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ワニなつノート

自分の「呪い」を解くための100のメモ ⑨

《はじめてのおつかい的助け方》

         □

「はじめてのおつかい」の助け方を、全国の地域の人たちが知っている。

お店のおばちゃんもおじちゃんも、自分のなかにある「にんげんへの信頼」で、ふつうにつながればいいと知っている。

お店に来た子が、めっちゃ人見知りだとしても、勇気をふりしぼって「はじめてのおつかい」に来たのだから、話をするつもりでいる、ことを知っている。ただ、うまく声が出ないんだよね、とわかっていてくれる。

そんなときはどう助ければいいか?

そんなときは、つながりの安全が感じられる「おだやかな声と表情をこの子に向ければいい」「その子の時間にあわせればいい」、緊張して泣きだしたら、ただ泣き止むのを待てばいい。

それだけのことだと、みんな知っている。3歳の子どもとは、そういう生き物だとわかっている。

          □

なぜ、その場でのそんな対応を日本中で、誰もが、できるのか?

日本テレビは、「はじめてのおつかい専門家」のいる全国のお店を知っているのか? 「はじめてのおつかい専門支援員」の配置された街を知っているのか?

そんなわけはない。

「はじめてのおつかい専門家」なんて、どこにもいない。

では、海辺の町のおじちゃんも、山奥の村のおばちゃんも、何を根拠に、その声、その表情、その態度で、3歳の子どもの前に立てるのか。

「自分も、そうしてこの地域のつながりの中で育てられた」記憶を身体が覚えているから。

そのつながりの安全のおかげで、いまこうして、3歳の子に出会うことができて、目の前の子どもの「おつかい」を手助けできる幸せ」を、感じることができる。

3歳の子どもを「孤立」させない、「無力」だと間違わせない。「透明」になんかするもんか。

だって、この子は目の前にいる。

恥ずかしそうに、緊張しながら、口ごもりながら、私という人間を全面的に信頼してくれて、目の前にいる。

この子を、「私」から分けるなんて考えられない。私も、この子たちから「分けられたくはない」。明日も、この子の顔が見たい。この子が、成長していく姿を、この地域で見守っていたい。

そんな地域の大人に見守られる子どもの幸せ。

親の幸せ。

それをテレビで見る私たちの幸せ。

3歳の無力な子どもを見守るつながりに安全によって、日本中の私たちの幸せがつながる。

           □

そこには、子どもの能力を問うまなざしがない。

「助けて言えない子をどう助けるか?」

「この子には援助希求能力が足りないから、スキルをつけてあげよう」なんて言い出す大人が、一人もいない地域で育つ子どもの幸せが、そこにはある。

「はじめてのおつかい」、すげーーな。

(つづく)

           □

《おまけ》

この道のちょっと先に「はじめてのがっこう」があり、その先に「はじめてのこうこう」と「はじめてのじりつ」がある。「はじめてのたすけかた」はつながっている。

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