《1・どこまで分けるのか。誰のために分けるのか》
今年4回目の就学相談会を終えて、いろいろ考え込む日々が続いています。
相談会は特にいつもと変わりませんでした。
参加された方も、たぶん普通学級にいくのだろうと思います。
ただここ数年、就学に関わる話を聞いているうち、「どうして、こんなにふつうの子まで分けようとするのだろう」と息苦しくなってきました。
30年前、20年前には、会で出会う子どもの多くは、「たいへんだ」と言われる理由が、私にもそれなりに分かりました。
自分が担任でも、「たいへん」と感じるだろうなーという子がたくさんいました。
(もちろん、「たいへん」と「たのしいだろうな」が同時にあることは前提の話しです。)
でも、この数年、分けられる子が、どんどんどんどん「軽く」なっているのです。
ぜんぜん「たいへん」でも「むずかしく」もなく、なぜこの子を分けようとするのか意味がまったく分からないのです。
重度の障害なら分けられるのも仕方ない、というのではありません。
だけど、「この子が、なんで?」、そう感じる子が、次々とあらわれすぎるのです。
その一方で、普通学級に行こうと思えば、それほど「たいへん」でもなくなっています。
特別支援学級から普通学級への転籍も、昔ほど難しくはなくなっています。
でも、いまの方が、親たちの息苦しさを感じるし、なにより私自身が息苦しいのです。
学校は、どうしてこんなにも、幼い子どもたちを分けようとするのか?
何のために、誰のために、分けるのか。
普通学級の先生たちは、こんなにも子どもが、抜き出され、取り出され、分けられていくことに、恐さを感じないのだろうか。
人権意識がない遅れた時代の話ではなく、障害者基本法や差別解消法が作られ、障害者権利条約が批准されたいま、5歳6歳の子どもを、いつのまにか、どこまでも、執拗に、分けようとするこの社会は、異常だと思います。
わたしが思っている「学校」と、大多数の人が考える「学校」とは、違うものなんだろうか。
学校は、何をするところか。
親は、学校に、何を望んでいるのか。
教師は、子どもに、何を求めているのか。
子どもの生きるよろこびとは何か。
そんなことを、とりとめもなく毎日考えています。
(つづく)
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