私たちが子どもの支援や救援について、
考え直さねばならないことはあまりに多い。
支援とは、ある人に何らかの特別な事情が起こり、
必要とされるものであり、
誰でも「支援」する立場、される立場になることがあるという了解がある。
支援とは、一方的、固定的な関係の営みではない。
障害のある「ふつうの子」も、障害のない「ふつうの子」も、
ある時、ある場面、ある時期、救援を必要とすることがある。
子どもは、子どもなんだから、大人を信じ、
堂々と助けてと声をあげていいのだ。
「ぼくはいいです…」とか、
「ぼくはえんりょしておきます…」などと6才の子どもが言えば、
「何言ってんの! 子どもが遠慮なんかするもんじゃないの」
そう言ってくれる大人のなかでこそ、
子どもはふつうの子どもとして、
子どもらしく生きることができるのだ。
ところが、その6才の子どもが、障害をもつふつうの子どもの場合、
この社会の対応は違った。
「ぼくはしょうがいがあるからえんりょします」
「そうね、その身体じゃ、しょうがないわね」
そうやって就学猶予や就学免除を押しつけてきた。
「ぼくはしょうがいがあるから、ようちえんはえんりょします」
「ぼくはしょうがいがあるから、しょうがっこうはえんりょします」
「ぼくはしょうがいがあるから、ともだちもえんりょします」
ずっと、この社会はそう言わせてきた。
そのことが、子どもから、
「ふつうの子ども」であることを、奪ってきたのだ。
「障害」があることで、「ふつうの子どもであること」や
「ふつうの生活」を奪われてきたのではなかったのだ。
「特別支援学級や特別支援学校に行っても、ちゃんと交流があるわよ」
「こうりゅう?」
「そうよ、体育とか、音楽とか、給食とか、
みんなの勉強のじゃまにならない教科だけだから、
それは遠慮しなくていいのよ」
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