ワニなつノート

9月の就学相談会ためのメモ



9月の就学相談会ためのメモ


【ふつう学級という体験は、子どもに何を残しているのか】 



「ふつう学級という体験は、子どもに何を残しているのか」

そこに居続けることで、どんどん安全な場所であることを感じる。

大人の言葉は耳に入らなくても、子どもの声はきこえる。

みんなが何をしているのか。何を楽しみ、何に驚き、何を笑い、何を怖がるか。

一緒にいることでしか、分からないことがある。

「見えない、聞こえない」と言われる子どもたちも、同じだった。


      ◇


大人の目からは、教育するところ、が学校だが、子どもは受け身ではない。

教育される、のではない、「それまでと違う自分を経験する」という、主体的な経験をしている。


それまでとは違う自分を、自分の身体で体験すること。

それを成長と呼ぶなら、ふつう学級でも特別支援学級でも、子どもは成長する。


では、「ふつう学級」と「特別支援」の一番の違いは何か。

多と個の違い。
多と、多から「抜き出された」個の違いだとおもう。


教育の内容や、教師の技量が同じだとして、子どもが「それまでと違う自分を体験する中身」が違うのだ。


      ◇


《ひまわりさんは助けにくいけど、ちーちゃんならすぐに助ける》

《離れて、見てる》

《赤ちゃんじゃないよ》


ふつう学級には、そういう素敵な言葉とまなざしがある。

大人とは圧倒的に違うまなざしがある。

子どもとして子どもの言葉を浴びて育つということ。


       ◇


はじめは「気づかない」子もいる。

それは、障害のせいというより、子どもだから。

あまりに当たり前の体験なので、ほとんどの大人も、それを忘れる。


「大人はだれもはじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいる大人は、いくらもいない。」
サンテグジュペリも、そう書いている。


         ◇


《贈与という能力》

それまでとは違う自分を、体験すること。感じること。

たとえば、通学途中に、親でなく、まず自分に向けてかけられる声を聞くこと。

赤ちゃんの時に聞こえる声は、自分にではなく、まず母親や父親に向かう声だった。その隣に自分がいた。

障害があると、その体験はさらに強まる。


「子どもはだれも家では有名人」という言葉がある。

そのことは、子どもにはとても大切なこと。

障害の子よりむしろ、親のいない子が持っていないもの。

そこには障害とは別のみえない生き辛さがある。


      ◇


《大人がどんなにがんばっても子どもの代わりはできません》

それまでとは違う自分を、体験すること。感じること。

「仲間」(同級生)という存在である自分がここにいる。

それは、仲間に貴重な貢献ができているということ。

その力を持っている感覚を、体の芯から経験している。

新一年生の仲間であること、それだけでお互いにそれまでとは違う自分になることができている。

私たちは、みんなそういう体験を積み重ねてきた。


それは、赤ちゃんだったときの、「してもらう」だけの自分、世話されるだけの自分、助けられるだけの自分とは、違う自分になるという体験なのだ。


そこに「障害」や「医療的ケア」を加えると、その違いはより大きくなる。

障害の有無の違いではない。

「してもらうだけの自分」から、対等な自分への「変化・違い」が、より大きく感じられるのだ。


          ◇


一年生の自分。ふつう学級の仲間のなかにいる自分。

親がいなくても、自分はここにいる。ここにて、仲間であることをお互いに「与えている」。

お互いに、仲間である、という贈りあう関係。

贈与という能力。それまでと違う自分。


「家の中では誰もが有名人」である自分から、それとは違う自分もいること。

クラスの中に、自分の居場所があるということ。

クラスの中、学校の中で「有名人」であること。お互いが、お互いに共に。


(ふつう学級で、障害が重いといわれる子どもの方がうまくいくことが大いには、この「有名人」と関係があるのだとおもう)


          ◇


新しいカルタ。 

【せ】《席替えも当番もみんなといっしょ》


(※ありんこさんのブログから抜粋)

《1年生》  この子の席はいつも同じで、他の子たちだけが席替えをした。親が付き添っていた頃はずっと窓際の後ろの席だった。

ある時、班の話し合いがあって、隣にお友だちのいる席に移動して嬉しそうな顔をしていた。
「ハイ自分の席に戻って!」と先生が言っても動かず、その席の子が困っていたことがあった。


《2年生》  始業式の日、この子の隣に机があった。
でも体育館から戻ると席は元通りになおされていて、隣には親の椅子が置かれていた。

「この子も席替えしてほしい」とお願いしたけれど、隣にお母さんがいるから難しいと言われるだけだった。

2年の3学期、親が付き添いをやめ、この子の席は窓際の一番後ろから、一番前の入り口付近に変わった。だけど一番前なのに、隣に席はなかった。


《3年生》  担任が変わり、この子の席は先生の目の前で、隣に友だちが座っていた。
子どもは驚いて戸惑いながら席に座った。

学校帰りに、興奮気味に「お友だち!お友だち!…なんだよ」と、その嬉しさを教えてくれた。

その後も一つ隣に、一つ後ろに移動したりと、席替えの楽しさを体験できた。


《4年生》(新しい学校へ転校)

担任の先生から、「最近やっと落ち着いてきたみたいで、なんとかなりそうです」と話しがあった。

先日、一人席替えを決行したらしい…。

クラスの中で波長の合うお友だちの隣を選んで引越したようで。
この子は新しい学校で、自分の気持ちを主張している。

「私はココがいい!」と主張しはじめた。

担任の先生や友だちに自分の気持ちを伝え、コミュニケーションのきっかけを作っている。
がんばれ、がんばれ!


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