Kさんへ
お久しぶりです。
こうして手紙を書くのは初めてですね。
ケイの弟が就学の年に年賀状を頂いたまま‥。
あれから、もう17年になります。
ケイが海沿いの工場で働いているのは、同じ作業所に通っていた子どもから聞きました。ケイの弟さんはどうしているのでしょうか…。
その弟さんの就学について何度も何度も話しましたね。
あの頃、私は「普通がいいと思うよ」という言葉しか持っていませんでした。
毎日の子どもとの生活を支えるなんの術も知恵も仲間も持たず、Kさんの話にうなずくことしかできませんでした。
いまこうして手紙を書いているのは、あのときのKさんと同じように子どもの就学を前に揺れながら、あきらめようとしたり、それでも心のどこかであきらめきれずに、「ありのままのこの子と暮らしたい形」を求めるお母さんたちと出会ってきて、あらためて、いえ、ようやくKさんの声を聴けるようになったからかもしれません。
‥‥‥周りの人たちの言うことや社会が当然のように迫ること、どうもそれは自分が子どもと生きてきた思いとはすれ違う…。
この子はできないこともいっぱいあるけれど、それは十分わかっているけれど…。
この子を受け持つ先生が大変なのも、自分が投げ出したくなるほど大変だったことを思えば、誰よりも私が一番よくわかっている。
でも、それでもこの子は私たちというふつうの家族のなかでふつうにここまで育ってきた。
だから、この先も、ふつうの学校で、ふつうに友だちのなかにいて、そこでみんなと暮らしていくことができるんじゃないか‥。
そんなふうに確かな言葉で思い定まっているのでなくとも、「ふつうは無理だと思うけど‥」「ふつうじゃとても難しいとは思うけれど‥」と言いながら、私たちの相談会に話を聞きにくるお母さんたちに出会いながら、毎年Kさんのことを思い出しています。
この十数年、そうしたお母さんたちとの出会いを重ねてきて、私にも分かってきたことがあります。
それは難しい理屈ではなく、親子で、兄弟で、家族で暮らしてきたこと、いっしょにここにいたことの実感を手放したくはないという思いでした。
だから、「あたりまえに地域の学校にいきましょう」と話すと、「それでいいんですか」という言葉が返ってきます。
そして、「そんなこと、誰からも聞いたことがない」「誰もそんなふうに言ってくれなかった」とほっとしたようにつぶやきます。
そんなとき、自分が子どもと感じてきた暮らしと思いを、そして大切な子どもを大切なままに感じることを取り戻した喜びが伝わってくるようで、とても嬉しくなります。
Kさん、覚えていますか。
私が小学校を辞めた後、ケイを連れて両国まで大相撲を見に行った帰り、一家そろって船橋駅まで迎えにきてくれて、夕食をごちそうになりました。
あのときのKさんは本当に嬉しそうでした。
今になって、あのときの場面を思い出して、あの日のKさんの嬉しさが、嬉しさの意味がようやく私にも感じられるような気がします。
「ただのひとりの子どもとしての私の子どもを訪ねてきて、子どもの大好きな相撲につきあってくれる人がいる」ことの親としての喜びを、あの時の私は表面的にしか感じることができませんでした。
私が介助員として勤めていた情緒障害児学級に、ケイは4月の途中くらいから通級してきたのでしたね。
詳しいことは分かりませんでしたが、普通学級の方では大変だから‥ということだったでしょうか。
校区外の障害児学級に週に1~2日、一人でバスに乗って「通級」し、ちゃんと専門的な指導を受けて、普通学級に慣れるようにしてもらえるはずが、気がついたら一年で地域の学校に、自分のクラスに彼の居場所はなくなっていました。
あれほど、「抵抗」していたケイも、一年が過ぎ、自分の居心地のいい方、自分がいることをじゃまにされない方、自分がそこにいることでまわりの世界がみんな丸く収まる方を、居心地のよさとして受け入れてしまいました。
小学校4年生のケイには、それ以上抵抗する術も気持ちの支えもありませんでした。
ただ、そのことをお母さんも不本意ではあっても仕方のないこと‥と同意したのだと私は思っていました。
そういえば、ケイ本人のことについてはあまり話したことはありませんでしたね。
その「通級」も「転校」も、お母さんの思いとは全く別のところで動かざるをえなかったことを聞いたのは、弟さんの就学が迫ってきてからでしたね。
Kさんから、「弟は普通学級に行かせたいと思うんだけど‥」と聞いたとき、
