の割合で「藤井」「藤木」「藤田」「藤原」などと間違えて呼ばれてしまう。
僕は旅やアルバイトなどで多くの人と短期間のあいだに出会うことが多く、これまでに会った人の数とその年齢層を単純に考えると、ふつうに大学を卒業して企業に就社した人よりはその人数は圧倒的に多く、かつ幅広い年齢層の人と会っている、という自負はある。
ただ、単純労働のアルバイトの場合、名前があることや一人一人の個性などの個人的な事情は重要なことではなく、単に業務がきちんと遂行される頭数が揃っていることと、その作業を滞りなくこなせる身体能力と適応力があるか否かが重要なので、そんな場でのいち労働者の名前の存在なんて紙のように軽いものになる。だから仮に名前を呼ばれた場合に言い間違えられたとしても、その時は"使い捨て労働者”の状態である自分にとってはそれは仕方ないことだ、ということもわかっている。
でも当初は言い間違いが気になり、「藤本です!」と少しムキになっていちいち訂正を求めたりもしたが、その回数が意外と多く、訂正する手間が徐々に面倒に思うようになった。

Mr.Childrenの歌ではないが、そのたびに心を痛めていても仕方ないよな、と最近は割り切るようにして、藤木! 藤原! などと呼ばれても、藤本だ! と訂正せずにそのまま返事している。少し大人になったということか。でもホントは今も間違えられると少しイラッとして、「またかよ」と落胆しつつ気のない返事になることもある。
おそらく、藤本性の言い間違いの主な原因としては、藤井(ふじい)・藤木(ふじき)・藤田(ふじた)は、本来の藤本(ふじもと)よりも一文字だけ発音が減ってそのほうが呼びやすいためだろう、と僕は推測している。それに、名字の頭に「藤」がつく人はすべて9世紀頃に栄えた藤原氏の末裔ではないか、という説を聞いたことがあるが、その力が隔世遺伝みたいな感じで現代にも影響して、頭の藤(ふじ)の字の印象が強いことによってその後に続く字の印象が薄まってしまうからなのだろうか。

僕の名字は言い間違いが多いため、佐藤・鈴木・田中・山田・山本などのよくある性の人をちょっと羨ましく思う。多いぶんわかりやすいからね。それに、全国的にはとても珍しい性の人も、珍しいがゆえに一発で覚えられやすいと思う(最近の例で言うと、姉歯・世耕・堂珍など)。藤本は、そこそこの人数がいてそのどちらでもないから中途半端だな。
僕の藤本性の他にも、榎本・坂本・松本などの名字の後のほうに「本(もと)」がつく人は、僕と同様の言い間違われ方(榎木・坂木・松木)をされて、そのたびに落胆している人は結構多いと思う。またその事例とは質が違うが、「萩原(はぎわら)」と「荻原(おぎわら)」のように漢字の書きの一部が違うだけで読みを間違われる人もいるだろうし、「澤田」と「沢田」のように読みは同じでも正字と略字の書きを間違われる例もある。

人権侵害とまではいかないが、(多くの場合は事前に名前が知らされているのにもかかわらず)他人の名前を間違えるのは大変失礼なことである。それに、売名行為とまではいかないまでも、他人に自分の存在をきちんと認識してもらうために自分の名前を主張する努力も必要なのかな、と最近よく思うため、本ブログは実名でやる気になった。

●ブログを実名でやることについて

ウェブサイトやブログでは主に安全面を考えて匿名でもやっていけるし、そうしている人が大半を占めている昨今なのだが、あらゆるサイトやその掲示板を見ると、匿名で書き込むことによって言い逃れというか責任逃れが簡単にできてしまう風潮がある。
意見でも批判でもなんでもそうだが、名無しさん状態で自分の発した言葉や表現にきっちり責任が持てない、つまり安全な退路が残っている状態で公衆トイレの落書きのようにああだこうだと言いたい放題言っていて、しかもそういう守られた立場から他者の揚げ足ばかり取っているのは卑怯だな、不特定多数の人から見られているという意識というか緊張感は持っているのかな? そういう人たちは自分自身のことを現代社会に生きる「社会人」と言いきれるのだろうか? と前々から思っていた。
だから僕はウェブ上で何かをやることになったとしたら退路を断って実名でやるべきだよな、と考えていて、今回、僕がブログを開設するにあたってはそうすることにした。

まあ企業や官公庁などの内部告発のように、これは匿名にしないと辛いよね、人間関係や個人情報など守るべきものもあるからね、という場合もあるが、そういう枠組みから外れたごく個人的なことを書く場合は、匿名のままだと説得力がないように思う。
日本ではアメリカでブログが発生した大元の目的である個人レベルの情報媒体という感じではなく、公開型の日記として利用する人が多いが、内容は何であれ匿名で書いたものは安全ではあっても責任の所在が曖昧になって内容が薄っぺらい感じがするし、これはネタ(作り話)でしょ? と疑われても仕方がない記述もよく見かける。
自分が本気で書こう、伝えようとするものが他人からそう思われたくない! ということもあり、実名でやることにした。もちろん公にするか否かの兼ね合いは常に考えている。
普段は定住地を離れてよその土地をほっつき歩く旅ばかりしているため、ひとつの居場所(例えば終身雇用制の企業や会員制の社交場)やひとつの道筋(例えば親が用意したある程度決められた進路や通勤経路)に固執することはない僕の場合、社会的な地位や名誉や大金を得ることにはたいして興味はなく、家族や役職を持っている人のように失うと大変困るものは今のところは特にないから実名でもできる、ということもあるけどね。

ちなみに、昨年末に話題になった犯罪被害者報道の実名公表の問題は、埼玉県・桶川のストーカー殺人事件の警察側の怠慢の事例もあるし(この事件で殺害された女子大生は僕の地元にある大学に通っていたため、かなり気になった事件だ)、僕もやはり報道機関で判断すべきことだと思っている。僕も本ブログでは自分の価値判断に自信を持って書いていきたい。
僕は「これは売名行為なんだろ?」と言われるほどの有名人でもないので、実名でも特に問題はなく、“炎上”することもないでしょう。とにかく、他人にも自分にもウソはつきたくないしね。
以上のことから、このブログでも人名の間違いには気をつけよう、と今から肝に銘じているし、(まだ実務経験は少ないけど)僕が携わる出版校正の業務においても、特に人名の扱いには細心の注意を払っている。

それから、僕は旅先で僕と同じ名字の地名や店を探すのがちょっとした趣味になっている。上の写真は2005年8月に長崎県の長崎市街を歩いているときに見つけた整骨院なのだが、特に各種商売を営んでいるところを発見したさいは、やはり嬉しい。同じ名字ということで親しみを込めて、「頑張ってね!」とつい心のなかで応援してしまう。
この他にも、北海道剣淵町や熊本県坂本村(現八代市)に「藤本」という地名があって、その両方にも実際に足を運んでいる(全国各地、この他にも同様の地名があるかどうかを鋭意探索中)。地名に限らず山名や河川名でもなんでもよいのだが、旅先でのこういう発見って、嬉しいものですよね?

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