わじこSCHOOL

個性の強い先生と、個性の強い生徒が集う西多賀の寺子屋。

つれづれなるままに

2007年01月23日 01時49分49秒 | 日常のできごと
受験シーズンになると特にだが、自分が勉強だけをしていれば鬼の首をとったかのように偉そうに何もしない人がいる。勉強は自分が好きでやらせてもらっていることであり、まわりに「静かにしよう」とか「何かしてあげよう」とかいろいろと迷惑をかけているぐらいである。

「思いやり」というキーワードで今回は少し話をしたい。自分の周りの人への気遣いという意味だが、みなさんはどれぐらい意識しているだろうか?いまこうやって活字にし文章にしているので、自分の文章に責任を持たなくてはいけない状態となている。人の目にふれるので非常に周囲の目を気にしている。

活字だとこのように気を使って何度も推敲したりする人も少なくないはずだ。しかし、言葉はカメラでも回っていない限りその場限りのもののように思える。多少のミスや失敗は何も恐れるに足らない、証拠などあるわけでもないし、風化してしまうはずだ。

だが考えてほしい、それはあくまでも自分の評価を意識しての話であり、他人のことを気遣って推敲したり、訂正しながら話すわけではない。いま考えてほしいのは書き手のや話しての立場からではなく、それを見聞きした人のことである。みんなはどれぐらい意識して言葉を使っているだろうか。

会話は証拠として残らないと言ったが、果たしてそうであろうか。確かに裁判の証拠としては不十分だろうが、人を傷つけた言葉は相手の心に深くのこるだろう、そこのところを考えてほしい。何気ないセリフ、そう、自分の記憶にすら残らない言葉が時に人を傷つけることがあると思う。

全ての言葉に責任を持つことは不可能かもしれないが、本来使ってはいけない言葉を普段から使っていると、当たり前のように出てくることもある。冗談ではすまないこともあろう。

ちょうど先生が中学校3年生の今頃、受験勉強も終わりリラックスムードで電車通学をしていた。あまりに暇だったので本屋に行き「手話」の本を買って車内で勉強していた。ある日、子供連れのお母さんが先生の前に座り子供と話をしていた。お母さんは子供に「あんたも勉強しないと、あんな風に耳が聞こえないバカになっちゃうよ。」と、先生が耳が聞こえないと思ったらしく笑顔で話していた。あまりのストレスで、「そんなセリフが聞こえてくるくらいなら耳が聞こえないほうがいいかもしれませんね。」と言って電車をあとにした記憶がある。

どこで誰が聞いているからとかではく、人に思いやりをもって接している人からは到底思いもつかないセリフである。みなさんも、もし何気なく人を傷つけているセリフがあるなら意識的に使わないようにしてみましょう。また、誰かがいけないセリフを使っていたら、注意するくらいの小さな勇気を持ってください。

なぜか説教じみてしまったが、ウヰスキーを飲みながらふと考えたことでした。

では、勉強も当然頑張りましょう。

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