私は少し意外な気持ちがしました。
ケイは一人でバスに乗って通えていたし、大相撲の幕内力士の名前や部屋名や出身地などをほとんど暗記していて、漢字で書けたりしていました。
ところが、弟は言葉も話さず、字も書かず、ちょっと目を離すと忍者のように消えてしまう子どもでした。どう見ても弟の方がちゃんと「障害児」と呼ばれる子どもでした。
上の子のときは、いろんなことを無理にやらせてきた。やればできるからと、叩いて勉強させたり、歯医者が嫌いで暴れて病院から逃げ出した後など、どれだけ叩いたりしてしまったことか。
あるとき、ケイが泣きながら土下座して謝ったときに、ふと自分はこの子に何をしてきたんだろうと思ったと、電話の向こうで泣きながら話してくれました。
そのうちに弟が生まれ、「障害」が分かり、5歳になってもことばもしゃべらないし、できないこともいっぱいあるけど、私はこの子はありのままでいいと心から思えるようになったと、そう話してくれましたね。
だから、この子は何ができなくてもいい、普通のなかで、まわりの友達といっしょに過ごさせてあげたいと。
「だまされた」という言葉を聞いたのは、そんな時でした。
「だって、お兄ちゃんのときはだまされたから‥」
ケイが小学校4年生のときに「通級」しはじめた最初から、それはお母さんの希望でも、子どもの希望でもなかったと、そのときに初めて知りました。
お兄ちゃんは守ってあげられなかった。だから、弟は、弟だけは最初から普通学級に入れて、ずっとそこにいさせてあげたい。でも、お兄ちゃんは特学に入れちゃってるから、難しいかな‥。
「だまされた」という言葉の意味を、私はKさんから教わりました。
それは、子どもに関わる人がみんな「いい人」で、子どもの心配をしながら、子どものためと言いながら、私も含めて、子どもに信頼されながら、楽しい行事を共有しながら、そうやって、少しずつ少しずつ、「子どもの居場所」がなくなっていったあの一年間の日々を、Kさんは「だまされた」と口にしたのでした。
誰かを恨むという「だまされ方」ではなく、深く深く我が子にすまないという
「だまされ方」をした母親の哀しみを、ようやく私は感じられるようになりました。
「だまされた」というKさんの言葉に、何十回も何百回も繰り返し耳を傾け続けて、いまようやくKさんの子どもへの思いが少しずつ聴こえてくるような気がしています。
‥‥この17年、空の向こうからずっと話しかけてくれたKさんのおかげだと、
心から感謝しています。
そしてまた私は、Kさんが「だまされた」という相手についてずっと誤解していました。
私はKさんが「だまされた」という相手は、普通学級で彼をもてあましていた担任や、特殊学級を勧めた教育委員会のことだと思ってきました。
けれど、今日こうして手紙を書きながら、いま初めて、「だました」現実の側に自分が、私自身が確かにそこにいたことに気づきました。
Kさん、Kさんにそういうつもりがなかったことはよくわかっています。
きっと今も、「そんなことないよ、さとうせんせー」って、そう言ってくれるだろうと思います。
だからこそよけい、親の気持ちや、子どもの気持ちを聴くこともできないまま、
子どもとつきあう仕事をすることの恐さを、私は忘れないでいようと思います。
この世でたった一人の子どもを、兄弟の一人一人がそれぞれに世界でただ一人の子どもである親の気持ちを、その親の口にできない思いも含めて、耳をすますことがどういうことなのか、考え続けようと思います。
Kさん、今なら、今ならもう少し違う形でKさんを支えることができたかもしれないと、このごろ、繰り返しそう思います。
障害をもつ二人の子どものことも他の家族のことも、すべてを一人だけで抱えこまずに、すんだかもしれなかったのにと‥、何度も何度もそう思います。
来週も就学相談会があります。今年、もう3回目の相談会です。
世間からは大変としか思われない「障害」を持った子どもを、ただの一人の子どもとして大切に思っている素敵なお母さんやお父さんたちに、きっとまた会えます。
Kさんがあきらめるしかなかった思い、心から子どもと暮らしたかった生活のかたち、学校の価値や世間の価値とは違う、この子の親としていちばんに大事にしたい思いを、少しでも伝えたいと思います。
また、ゆっくり手紙を書きますね。
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