ワニなつノート

【植えつけられた怖れ】(その2)



【「発達障害」という怖れを植えつける作戦】


《誰にとっての不幸な子?》



兵庫県の爺さんたちが考えた《不幸な子》は障害児だけではありません。

次のような子はみんな《不幸な子》とされました。

◇生まれてくることを誰からも希望されない児。

◇不幸な状態を背負った児(遺伝性疾患を持つ児、精神障害児、身体障害児)

◇社会的にめぐまれない児。



結局のところ、知事とか議員とか、部長とか室長とかの地位についた「男共」は「恵まれた家庭」の「優秀な人間」だという自負があったのでしょう。


それ以外の「かわいそうな子」「不幸な子」は、生まれてこない方がいいと、本気で思っていたのでしょう。

「不幸な子」はいらない。

「不幸な子」は生まれてこなくていい。


誰が「いらない」と言ったのか。それは、国であり行政であり、圧倒的に男でした。

昭和の爺さんたちが欲しかったのは、「優秀な子」だけ。


そして「いい子」「優秀な子」を産んでもらうために「母子保健法」が作られたのは、1965年でした。


それから40年後、昭和の爺さんたちは、新たな「不幸な子」を見つけました。

2005年の「発達障害法」です。




《新たな「不幸な子」》


ダウン症は「生まれてからでは遅すぎる!」作戦でした。
今度は「生まれてからでも遅くない!」作戦。


【作戦1】《生まれてからでも遅くない》


子どもの少子化は止まらない。
よい子をたくさん産んでもらう、のは無理そうだ。
でも、これからの時代は少数精鋭でいい。

実際の昭和の爺さんの言葉を紹介しよう。

「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」

三浦朱門・前教育課程審議会会長(74歳)※



という訳で…。
優秀な子や先生のじゃまになる子どもこそ、由々しき問題。
教育の質が低下すれば国家の危機を招く。

責任意識を持って、先生が《めんどくさい》子は、除外すべきだ!となる。


さて、どうしよう。

養護学校義務化の時の作戦は失敗だった。強引すぎて、特殊教育が一時、不人気になった。

人気回復の策は「通級」だった。そうだ、やっぱり教育だ。


《発達障害》という作戦は効果的だ。

なぜなら、「もともと母親は、いじめや不登校への怖れを抱いている。

だから発達障害をうまく使えば、個別に支援するという指導は受け入れられやすいだろう。」


「発達障害の子の個別支援の運動」は効果的。つまり、怖れを植えつけやすい、ということだ。」

「いじめや不登校、引きこもり、を怖れてくれれば、あとは「発達障害の支援」を受けるためにがんばるに違いない。


でも、すでに自閉症やADHD、学習障害の子どもは、特別支援教育を受けているけど、数字的には伸び悩んでいる。もっと、数を増やさないと意味がない。


そうだ、ふつう学級の中から、もっと「発達障害」をかき集めればいいんだ。

「それはいい考えだが、どうやって?」

「簡単だよ。先生たちが、日ごろ《めんどくさ》と思っている子どもの調査をすればいいんだ。あとは任せとけって。


(つづく)


※「機械不平等」斉藤貴男 
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