この本の冒頭、≪1979年≫は、
養護学校義務化の年であり、
私が大学に入った年だ。
主人公の関根さんは、当時25歳。
私は19歳で、ほぼ同じ時代を生きていた。
「6歳のヨシカズちゃん」のいたタイルの上に、
熱湯をジャージャーと注いでいたのは、
子どものころの「私」の姿そのものだった。
私が子どものころ、近所の家に、
たぶん5、6歳年上の「障害児」がいた。
同級生の兄だった。
道路に面したその家の窓が開いているとき、
坊主頭の生き物が、よだれをたらしながら、
おもちゃのプラスチックの刀を振り回していた。
「あー」とか「うー」ではない、
「ヴぁー」とか「ヴぉー」という不思議な叫び声か鳴き声ともに、
今にも追いかけてきそうな気配がした。
友達と一緒に遊んでいる時は、「出たー」とはやしたてて逃げた。
でも、一人でその道を通るのは本当に恐かった。
一人でそこを通る時には、彼が出てこないように、
彼がいても目を合わさないように、
声が聞こえても振り向いてはいけないと、
自分に言い聞かせて通った。
6、7歳の私は、彼を「化け物」か「妖怪」の仲間だと信じていた。
「障害児」という類の言葉は知らなかった。
誰にも、聞けなかった。
何をどう聞いていいのかも分からなかった。
誰も何も教えてくれなかった。
触れてはいけない話題、なのだと信じていた。
私が、自分をとことん情けないと思うのは、
その同級生の女の子を、
気持ち悪いと感じてずっと避けていたことだ。
彼がたぶん知的障害のある脳性マヒ児だということ、
彼が「人間」だと分かったのは、
私が大学に入ってからだったと思う。
中学、高校のころは、見かけたことがなかったから、
多分施設に入ったのか、
亡くなったのか。
…それさえも、私は知らない。
ほんの6軒離れた家のことなのに。
子どものころの「私」は、
いつも彼の存在に、ジャージャーと熱湯をかけていたのだった。
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