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青空ーすべてはバランス

思い出ぽろぽろー瀬戸大橋で丸亀へ

今住んでいる地域の方に「今までに暮らしてきた中で一番良かったと思う場所はどこ?」と聞かれることがこれまでに何回かありました。
答えは当然「ここが一番ですよ!」「ここは〇〇も○○も素晴らしくて最高です!」ということになります。それ以外の答えはありません。「自分が住んでいる所が一番」であることは間違いのないことですから。
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岡山市で楽しい幼稚園生活を送っていた私にとって残酷な転勤、引っ越しが突然にやってきた。「涙の連絡船」に乗って新天地・丸亀市へ。
新しい幼稚園では、言葉が分からない。方言の壁はきつい。言葉が関係していたと思うのですが、茶髪の同級生といつもけんかをしていた。先生や母親にも迷惑をかけたことを覚えています。おしゃべりだった私はここから無口になります。

それでも中学2年生まで丸亀市にいたので、もう丸亀っ子になっていると思っていました・・・。
学校の横は道路一つ隔ててお堀、そしてお城がありました。

このお城は石垣の美しさが有名です。ここのお堀で遊んだり、お城の中のザクロやイチジク、ビワなどを木に登り食べていました。お堀の水が太陽の光できらきらと輝くさまを未だに忘れることができません。

学校の放課後には必ずチャイコフスキーのくるみ割り人形の音楽が流れていました。大人になった今でもクリスマスにはこのバレエを鑑賞しています。

休日には必ず友達と野球チームを作ってユニフォームも作り練習です。
学校はまだあった。暗くなるまで本当によく野球をやった!
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2018年、丸亀城の石垣が崩れたとのニュースを聞いてびっくりした。
7月7日、10月8日、10月9日、それぞれ違う場所で崩落したようです。石垣が
本丸から南西方向に傾斜していたんですが、そこに雨が降って盛土内に浸透して南西方向へ流れやすい地形となっていた。
すべり破壊(いわゆる、円弧すべり)を起こしたと考えられています。

この日、昔住んでいた家の辺りを訪ねた。驚いたことに壊されることなくまだありました。和菓子屋さんとこの細い道路。
和菓子の匂いに包まれながら育ったんだなぁ。今、和菓子を楽しんでいる自分は子供時代につながっているのかもしれない!なんて思ってしまう。

毎日学校に通った道だ。小学生の自分の姿が飛び出してきそうだ・・・。ほぼ勘に頼り町中を歩き回った。あっという間に時間が過ぎていく。
この日は競艇場の前のホテルで泊まり、翌日うどんを食べて丸亀を後にした。
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中学3年になる春。父親が生まれ故郷に帰る決断をした。ここで定年退職して会社が紹介する仕事に就いたが、気に入らなかったようで機嫌が悪かった。両親ともに生まれ故郷が同じ。ついに、子供たちも一緒にこの地を離れることになる。仲良しの友だちが別れ際に言った。「おまえはずっとなんか言葉がおかしかった。」
「何?僕はここの人間になれてなかったのか?」

家族で連絡船に乗り山陰へ向かう。不安でいっぱい。「気候も言葉もまた違うのだろうなぁ。」と思いながら、乗り継いだ列車が山沿いの川に沿って曲がりくねって揺れる。窓から見える景色に気持ちが飲み込まれていく。
この後も私の人生は多くの地を訪れ、知らない言葉と格闘することになる。

思い出ぽろぽろ!
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子供の頃、毎日のように見ていた瀬戸内海。目に焼き付けて帰ろう!と眺め続けた。


四国の人々にとって橋はまさしく「夢の懸け橋」だったのです。長い間橋がかかるのを夢見てきたのです。それが何と3本もの巨大な橋がかかっているんだから感動です。夢の橋がまさしく眼前に広がっている。
思い出ぽろぽろ!

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