ワニなつノート

失くしたもの




≪失くしたもの≫

3年生になってから、先生も友だちも、
だんだん私を相手にしてくれなくなった。
私はみんなの中にいたけどひとりぼっちだった。
でも、それは私が「できない」からいけなかったんだ。
私が悪い子だから。
私が自分勝手だから。
みんなといても、私はいつも外されていた。

私の3年1組。
3年1組の私。
でも「3年1組の私たち」の中に、
「私」はいなかった。

みんなの言うとおり、
私は勉強もできないし、
みんなのじゃまにばかりなってる。
先生も、「お前はなんど同じことを言わせるんだ」
ってあきれてるし。
今のままの私ではだめなんだ。
今のままの私では、みんなと一緒にいられないんだ。
どうしよ。
どうすればいいんだろ。

がんばればいい。
今の私じゃなくて、
もっと別のしっかりした新しい私になれば、
そうすればみんなも先生も喜んでくれる。
仲間に入れてくれる。


        ☆

そんな子どもに、「通級」の誘いがあるとしたら。
その子が、「自分から」、
通級を「がんばる」のは、どうしてだろう?
そこでは安心して自分の課題に取り組めるとしたら、
それはどういうことだろう?
その子が教室で自分の課題に取り組めなかったのは、
どうしてなんだろう?
不安になったのは、自分の障害のせいだったのだろうか?
障害を治せば、いじめられたり、
からかわれたりしなくなるのだろうか?

その子が失くしたものは何だろう。
自分が「できない」ことで、
「自信」を失くしたのだろうか?
その子が別の場所で、手に入れる自信は、
仲間の中でなくしたものを取り戻すことになるのだろうか?

☆ 

4年生になって、週に2回、
私は通級でがんばることにした。
自分でがんばるって決めた。

がんばって九九も言えるようになった。
まだ、2の段と5の段と3の段だけだけど。
通級の先生はすごいね、と言ってくれた。
でも、火曜日に1組に行ったら、
みんなは、分数の掛算をやっていた。

通級に行って、がんばっている間に、
みんなはもっとがんばってる。
私もいっぱいがんばってるけど、
みんなは私よりもっともっとがんばってるのかな。

みんなは、いつも私のずっと先を歩いている。
4年生の1学期、4年生の遠足、4年生のプール、
4年生の夏休み、4年生の運動会、4年生の音楽会、
4年生のマラソン大会……。
みんなは4年生のクラス生活を一緒に過ごしている。
みんなは同じ道を歩き、同じ風景を見て、
同じ一日、同じ一週間を一緒に過ごしている。

私が別の教室で勉強しているのは、週に二日だけど、
その二日に私が見ている教室の風景を誰も知らない。
そして、私がいない日の、みんなの教室の風景を、
私は知らない。

私の知らないみんなの時間が、
私の中で、毎週、毎週、増えていき、
みんなの見ているものもみえなくなってしまった。

そして私のいない風景が、
みんなの中に積み重なっていく。
私は、ただ一緒の時間にいるだけからも、
こぼれおちていく。
3年生のときには見えていた景色も
いつのまにか見えなくなった。

どうしてこんなことになったんだろう。
私は私なりにがんばろうって思ったのに。
みんなと同じに、ここにいるだけじゃだめだから、
もっとがんばろうと思っただけなのに。
ちゃんとがんばったのに。

今も、みんなと毎日過ごしているのに、
私は、みんなの「私たち」から、ぽろぽろこぼれ落ちる。

週に2日だけなのに、1学期、2学期、と
どんどん勢いがついて、こぼれ落ちる。

私がすごくがんばって、通級の先生に認められて、
誉められて、喜んでいる間に、
みんなは、私の知らないところへ行ってしまった。
私は一人でここに残された。

みんなが見てきた4年生の風景と、
私の4年生の風景はすっかり違うものになっていた。
私は、違う生活を暮らし、
みんなとは違う4年生の風景を見てきたんだ。

私は、3年生のときより一人ぼっちになってしまった。
このクラスの「私たち」から、私は消えてしまった。
私はどこにもいない。
透明になってしまった。
そうして、3学期になって、とうとう、
私の居場所はどこにもなくなってしまった。
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